The Honeycombs 「Colour Slide」 (1964)
ハニーカムズは1960年代半ばにイングランドで活躍したロックバンドです。メンバーは5人で、女性のドラマーは大変珍しい存在でした。英国でいち早く音楽演奏に電子機器を取り入れることや、多重録音などの技術を思いついた音楽プロデューサー、ジョー・ミークに出会い、1964年に「Have I the light?」をヒットさせます。「Colour Slide」は続いて制作されたアルバム「The Honeycombs」に収録された曲です。英国ではアルバム曲でしたが、翌1965年アメリカでシングル盤が発売されました。日本でも同年「That's the way」のシングル盤B面として発売されています。当時の英国音楽シーンはビートルズが絶対的王者だったはずですが、ややアメリカンポップス寄りのサウンドを目指していたのでしょうか。私は洋楽に詳しくないので、そのあたりは専門の方にお任せしましょう。「Colour」というスペルは英国流という、学校で習った知識を久しぶりに思い出しました。
和訳はいくつか試みられているようですが、一長一短があります。私も考えてみました。
部屋の壁で君を見たよ
10フィートの君を見たよ
カラースライドの君を見たよ
渚で君に会ったね
そう難しくはなかったね
ぼくは素早く君を傍らに引き寄せた
愛し合って一日過ごしたね
太陽と海の一日を
君のくちづけが忘れられない
抱きしめてくれたときのドキドキも
面白半分に言ったよね
君の写真を撮るよと
でも今は笑いも消えたようだ
だから気分が落ち込む時は
映写会を開くよ
腰を下ろして君のカラースライドを見るよ
愛し合って一日過ごしたね
太陽と海の一日を
君のくちづけが忘れられない
抱きしめてくれたときのドキドキも
部屋の壁で君を見たよ
10フィートの君を見たよ
カラースライドの君を見たよ
そして、ああ、遺憾なことに
ぼくは君の名前さえもつかめなかった
今、カラースライドなんて何の役に立つのか?
といったところでしょうか。You were not too hard to teachは解釈が難しいです。tellに近い意味で使われていて、脚韻を優先したものと考えていますが、この訳ではごまかしました。
10フィートは304.8センチです。すなわちこの人は、海辺で逢った素敵な人をリバーサルカラーフィルムで撮影して、家に帰ってから現像に出してスライドにしてもらい、プロジェクターを使って自分の部屋の壁一面に大きく映しているのでしょう。日本の家のように狭い部屋ではありません。ごたごたと買い込んで物を置きたがる成金でもありません。
ポイントはやはり最後のパラグラフです。要するに行きずりの恋だったということです。この人は名前さえも聞いておかなかったことを悔やんでいますが、その方がはるかに望ましいということに気がついていません。相手ははなから遊びで、せっかく海に来たのにちょっと退屈しているから面白いことをしてみたかったのでしょう。深入りしたらかえって傷つくであろうことは容易に想像できます。「And now what good's my colour slide?(今、カラースライドなんて何の役に立つのか?)」という自嘲は、今で言う「二次元」「バーチャル」の概念がまだなかった時代を示しています。偶像崇拝を禁じる西洋の教えも勘案すると、名前も知らない行きずりの恋をした人のスライドを繰り返し部屋で上映すること自体に背徳感を持っていたとも考えられます。もちろん映画やスターのポスター写真は当時からありましたが、それらの作品に出る俳優はあくまでも自分とは別の世界の人たちであり、有名でもない一般人を個人的ムービースターとして密かに楽しむという行為とは別物とみなされていたのでしょう。さらにこの時代、カラーフィルムが一般人にも普及していったことも反映されているでしょうか。
もう一歩踏み込んで、余計なことかもしれませんが、メロディーに寄せた「詞もどき」訳文も書いてみました。
カラースライド
君を映す
大きく映す
ぼくだけのColor Slide
渚で逢った
目と目が遭った
素早くつかまえた
マリンブルーに
真白の砂
Kissをする時
夏色の水着にふれた
はにかみながら
ポーズを取った
写真の海濡れる
淋しい時は
プロジェクターが
タイムマシーンだよ
マリンブルーが
零れ落ちる
Kissをしたあと
夏色の水着が消えた
君を映す
大きく映す
ぼくだけのColor Slide
君の名前
名付けてあげるよ
ぼくだけのColor Slide
「写真の海濡れる」は三木聖子さん「三枚の写真」からの応用です。最後は「二次元趣味の元祖的行為」に対して肯定的なしめくくりにしましたが、「キモい」という人も一定数いそうですね。
さて、現代日本の音楽ファンの間では、この曲は「君は天然色」のリファレンスのひとつとして知られています。
私見ですが、大瀧さんの曲は学術論文に例えるとわかりやすいです。論文の最後には必ず、膨大な参考文献(リファレンス)欄が掲載されています。過去に行われた研究に基づいて、オリジナリティーを出して新たな知見を得たということを明確にしています。このリファレンス記載は論文を書く上で最も基本的なこととして厳しく指導されます。音楽業界にはその習慣がないので大瀧さんはそれをやらず、問い合わせてくる人にはけむに巻くような返事をしていました。あえて誤解させていた節も見受けられます。
「君は天然色」には少なくとも10曲以上のリファレンスがあると言われていますが、「Colour Slide」はその中でも特別な位置づけにあると思われます。メロディーやアレンジのみならず、松本さんの詞作にも影響を与えている節があります。
2021年3月に発売された「A LONG VACATION VOX」のブックレットには、極めて重要な資料が掲載されています。最近各種メディアで松本さんがお話されているエピソードも、一部修正によるバージョンアップが必要なことがわかります。
「A LONG VACATION」に収録された曲の、松本さんが最初に書いた手書きの草稿が紹介されています。「二次使用厳禁」と明記されているのでここでは引用いたしません。ほぼ草稿通りに採用された曲もあれば、一部のフレーズや言葉を書き換えている曲もあります。その中で「君は天然色」だけは、かなり大幅に書き換えられています。
「君は天然色」の草稿では「想い出はモノクローム」も「美しのColor Girl」も記されていません。「モノクローム」に近い言葉が使われています。ポラロイド、ディンギーは既にあります。
同ブックレットに掲載されている大瀧さんインタビュー(2011年2月)によれば、「(1980年の)夏も終わろうかという頃、そろそろ書けるかもと言って2つくらい来たのよ。でもね、なんだか妹さん引きずった暗い感じの詞だったから、まだ本調子じゃないなあと思っていた。」ということです。
レコーディング日誌のページには1980年9月2日に「カナリア諸島にて」の詞を受け取ったことが記されています。「良い出来!」と大瀧さんは賞賛しています。おそらくこの日、松本さんは「カナリア諸島にて」と「君は天然色」の草稿を提出したのでしょう。メディアで言っている「半年くらい何も書けなくて…」は「妹が亡くなってからちょうど3ヶ月何も書けなくて…」が正しいことになります。
「カナリア諸島にて」は、ネガティブな言葉をひとつ置き換えて採用されました。一方「君は天然色」の草稿を読んだ大瀧さんは、感心しつつもさすがに心配したのでしょう。松本さんの心理的ダメージはまだ癒しきれていないことから、大瀧さんは松本さんを気遣い、いきなり「これじゃ暗すぎるから書き直してくれ」などとは言わず、雑談しながらアイデアを出して行ったと推定されます。
「君は天然色」の仮タイトルは「Color Girl」だったという通説があります。ブックレットでもそう記載されているページがあります。しかし、大瀧さんがノートにメモしていたトラックリストには「Color Girl」の記載がありません。こちらは引用してよろしいのでしょうか。
M-1 Long Vacation
M-2 Summer Breeze(→Velvet Motel。アン・ルイスさんにこのタイトルで提供予定だった。)
M-3 Keep All Your Love(→カナリア諸島にて)
M-4 Hold Me(→悲しきWhite Harbor Cafe→白い港)
M-5 Conney Island(→山口百恵さん「哀愁のコニー・アイランド」のセルフカバーを計画していたがボツにした。)
M-6 Fun Time(→FUN×4)
M-7 When Have You Been(→恋するカレン)
M-8 Deck Chair(→スピーチ・バルーン。スラップスティックがこのタイトル、森雪之丞さん作詞でアルバム曲としてレコーディング。)
M-9 Leave Me Alone(→雨のウェンズデイ) ※8/11と記載。
M-10 Apple of My Eyes(→Big John)
6月5日にM-9の「雨のウェンズデイ」までオケレコーディングしたところで松本さんからの連絡により制作を一時中断して、本来の発売予定日だった大瀧さんの誕生日(7月28日)ごろ、8月から作業を再開することにして、これまでのストックを整理するために書いたメモと思われます。8月11日に「雨のウェンズデイ」を再収録することをまず決めたのでしょう。8月オケレコーディングの「Pap-pi-doo-bi-doo-ba物語」「我が心のピンボール」「さらばシベリア鉄道」はまだリストアップされていません。
そう考えていくと、M-1の「Long Vacation」は「君は天然色」以外にありえません。新しいアルバムを代表する曲という位置づけだったのでしょう。それだけに、松本には完璧な詞を書いてもらわないと…という思いはひときわ強かったとみられます。では、「Color Girl」はいつ現れたのでしょうか。大瀧さんの2011年インタビューでは「詞を発注する前にぼくが考えました」とお話されていますが…。それでは上記メモと齟齬が発生します。
以下妄想です。
1980年7月9日から12日にかけて大瀧さんと松本さんは軽井沢に出かけて、ホテルで打ち合わせしています。CBSソニープロデューサーの白川隆三さんも同席しました。白川さんはそこでオケレコーディングが済んだ曲を聴かせてもらいます。既に半分くらいできていて、とてもよい出来だったと証言されています。葬儀が終わって心にぽっかり穴が開いたような状態の松本さんを、仕事の依頼以前に気分転換させようと誘ったのでしょうか。軽井沢は松本さんにとっても思い出の地です。軽井沢のホテルで大瀧さんは、いつかまた書けるようになった時のためにと、曲ごとにどんな歌にしたいかというコンセプトを少しずつ話していったのでしょう。この段階ではまだ松本さんのほうからアイデアを出せる状態ではなかったと見られます。
M-1の「Long Vacation」は最重要楽曲で、どんな詞を書いてもらうかでアルバムの運命が左右されます。松本さんの思い出話を聞きながらかもしれませんが、大瀧さんは「Colour Slide」に思い至り、総天然色の映画のようなカラフルな歌にしようと提案したのではないでしょうか。旅先ですぐに音源を聴ける時代ではありませんから、その場では「Colour Slide」の具体名は出さず、大まかなコンセプトをメモしてもらうに留めたのでしょう。
9月に入り、松本さんが書いた草稿を見て「さすがは松本、俺の意図をきちんとつかんでいる。」と感心しつつも「これでは暗すぎる」と心配した大瀧さんが雑談中、「この曲はハニーカムズも入れているよ」と言いながら「Colour Slide」を松本さんに聴かせて、松本さんはそこからインスピレーションを得て「美しのColor Girl」のフレーズで締めくくることを思いつき、それと対比させる形でサビを「想い出はモノクローム」に変えて完成させた、とすれば筋が通ります。すなわち「想い出はモノクローム」は松本さんが最初から渋谷の街で思いついたフレーズではなく、大瀧さんがハニーカムズのレコードからヒントを出して、松本さんがその帰りか、もしくは数日後に渋谷に立ち寄った際にひらめいた言葉だったのではないでしょうか。詞が完成して大瀧さんが歌入れする時に「Color Girl」と通称で呼んでいた、が最も可能性が高そうです。お二人とも微妙に記憶違いされている節が見受けられます。(2011年インタビューでは、大瀧さんと親しくしていた大阪の輸入レコード店主が若くして亡くなったことを、松本さんの復帰後のようにお話されていますが、実際は7月31日逝去、レコーディング再開直前だったようで、そこにも記憶違いがあります。)
「文藝春秋」2021年5月号掲載の松本さんインタビューでは大瀧さんに関してもかなり「上から目線」で語っていますが、ちょっと”盛りすぎ”の感があります。私がこの記事で書いた推定がおそらく真実の経過に最も近く、大瀧さんは天で「俺がもう反論できないのをいいことに好き勝手言って!」と苦笑しているかもしれません。同誌で語っている、妹Yさん逝去前にはっぴいえんど風の詞を2つ書いて送ったというエピソードは大瀧さん側の資料には出ていませんが、「君は天然色」「カナリア諸島にて」とは全く別のものだったとみられます。また、「さらばシベリア鉄道」について「冬に詞を書いた」とおっしゃっていますが、オケレコーディングは1980年8月14日、ミックス完了は10月29日、萩田光雄さんがアレンジした太田裕美さんバージョンは11月21日発売ということを考慮すると、詞は遅くとも10月末までにできていて、「秋に書いた詞」が正しいはずです。
<参考資料>
「A LONG VACATION VOX」ブックレット(2021年、ソニーミュージックエンタテインメント)
Webサイト「Re:minder」 大滝詠一「A LONG VACATION」のレコーディングは「君は天然色」から始まった(2021年)