健太郎君「エリクサーをピンチのときに使わないのはおかしい」
決断の男は淡々とファイナルファンタジーを進めていく。ちょうど強い中ボスと対戦する場面にさしかかった。僕も苦戦したので良く知っている敵だ。
「こいつ強いぞ、落ち着いていけ」
そうアドバイスする。けれども、この中ボスをクリアしていた僕には何となく分かっていた。たぶん現在の彼のレベルではこいつを倒すことはできない。本来ならもうちょっとレベルを上げてから挑むべき敵なのだ。
「くっ、こいつ強い……!」
案の定、健太郎君は苦戦していた。みるみるとHPは減っていき、様々な魔法を繰り出すが次第にMPも枯渇していき何もできない状態に陥っていた。
ただ全滅を待つのみである。いよいよ絶体絶命となった時、彼はこう言った。
「まだいける!」
そう叫ぶとアイテムボックスを開き、あるアイテムを使うことを選択した。それは「エリクサー」と呼ばれるアイテムだった。
「ちょっと待て、貴様正気か!」
僕はついつい大きな声を上げてしまった。
エリクサーとはHPもMPも全回復してくれる物凄いアイテムである。完全に救いの神的なアイテムだ。
もちろんこの場面で使えば、瀕死のキャラたちも蘇り、また無尽蔵に魔法を使えるようになる。
ピンチの場面で使うべきアイテムだけど、それ故にものすごく希少なアイテムなのだ。
アイテムショップで販売しているわけでもなく、そうそう宝箱からポコポコ出てくるわけでもなく、大抵序盤で1個だけひょんなことから入手できて、あとはなかなか手に入らないレアな代物だ。
それをこんな場面で惜しげもなく使うなんて、気でも触れているのかと思った。
「なんで? ピンチじゃん、使うよ」
健太郎君はきょとんとした顔で言う。僕は拍子抜けした。彼は事の重大さを全く認識していないのだ。
「そんなピンチの度に使ってたらなくなるだろ。次いつ手に入るかもわからないのに。そもそもピンチになるってことはレベルと装備が足りないんだから出直して準備を整えるべきだ。エリクサーありきで攻略プランを立てるべきではない」
僕の必死の弁明も空しく、彼は何を言っているんだこいつと言わんばかりの顔をして普通にエリクサーを使った。あまりにあっさり使ってのけたのだ。僕はたまらず両手で目を覆った。もう見ていられなかった。
結局、健太郎君はその直後に中ボスを倒した。つまり、使わなくても対策して出直せば倒せた敵なのである。
なんともったいない。熱戦を終えて満足気な彼に食ってかかった。
「装備を整えて出直せばエリクサーを使わなくても倒せた。使うべきではなかった」
僕の主張に彼は反論した。
「その性能から言ってエリクサーはピンチを脱するために作られたアイテムだ。それをピンチで使わないのはおかしい」
「俺だってエリクサーがポンポン手に入るなら使っていく。ただ、いつ手に入るか分からないものを気軽に使うべきではない。使うべき時がくるまでとっておくべきだ」
「それでもピンチなら使う」
「じゃあ雑魚敵が相手でもピンチになったら使うのか」
「使う」
と完全に平行線で喧嘩みたいになってしまった。
最終的には「このエリクサー野郎!」「この保存野郎!」みたいな意味不明の罵り合いを経た後、喧嘩別れすることになった。
世界広しといえどもエリクサーで親友を失ったのは僕だけではないだろうか。
お前はきっと永遠にエリクサーを使えない
去り際に、健太郎君が僕の背中に叩きつけた言葉が妙に印象的だった。
「お前はきっと永遠にエリクサーを使えない」
「使うわ!」
僕は使うべき場面が来たら躊躇なくエリクサーを使う。失礼なことを言うな。使うべき時は使う。ただあの中ボスは絶対にその時ではない。
もうお前とは一緒に帰らない。会話すらしない。異様に腹を立てて家に帰ったのを覚えている。
もうすっかり暗くなっていた。あまりに腹が立ち過ぎたので家に帰って母親に「使うべき時がきたらエリクサーを使う」と高らかに宣言したほどだった。
母親もさぞかし意味不明で狂ったのかと思ったことだろう。
それからしばらく経って、僕は喧嘩の原因となったファイナルファンタジー3をクリアした。
結局、最後までエリクサーを使うことはなかった。
あれだけ貴重だと思われたエリクサーも物語が進行して終盤になるに連れて結構な頻度で手に入るようになっていた。
僕のアイテムボックスにはエリクサーが溢れていた。じゃあ、バンバン使えばいいじゃん、と思うかもしれないが、そもそも終盤になるとそんなにピンチに陥ることもなく、さすがにラスボスで使うだろうと思ったけどそこまで追い込まれることもなく、普通にクリアできてしまった。
結局、「その時」は来なかったのだ。
僕は激しい自己嫌悪に陥った。
確かに僕はエリクサーを使わなかった。いや、使えなかったのだ。健太郎君が言った通りだったのだ。
ただ、今更仲直りすることはできず、そのまま月日が流れ、終業式の日を迎えて健太郎君は「決断」の先へと旅立ってしまった。
最後にクラスの仲間とアドレス帳を記入しあうという謎の儀式があったが、それにも参加しなかった。僕は謝るという決断すらできなかったのだ。
*****
「それでね、離婚届を記入したの」
目の前の彼女の言葉でハッと我に返る。彼女は相変わらず自分の決断について切々と語っていた。
「じゃあ、あとは慰謝料の話とかして提出する感じ?」
全然話を聞いていなかったが、適当に話を合わせていると、彼女は不満げな顔をした。
また考えていた。どうして僕はこんな場面で健太郎君を思い出したのだろうか。
切々と離婚という決断について語る彼女の顔にあの日の健太郎君の顔がオーバーラップしていた。
「わたしは決断したらすぐだから」
カップの中身を飲み干しそう言った彼女を見て確信した。
そういうことだったのだ。彼女はエリクサーを使う人間なのだ。彼女にファイナルファンタジーをプレイさせたらきっと躊躇なくエリクサーを使うだろう。ピンチだよ、使う、そう言って使う。下手したらあまりピンチじゃなくても使うかもしれない。だから僕は彼女に健太郎君を重ね合わせたのだろう。
この世には、エリクサーを躊躇なく使える人間と、使えない人間がいる
この世には二種類の人間しか存在しない。
エリクサーを躊躇なく使える人間と、使えない人間だ。
もはやエリクサーはHPとMPを全回復してくれるアイテムではない。
先が見えない状況で「決断」できるかどうかを問うアイテムなのだ。生き方を問うアイテムと言い換えてもいい。
僕らは人生において常にエリクサーを所有している。
それを使うか使わないか、その決断は個人個人に委ねられているのだ。
彼女は僕に会う度、いつも不幸な顔をしていた。別れ、退職、転職、起業、撤退、結婚、その場面ごとに決断というエリクサーを使ってきたのだ。
そして今まさに離婚というエリクサーを使おうとしている。彼女は使ってきた人間で、僕は使ってこなかった人間だ。彼女の人生はとてもエキサイティングでドラマチックで、僕の人生はとても退屈なものだ、そう思う。
エリクサーとは人生における決断である。