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ワンマンライブについて

311日と言う日は『震災があった日』です。この日は毎年、祭りごとは行われず追悼の式典等が行われます。それは大船渡に限らず沿岸や東北、被害に遭われた地域の方等は誰もが分かっていることだと思います。


あれから12年。被災地と呼ばれる場所から離れれば離れるほど、それは薄れていっているように感じます。過去のことであり、毎年のように各地で天災や悲惨な出来事が起こり、ニュースは日々上書きされていきます。

この日は自分の身に起った人のものの様になっているのも、致し方ないとも理解してます。


僕自身もこの日は天国に行かれた大切な方を偲び、穏やかに大船渡で過ごしたいとずっと思ってきましたし、今もその気持ちは変わりません。だけど大船渡の歌を歌う僕は復興関連のイベントに呼んでいただき、この日は大船渡にいない時の方が多かったです。それは有難いことでもあり、伝えると言う使命感もありましたが、どこか複雑な心境であったのが事実です。


そして今はコロナ禍。辛いことの大小なんて計れませんが、今見なければならないことは、まずはそのことです。


コロナ禍におけるライブの在り方は環境に合わせ目紛しく変わっています。全く歌えない状況から、ビニール幕を設置してライブ、マスク着用、コール禁止、人数制限、、、いつか来る以前と変わらない状況に向け、どんどん進化していき、ずっと同じということはありませんでした。


ふと、311日におけるライブの在り方も変わっていかなきゃなのかな?と思いました。あくまでここでは僕個人の在り方の話です。

個人を偲ばない訳でもない、馬鹿騒ぎする訳でもなく、12年という年月で変化した今の音楽の在り方。



音を絶やさない。



それが311日にワンマンライブをする理由です。

大船渡で大船渡の歌を大船渡のLAWBLOWが歌う。

この場所でこの日に歌うからこそ見える、聞こえるものがあります。

でもだからと言って無理に大船渡を感じようとしなくて良いです。被災地と呼ばれる場所を想わなくても良いです。

来場してあなたの一つしかない故郷と大切な人を想ってください。

『当たり前が当たり前じゃない』...

それを感じれるようなライブを必ず致します。



御来場お待ちしております。



復興者 LAWBLOW