ダボス会議が平成29(2017)年1月17日、スイス東部のダボスにおいて、年次総会が開かれ、そこに中国の習近平国家主席が初めて出席し、初の基調公演を行った。その内容は、保護主義を批判し自由貿易の発展を訴えたらしい。

 

そもそも、ダボス会議とは、世界経済フォーラムといい、1971年に設立され、スイスのダボスで年次総会が開かれ、世界中から約2500名の選ばれた知識人やジャーナリスト、多国籍企業経営者や国際的な政治指導者が一堂に会し、健康や環境等を含めた世界が直面する重大な問題について議論する場となっているものである(ウイキペディアによる)。

筆者の理解するところは、世に流布するように、欧米列強の指導者たちが、近年力をつけてきた国々の指導者たちを集め、すなわち、欧米列強諸国が、かつての植民地支配に手を加えて、自分たちが世界を牛耳ってゆくための組織である、と思っていた。

 

日本の指導者は、この会議に参加することがエスタブリッシュメントの要件と思っていたのだろうか、嬉々として参加していたようだ。

 

しかし、もうすでに40年以上経ち、寿命もつきかけているのではないか、というのが、筆者の偽らざる感想だ。

なぜなら、常連だったドイツのメルケル首相は2年連続で参加しないし、共産党の独裁である中国の習近平主席が自由貿易の発展を訴える、エッ???なのだ・・・。

チャンチャラおかしい、とはこんなことをいうのではないか。アメリカからは、オバマ政権のバイデン副大統領とケリー国務長官の出席だが、トランプ次期米大統領は参加しない。

 

大事な会合ならば、必ずやアメリカや欧米列強の要人が出席するはずである。

 

いやそればかりではない。日米が、ダボス会議とは別に、富士山会合を開くようになったからかもしれない。日本経済研究センター(日経新聞のシンクタンク)と国際問題研究所(外務省のシンクタンク)が2014(平成26)年に新たに始めた「日米知的交流・共同プログラム」の一環で、日米の未来を議論する年次会合を開くようになった。これを富士山会合というらしい。

 

日米政財官界の会合である。つまり、日米が、世界経済に占める比重はまだまだ重いのだ。

アメリカと日本のえらい人達は、どうしても自分達トップリーダーがこの世の中を仕切りたいらしい。富士山会合というのは、ジャパンハンドラーの集まり、だとネット上にあった。

 

検索するとジャパンハンドラーとは、日本を対米従属の国として操ろうとする役割を課せられた米国有識者たちと、それに加担する日本の有識者の俗称である、とインターネット上にあった。

 

しかし、トランプ大統領の出現やイギリスのEUからの脱退にもみられるように、大衆はもはやエリートという人たちのやり方を疑問に思っているのだ。

それが、今の世界なのだ。

 

ダボス会議は、習近平主席の初参加やトランプ大統領の誕生にもみられるように、今年の年次総会が「終わりの初め」なのだ。

 

世界の政治経済は、これから、エリートの主動する世界から大衆の主動する世界になるに違いない。

 

人間には品性や知性というものがある。これは国家についても同様である。

 

「金を儲ければよい」、「強いものが勝つ」というのは、一面の真実かも知れないが、万人にとって、それで良いというものではない。

 

国家の理念は、「人権尊重」、「自由主義」、「民主主義」等々という「コトバ」で表現し尽くせるものではない。

 

1776年に独立宣言をしたアメリカに比べ、日本は1、000年、2、000年にわたって国家としての、又、日本人としての「品性」を養ってきた。

 

21世紀の日本が、世界に貢献できるとしたら、どんな会議を主宰し、開催したら良いのであろうか?

 

もちろん「ダボス会議」の主宰者ではあるまい。そしてまた、また西欧列強の政治的・経済的支配を継続させるための組織をつくることでもないだろう。