7月23日。
母は実兄のお見舞いで仙台市の病院に日帰りで来ました。お兄さんはがんで余命宣告を受けており、しばらく自宅で予後を過ごしてましたが、症状が悪くなったため病院に戻りました。
生きているうちに会いたかった。その思いで仙台に。
82歳の高齢のため、日帰りが厳しいから一泊するよう言いましたが、実家の父(84歳/要介護2)を一人にするのが心配だからと日帰りとなりました。
その後私の家族と一緒に車で酒田に移動しました。
見る限りとても疲れている様子でした。
話したい事もあったけど、5歳の息子と遊ぶのも大変だろうと思い、いつもより話さず、そっとしておきました。
実家到着前にスーパーにより、夜食の惣菜を買いました。
夜、酒田に到着し、夜食をとりました。
やはり疲れてるのか、その日は食欲も無さそうでした。座る際も少しよろけた感じです。
いつもなら5歳の息子と一緒にお風呂に入るのですが、今日は疲れてるからと明日から一緒に入るよう話しました。先に入ってもらい、すぐに寝させてあげようとしてたのですが、息子と夜遅くまでドタバタと音を上げ、ゲラゲラキャッキャと楽しそうに遊んでました。
私は息子を叱ってしまいました。
ばぁばは疲れてるんだから、と。
息子は喘息で、騒ぐと後に咳が止まらなくなります。その日もそう、朝までずっと咳が止まらず、夜中もネブライザーで薬を吸引しました。そんな息子を気づかい、母は横になりながら息子の背中をトントンしてくれてました。
寝室は二階にあります。
7月24日の早朝、4時頃、母が一度トイレに降りました。
6時になり、起きて階段を降りました。
しばらくして父の声が。
なにやら大きな声で何か言ってるのですが聞き取れず、朝からケンカでもしてるのかと思いました。
5分くらいでしょうか、足の不自由な父が階段を上って来て『倒れた!』と。
私と主人はビックリして飛び起き、一階に駆け降りました。
母は倒れてました。
『ばぁば!しっかり!救急車呼ぶね!』
左側を下に、横たわって倒れてました。
意識はまだあり、言葉は発するものの呂律がまわってません。
母は右手と右足をゆっくり動かしながら『大丈夫』と言ってました。
救急隊が到着し、名前と生年月日を母に聞きましたが、話せてました。
私が救急車に乗り、日本海病院へ搬送されました。
その②へ続く。