ある人が何かを評価する時、
その人がすでに持っている経験や価値観をもとに
判断をすることになります。
1000人いれば、1000人分の価値判断があります。
そうすると、〇〇と思われたくない。
あるいは、〇〇と思われたい。
という思いがあるとすると、
トンデモ理論で実現不可能ということになります。
誘導までは出来ても、
〇〇と思われないも、思われるも、
コントロールは不可能です。
〇〇には、
バカと思われない様にする
みたいなことが当てはまったりします。
バカと思われないために色々な努力しても、
最終的には相手の総合的な価値判断になるため、
コントロールは不可能です。
それでも、バカと思われないために、
いろいろと無駄な努力をしてしまうのも人間です。
これから空を飛ぶ。舞空術を使う!
と、言われれば、トンデモ理論であることはわかるので、そうかそうか、と優しく抱きしめてあげればよいです。
でも、「バカと思われたくない」は、
舞空術に比べて、トンデモ理論に見えにくくなります。
舞空術使えるって言ってるのと、
バカと思われない様に出来ます!
は、同意語だと思えたなら、
余計な努力はする必要がなくなります。
では、何をしていけば良いか、
とてもシンプルな結果に行き着きますが、
「自分でいる」ということと、
「その自分で出来ることをする」を
していくしかない。
ということ。出来ることをする。
以外に出来ることは、本当はありません。
それ以上はコントロール不能の世界に入るので、
それ以上までは考えない。
このシンプルさを持てると、
結構楽になるし、不要なことを考えてた
こともわかって滑稽になります。
他人をコントロールすることは、
舞空術の領域だと考えてみてください。
これは遊びになります。
あの人ってこちらをどう思ってるのかな?
って思ったら、すかさず、舞空術を浮かべてください。
滑稽でバカバカしくなりますよね。
舞空術が微妙なら、
どう考えても無理なことをイメージしてください。
身長3メートルにするとか、
かめはめ波打てるとか、
明日にはオリンピック選手になってるとか、
滑稽なまでにそれ無理だろ。
ってことは他人の意識をコントロールすることと
同じであると変換すると滑稽だと思えるので、
考えることをやめられます。、
〇〇と思われようとするのは、
舞空術と一緒。
舞空術を目指すのも良いですが、
舞空術は無理ですからね。笑
捨てるべきものを捨てると軽くなる。