年々、野心というものが減って来ています。
野心という名の自我。
〇〇になってやる的な。
そういうものは若い頃には必要なのかも。
でも、散々それやろうとしても、
ちっとも思い通りにならない。
思い通りにならないけど、
自分に合った道には導かれてる。
と、いう不思議なことが続いたからでしょう。
おれの画策は意味ねえな。、と。
画策した通りにならないどころか、
画策しない方向の方が自分に合った方向が示される。
これまで選択に迫られて、
決断もして来たけれど、
その決断すら自分でしててるのかも
若干怪しい。
自分で決めているけど、本当に自分で決めているのかなあ。
というか。
だから自我が入って来ることって、
本当に大したことねえなあって思うようになりました。
僕の視点で決める小賢しい策略よりも、
「いつの間にかそうなっていた」だとか、
「なんだかそういう流れが生まれたぞ」という
ことの方が、本質的な正解を知っている気がするのです。
10年前に
自分が家族をつくっているとも思ってないし、
広告の仕事をしているとも思っていないし、
娘がいるとも思っていもいませんでした。
その都度必要な最適化が行われて、
今がある様に思います。
だから自我を捨てて、流れに身を任せる。
改めてその根幹を支えてくれているのが、
ホ・オポノポノの様に思っています。
幼少期にスピリチュアルをゴリゴリ押し付けられる
家庭で育ったため、スピリチュアルのことは、
表面的なことを見て来ましたが、
最終的に自分で目的地を定めないホ・オポノポノが
一番自分に合っているなと感じています。
引き寄せの法則でも、
他の願望実現の話でも、
自分の望んだものをなんとか引き寄せる!実現させるぜ!
というのが、主眼となっていて、
それもやってみましたけど、
先ほどの画策と同じで上手くいきませんし、
全然楽しくありませんでした。
思った通りに進まない方が面白いし、
そっちの方に自分よりもすごい正解を持っている
となれば、自我でコントロールをしようという気も起らなくなります。
がっかりしたり、
めんどくさいなあと感じたり、
どうなっていくんだ?
っていう思いすら、ホ・オポノポノでクリーニングをしていく。
そうやっていろいろな記憶がクリーニングをしていくと、
自分でもわかっていない合っている道がつくられていく。
でも、
どんな風な道が作られているかも、こっちは分からない。笑
直近では娘の誕生が大きなインパクトでした。
正直僕は子供はそんなに欲しくなかったし、
子どもを育てるのは、マジで時間なくなるし、
ハードだなあと感じています。
でも、昔より幸せの実感が高まっているのです。
夫婦で自由にやっている時より。
これ、僕の自我というより、流れでそうなった感じ。
悪く言えば、流されたって感じなんです。
それなのに実感が変化して来ているということ。
この先僕の歩く道がどっちに進んでいくのか?
というは当然ながら読めません。
へえ、そっちに行くんだって方にいくんだと思います。
これは僕の個人的な感覚なのですが、
他の人にもこのスタンスはいいんじゃないか?
って思って改めて書いてみました。
このスタンスでなんとなくやっていくのは、
結構勇気がいりますが、ホ・オポノポノは、
強力な味方になります。
唯一とっても良いくらい、
実感として自分の人生を好転させてくれた
スピリチュアル的なものだなあと思っています。
自我は捨てて、
わからないを楽しんで。
これって実は遊びになる。