大きな奇跡が起きる、と寝ぼけまなこで変なこと思いながら起きました。
肌寒くなりました。とても心地いい秋の天気です。
起きたのは正午過ぎでした。
大好きな朝食を作って、クリスマスツリーをぼんやり見ながらまるでクリスマスの朝みたいな素敵な朝ごはんの時間。
大切なメッセージが降りてきました。
1年位うだつの上がらない日々を過ごしていたので久しぶりに帰ってきたような気持になりました。
最近読んだ左脳さん、右脳さんの本。
二年前にノンディアリティに目覚めてから徐々に徐々にまた左脳優位な暮らしにどっぷり漬かり悶々とすることが多くなっていました。
もう二年経つんだな。。。。また二年の間休む間もなくすてきなことと辛いことが続き疲弊してしまっていました。
以前のように壮絶に苦しむことは無くなって、何とかなるさと強がってはみても、浮かばれない気持ちに悶々とするようになっていました。
そういえば左脳さん、右脳さんを読んだ先週末から、右脳さんに私はいったい何を望んでいるのか教えてほしいと頼み込んでいました。
降りてきたのは。。。。
人は何かを失って初めて その何かが存在してくれていたことの大切さ、ありがたさに気付く経験をしているのだということ。
そして私は愛とはなにかを思い出す経験をしているのだということ。
その何かが大切だったという気づきが大きいほど、喪失感もショックも大きくてその分愛の気づきも鮮明で深くなっていくのだということ。
二元論の存在できるこの3次元では、すべてが逆説的。
生まれてくる前はすべてが一つであり、すべてが愛で、本当は何もなくてすべてがあるということを知っていたのだけれど、魂が望んでこの地球に生まれてくると、次第にすべてを忘れてしまう。
だけどそもそも忘れることができなければ、思い出すことができない。大切なことやものを「失う」という経験ができなければ、愛とは何だったのかを「知る」、あるいは「思い出す」こともできない。
「無い」ものを「得る」経験をして、そして「失う」という経験も、「喪失感」に苛まれる経験も「愛に気づく」経験も二元論のこの地球でなければ出来ない経験。
神様が創った、「忘れる」や「無い」が可能なこのマトリックスで私たちは様々な経験を通して小さなことから壮大で宇宙的なことまで、大切さ、ありがたさ、そして愛を思い出していく。
当たり前にあると思ってるときはその大切さや愛に気づかない。
ありとあらゆること。日々のライフライン、平和な日々、家族、自然、健康、才能、
愛する人たち、家、道徳心も、自制心も、隣人も、便利なお店や、身の回り品も、時間も、生態系も、この地球さえも。
目に見えるものから見えないものまで日々変化し、「得る・有る」と「失う」を体験する。
失ったとき、はじめて私たちはそれがどんなに大切であり、当たり前ではなかった有難さと愛に気づいたりする。
たぶんだけど、人は体から離れると、全ては初めからあって、すべては無く、すべては愛であった神様のもとに帰っていく。そして、人間ドラマを展開していた夢から醒める。忘れることも得ることも失うこともない次元へと、全てが愛と光の中へと帰っていく。
その時、あなたは何を思うでしょうか?
神様の視座からすれば3次元は二元論のマトリックスの中の夢。人間としていろんな経験をする地球に降りた私たちに好きなことをそれぞれに経験することが許されていて、生まれる前に体験したかったことを自由にドラマ展開することが許されている。
好きなことをやりなさいって。人間として経験したいことをしてきなさいって。何があっても肉体が終われば全ては愛に戻っていくのだから。魂は損なわれることも失われることも一切ない永遠の世界にどのみち戻るのだから。
神様の大きな大きな愛の中で、完全に守られている中で、私たちはこのマトリックスでやりたかったことを経験して、また永遠に帰っていきます。
それまでは、ここでのすべての経験が完全に現実としか思えないように、神様のことも、魂のブループリントのこともすべてを忘れて。
あるいは、ここ地球であっても全てを手放したとき、すべてがあったことに気づきます。すべてが愛であったことに気づいて人間ドラマを手放していくこともできます。
ああ、そうだったなと。またすっかり見失ってしまっていたなと。
次の瞬間から、あなたは何を経験したいと思うでしょうか?
暖かくお過ごしください。