随分と自分にひどいことしたなあ


と、思うことがあります。



それは、理想ギャップ責めですね。

理想→こうありたい、ああなりたい。



それからのギャップと感じて、

ガッカリして、そうなれない自分を責める。

あるいは、自分の人生を責める、と。



理想とのギャップだから、

それは満たされることは、

そこに到達するまではないと。



自分の「今、ここ」を否定し続けることになってしまいます。



ギャップの分だけ満たされない。



いやいや、もうそれなら理想は捨てて、

今をめっちゃ喜べたなら。

じぶんという存在を許せたなら。



もう、



幸せですよね。



何かを得るから、勝ち取るから、

誰かよりも優位に立てたから、

望んでたものが全部実現したから、



幸せ。



ってしんどくねえ?



ということだなと。

自分に対する優しい意識を育てていく中で、

改めて気づいて来てます。



かわいいという言葉で、

自分のしょぼさを愛でるのも、

やっぱこの理想ギャップ側の現実の

自分というものを愛でる行為なわですよね。



〇〇になったら


という条件付きの愛情はかえって冷たいです。



めっちゃ自分に厳しい。


そして、

〇〇にならなくても幸せは感じられると。



理想の状況になっても、

それを楽しめる味わえる感覚がなければ、

活かすことは出来ません。



理想にならなくても、実は今ここの

楽しめること、嬉しいこと、喜べること。


それを味わった瞬間に味わえるもの。



まして、その理想とのギャップと対比して、

自分責めしてしまうなんて、もったいねー!

って思いますね。