まず最初に断っておきますが、私は神道の信仰者でも神社の関係者でもありません。

ただ日本人に生まれてきて、日本人にとって神様がどういった存在なのかを私なりに考察しただけの事です。

ですから、信仰の自由を脅かしたり特定の宗教へ勧誘あるいは非難する意思のないことを理解していただきたい。

 

日本には八百万(やおよろず)の神様たちがいらっしゃいます。

これほどたくさんの神様がいらっしゃる国は、ほかには聞いたことがありません。

また、大小合わせて日本全国いたるところに神社がまつられています。

そして不思議なことに、これほど多くの神社が存在しているにもかかわらず、神様のお姿を模した偶像はほとんどないのです。いや御神木や鏡・刀などの御神器・狐や牛・鹿などの御神獣の像などが祀られているではないか?とお考えでしょうが、どれも依代という物(器)であり神様本来のお姿ではないのです。古来より、日本では神様のお姿は見ることができない存在です。ただ特例として、特殊な能力を持つとされる神官や巫女のみ、そのお声(神託)を聴くことができたとされています。

 

神様を見てはいけない理由。

 

海外ではそのお姿を人々に顕現され、奇跡を行う神話が数々あります。

しかし、日本では人々の前にお姿を顕現される物語はほとんどありません。(仏様は別ですが…)

それは、見れば神罰が下るからです。

見ようと試みることやその存在を証明しようすること、そのお姿を形にしようとする試みさえも神様は許してくれません。そのような行いをする者は、視力を失ったり大けがをしたり、挙句には命を落としたり神隠しにあったりする(バチがあたる)といわれています。また神域といわれる神様のお住まう場所には、特別な日に許された者しか足を踏み入れることができないとされ、伊勢神宮を筆頭に現代でも各地にたくさん残っています。

 

では、そのお姿を見ることが出来ないのに、なぜ日本人は神様を信じ全国各地に祀っているのでしょうか?

私たち日本人は古来より、自然現象のすべてが神様によって為される偉業と考えています。日が昇り日が沈み、夜が来て月が出る。天候・気象・季節の変化やそこに住む動植物の生態・土壌の質や鉱物の分布に至るまで、神様の御業と考えています。それは時に人々に豊穣を与え、また時に災禍を与えます。神様の御業の前では、人々は何も対処する術がありません。豊穣が来ればその恩恵に感謝し、災禍が来ればその場を逃げるか収まるまでただ待つしかないのです。

 

人々は、考えます。

どうすれば豊穣を享受できるのか?、そしてどうすれば災禍を防げるのか?

その方法として人々は神様を讃え祀り、豊穣の時にはその実りを貢物として災禍の時には(生)贄をささげるのです。

しかしそれは人間が考える接待の作法であり、それが神様に通用するのかなんてこと誰も知りません。なぜなら、神様にとって人間も自然界の一部でしかなく、存在自体はそれほど特別なものではないからです。

 

仮にこの仮説(空想)が成り立つとすれば、自然災害の多い日本は神の御業が数多く発現している国といえるでしょう。

特に地震は常日頃どこかで起こっていますし、台風は毎年のようにやってきます。

そして科学がこれほど発達した現代でさえも、自然災害(神の御業)を防ぐ方法は何一つ見つかっていないのです。

だから神様の存在を信じていない人々でも、神社に参拝し賽銭(貢物)をすることで神様のご機嫌を取り、降りかかる災難を避けてご利益を得ようとします。その真偽に関わりなく神様を讃え恩恵を乞う事しか思いつかないほど、その力は偉大であり脅威なのです。

 

日本人にとって、神様はとても恐ろしい存在なのです。

なぜなら、神様の気まぐれで大きな災害がやってくるのです。

そしてそれは、現代科学という人類最高の英知でさえも防ぎようもない恐ろしい力なのですから。