えー 続編です
生まれた実感無いまま お腹を縫われ
本当に不思議縫って皮膚を引っ張られるのだけ分かる
その後どこに放置されると思う?!
手術後廊下へ放り出され
廊下で処置を受けるの えええ 本当に先進国ここwって思ったwww
ありえないじゃん日本なら まぁ私はTVで見たり ネットでホテルのようだったわー
最高の出産でしたとか見てたし まぁ そうは行かないだろうと思ってたけど
ここまでとはw でもこれはただの始まり始まりでしたww
そんな廊下ではすでに出産して麻酔が切れ始めた
アフリカ人女性が凄い声で唸って苦しんでるんです
わたしゅ ましゅい切れたら どんなことになるのかと
もう恐ろしゅうて 腹をくくりました
この痛さに耐えてやるって
その後2時間くらいして要約外へ
主人と義理母は待っててくれました 計5時間くらい
そんで病室にやっと移動して
悪夢の病院生活4日間が幕開けました
どんなんかって言うともちろん病室は6人共用
しかも帝王切開0人皆普通に歩けて 自分の子供抱けるのって思った
私は我が子も自力では抱けない 泣いていても何も出来ない1日目
この日は主人が朝から晩まで居てくれたから良かったけど
8時には帰宅しないといけないから 夜から一人
主人が看護婦さんに妻は帝王切開で娘の面倒みれないから
夜は面倒みれないから連れて来ないでっていったのにも
連れて来て 私は動けず泣いても面倒見れない 悲しい思いを味わったの
そんなこんなで夜が明けて
2日目少しましでがんばってやっと子供の顔見れるくらいになった
添い乳を初めてして 本当に精一杯ギリギリだったと思う
自分の精神力 上手く乳上げれないしイタリア語分かんないし
呼んでも1時間位くらい来ないの当たり前だし
インターフォンでても”なんか用あんのないの?
って怒るの ビックリしたわ こりゃ自分と子供の命
守んなきゃって 本気で思ったw
夜にはあんた授乳へただし 赤ちゃんもへただから
もう粉ミルク飲ませるからって イライラしてるし
後に違う看護師さんに明日から搾乳してねって言われる
異国でただでさえ不安なのにそんな事言われた私はもう限界
電話で主人に早く帰りたいと泣き付きました
3日目は本当に過酷で逃げ出したくなって号泣
昨日の夜ほかの看護師さんに搾乳してって言われたから
朝主人に連れてってもらって初めてしたまだ一人で歩けないから
そんで夜9時ごろまた搾乳してねと言われたので
一人でヒィコラ言いながら行きましたよ かわいい我子の為に
でもさ午前中と違う看護婦さんいてさぁ
”あんた なに今の時間に搾乳してんのよ”って
え!? だって9時にここでまた搾乳して
看護婦さんとりに来るから渡してって言われたからぅて言ったら
あんたね 8時までって かいてんじゃーと 怒鳴られて
いったん出てって
違う人に聞いたら 今英語喋れる人 読んだから 安心してって
もう担当ころころ変えるのやめて 同じ人担当してって思ったわ
結局 あの怒鳴り散らした看護婦さんでさ
私 あああー 最悪って トホホ
英語で言ったらさ 話し通じないの
もういいから 主人に電話するわって
んで主人に用件電話で伝えてもらったらさ なんて言ってたと思う?
私イタリア語は理解できるからさ喋れなくても
彼女”あんたの嫁英語もイタリア語喋れないのって”
それきいて 私 もうプライドズタズタ おお泣きして
お腹は超痛いし
結局 病院が遅番にちゃんと事情伝えないから
そういうことになったらしい
その怒鳴り散らした看護婦さんは
”私たち以外にここの搾乳室の事は聞くな”って
誤りもしない 平然と去りました
私は搾乳してストレスでもう病室につく頃には一歩も歩けないくらいの
激痛で大変でした
5日目退院当日は2011年3月11日 日本時間で大地震発生
朝から主人が電話してきて 日本地震で大変なことになってるって
私はどこか聞いたら 宮城って聞いて
頭が真っ白になり
それから実家福島に連絡しても 通じない
祖母に電話しても出ない
泣きながら帰りましたよ
そんなんで育児する気力は無い 子供産んだ実感は無い
ホルモンバランス最悪で汗だくで何度も着替えたり
情緒不安定な育児が始まったのでした
でも私って本当についてるって 心底思ったのは言うまでもありません
だって地元で産んでたら
もっと大変だったから
イタリアではもう出産したくない 入院費とか薬代タダでも
どうあなたもイタリアで出産してみる?
良い冒険記になりますよ?w
あっ結局 決心した 耐え抜くは耐え抜いたけど
泣き泣き 我慢でしたw