泣き虫のお不動さま | ✧︎*。いよいよ快い佳い✧︎*。

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主人公から見ても、悪人から見ても、脇役から見ても全方位よい回文世界を目指すお話


 吊り上がった眉と、カッと見開かれた眼。への字に曲がった口から出ている牙のような歯。右手に剣を持ち、左手に縄を持った出で立ちをした神さまがいました。
 燃え盛る炎と共に現れて唸り声を出す姿は、たいそう勇しく、また、人々が恐れて逃げ出すような威圧感です。
 この神さまの名前は不動明王、お不動さまと呼ばれていました。

 そんなお不動さまは、実はとても泣き虫。
 
 雛鳥が巣から落ちて死んでしまっているのを見ては、かわいそうにと泣き、子どもが高熱に魘されている様子を見ては、かわいそうにと泣き、嵐で削れてしまった山肌を見ては、かわいそうにと泣く--実はそんな、涙もろい神さまだったのです。

 足元を這うミミズも、川の微生物も、森の動物も、人間も等しく、お不動さまの大事な大事な宝物でした。


「じゃあ、どうしていつもそんなに怒った顔ばかりしているの?」


 近所のお寺にやって来て、手を合わせながら少女は訊ねました。
 この町はお不動さまが守ってくださっているのよ、と、少女は物心つかないうちからお母さんに手を引かれて教わって来たのです。一人で外に遊びに出かけられるようになってからは、散歩の帰りや、お使いの途中で自然と立ち寄るのが日課でした。


「何故だと思う?」
「うーん……みんなが悪いことばかりしたのかな」
「いいや、違うよ」
「何か許せないことでもあるからかしら」
「惜しい!」


 少女は首を傾げ、ああでもないこうでもないと理由を探してみますが、どれも当たらないようです。


「お不動さまはね、自分に怒っているんだ」



 *



 神さまには掟がありました。

 それは、


 むやみに現世に関与しないこと。
 生命の寿命を変えてはならないこと。
 成長を妨げてはならないこと。


 実は、人間以上にとても不自由で、思うようにならないし、私欲を加えられません。
 
 常に平らな心で、揺らがずに物事を見て多角的に捉え、片方だけに味方をしたり力を加えたりしてはいけないのです。

 どんなに、目の前の小さな命を長らえらせてやりたいと思っても、荒れ狂う風を止めたいと思っても、それは摂理に反することになるからでした。

 そこでおいそれと変えてしまうようでは、神さまではいられなくなります。

 心のままに願うことが出来るのは人間だけで、神さまは容易く願えません。ただ黙々と、起きている事象を受け止めて、己の超越した力を迷いなく使うことだけしか許可されていないのです。


 だからお不動さまは、いつも自分に怒っています。

 折れてしまいそうになる自分の心を。

 剣で脅かして、縄で縛り引きずるこの手荒なやり方をしていなければ、共に打ちのめされて泣いてしまうから。


 助けてあげられなくてごめんね。
 痛みを取ってあげられなくてごめんね。
 長生きさせてあげられなくてごめんね。
 過ちを止めてあげられなくてごめんね。
 大地を、空を、海を無傷で守ってあげられなくてごめんね--


 掟を破ってしまうことがないよう、熱い炎を背負って自らを叱咤しながら、役割を全うし続けて来ました。


 どれほど愛しているか伝えたい。
 どれほど幸福を願っているか伝えられたなら。


 お不動さまの言葉は、人間には聞こえません。

 だけどそんなことよりも、助けを乞う声に副うことが出来ないことのほうが、お不動さまにとって耐え難いことだったのでしょう。


 強張る顔で笑顔を封印し、涙を押し留めました。


 動じない心でありたい、何としてでも。
 そんな覚悟ひとつを瞳に宿して……






「おかしいわ! だって、私の母さんはいつも教えてくれたのよ。この町は、お不動さまに守っていただいているって。みんなわかっているのに」


 作物の育ちが悪いときや、飢饉が蔓延したとき、太陽の照りが少ないとき……どんなときでもみんな、お不動さま、と手を合わせました。

 そして、感謝をしました。
 おかげさまで無事です、ありがとうございますと。


「うん。そうだね……お不動さまは、出来たことより、そうでなかったことばかり憂いてしまうんだよ。自分の心に甘さがあったのじゃないか、って」 
「そんな……そんなのって、あんまりだわ。じゃあお不動さまは、ずっと悲しいままじゃない。ずっと怒り続けなくちゃならないじゃない」


 少女は膝の上で拳を震わせ、声を詰まらせました。胸が張り裂けてしまいそうなほど、たまらない気持ちになって。



「うん。だからね、君は、君たちは、お不動さまのために幸せでいて欲しい。どんなに失敗をしたっていい。それでも歩み寄ることを忘れないで、命の呼吸に耳を澄ませて生きて欲しいんだ」

 
 お不動さまだけじゃなく、全ての神さまのために。それはみんな同じだから。



「……私に、道を開けてください」


 目の前で灼熱の炎が、赤々と燃え盛っています。まるで誰も寄せ付けないように。お不動さまの決意の表れのように。


「危ない!」
「危なくなんてないわ、だってお不動さまの炎だもの! お不動さまのことをずっと信じて守ってきた、あなたの炎だもの」


 迷いなく、少女は飛び込んで行きます。
 この紅蓮の炎を吹いている、カルラという名の霊鳥が、静止を促すのを振り切って。


「お不動さま! 私たちは、ちゃんとわかっています! 折った骨がすぐにつかなくても、枯れた木が元に戻らなくても、嵐で家が壊れてしまっても、大好きな人が二度と目を覚まさなくても……見捨てられたなんて思っていません! ちゃんと……ちゃんと届いていますから」

 
 優しいお不動さまが泣かないでいられるように、私にもあなたの心の安らぎを願わせてくださいと、少女は身を覆う炎のなかで叫びました。


 舞い上がる火の粉は、不思議と熱くありません。

 カルラがピィィィィ! とひと鳴きして、少女を背に乗せて飛びました。

 ありがとうと、声色の異なる二つの声を、遠ざかる意識の片隅で聴いたような気がしました。
 




「……だからおばあちゃんはね、お不動さまが入ることが出来ないところへ、代わりに行くの。おばあちゃんは人間だから、好きなように動けるからね。花を植えたり、お掃除をしたり、困っている誰かがいたら一緒に考えたりね」


 皺だらけになった手で、今日もお不動さまに手を合わせます。

 今もまだ、泣いていますか?
 怖いお顔のままだから、まだ自分に怒っているのですか?

 少しは安らぎを得る一助に、私はなることが出来ましたか? と、心のなかで訊ねながら。



「お不動さま、笑ってるよ!」
「本当? ああ、ああ。良かった……ありがとう」


 愛しい孫の小さな手を眺められるこの幸せを、きっと喜んでくださっているでしょう。

 ピィィィィ! と、いつの日か耳にしたカルラの鳴き声が、小さなお堂で木霊しました。




おしまい



【泣き虫のお不動さま】




お読みくださり、本当にありがとうございましたキラキラ