最近、自分が逃避して来たものと

向き合うということが、多くなって来てます。



一つは、最近の記事で何度も書いている

被害者意識 自分悪くない


と、


最新の気づきとしては、


冷たさや負の部分を受容する


というものがあり、

さらに一歩進んで、否定していたこと



それは、苦痛な感覚です。

これは、マジで拒否して来た。

苦痛な感覚がなくなるように、なくなるようにと。



不快な感覚がなくなる様に思考を使い、

自己受容をしたり、

あれこれと対策を立てて来たと。



でも、その苦痛な感覚に対して投げずに受け入れる。

受け止める。それが、本質的な自己受容なのではないか。



全承認の呼吸として、

自分の全てを受け入れつつも、

苦痛だけは排除ー!!!


としてたと思います。



苦痛、不快、罪悪感、不安、心配、弱さ、屈辱感、悔しさ、無力感



などなど、、、



感じたくない感情はわんさか存在します。



でも、それを拒絶しながら、

環境だけ整えて、安心しましたー!

というのは、存在しないなと。



真の安心とか、安らぎって、

先ほど挙げた負の感情たちを受け容れている

状況なのではないか? と、思うのです。



これは、正直辛い。



だって、不快な感情、感覚なのだから、感じている間は深いじゃないですか。笑



でも、実はここから逃げ惑う心理というか、

姿勢の方が実は辛かったりするんです。

ずっと、正体不明の存在に怯えている様な。



そうではなく、よし!

家に入れ、ゆっくりしてけ!

とすれば、案外その正体は見えて来たり。



そして、そいつ長居することもあるかもしれない。笑

でも、拒否、否定をしていないから、

そういうものだ、として生活できたりします。



拒否、否定している者の数ほど、

実は苦しみは増幅していくのではないか?

実感地としてはまだ感じられてないのですが、

そういう仮説を元に苦痛と向き合おうと思います。



嫌だなー。とずっと感じていたこと、

拒否し続けて来たことを思い切り受容する。

それでよし。いてよし。と。



いてよし、は安心の言葉だ。