なんでも、追うとだめですよね。


これ、糸井重里さんと山口さんがラジオで話してた時に出た言葉です。完全に正確じゃないけど、意味は一緒だと思います。



僕の実体験でも、追うとダメなんですよ。

本当に追うとダメ。



なんでも、追うとダメです。



よく願望実現が、上手くいかないのも、

ほぼこれなんじゃん?

と、思います。



言い過ぎかもしれないけど、

僕の人生で追って物理的にも上手く行ったことないですね。マジでないと思う。



どうしてもこれを実現させたい!!

とか、やってる時に、

上手く行ったこと一度もないんじゃないかな。

むしろ逆に逆に行った気がする。



それが、


人間関係(恋人)

環境

お金

働き方

数字



これ、マジでなんとか実現させたい!!

って思ってる時、マジで上手くいかない。



そして、メンタル的にも健康じゃない。

何かを追ってる時ってダメですよ。

ずーっと、それにとらわれちゃうし。



別名、これ執着ですね。



執着してる時はダメ。

でも、執着って、気合いで取れませんよ。

無理でしょう。思考では。



そこで、僕が頼りにしてるのは、

いつだって、ホ・オポノポノです。



その執着を生んでる根本的な原因(自分じゃわからん)を、クリーニングしてもらう。



即効性はないですが、

淡々とクリーニングしていく。

そうすると、不思議ですけど、



「追う」姿勢が変わってくる。



、、、


どうでもいいか



と、思えてくる。



そうすると、その実現させたかったこたが、

実現することもあるし、ないこともある。



でも、執着とれてるから、

どうでもいいと。



で、なぜかその通りにならなくても、

その願望より上手くいくことが、

結構というか、かなりありました。



これは、言語化は難しい。



でも、本当に「追うとダメ」なんですよね。



理屈はわかってても、

日々生きていれば、まあ、

出てきますよ、執着。



自然ですよね。執着。

出てくるもの。

普通に出てくるものです。



だから、クリーニングするのだと。

ある種、執着出てきた時は、

チャンスですらあるのだと思います。



心地よくなかったり、嫌な気分になったりもします。

でも、執着出てくる時は、クリーニングするチャンス。



でも、このスタンスとるには、

自分の中に優しい意識育てとかないと、

結構きついかもな、と思います。



優しい意識を育てておかないと、

不快な感覚をただただ排除しようとしたり、

執着する自分を否定してしまいますからね。



そうではなく、まずはその執着が出る自分を

丸ごと包んでやらないといけません。

追うのはダメだけど、追っちゃう自分は許す。



そこで、やっぱり出てくるキーワードは、

僕は「かわいい」ですね。

追っちゃう自分かわいいなあ。と。



その上でポノりますね。淡々と。

すぐには消えなくても。淡々と。

追っちゃう自分に寄り添いながら、クリーニング。



事実よりも、実は

執着が苦しみをつくってます。

クリーニングするチャンスはそこら中に。