生きているといろんなことがあります。
そして、その全てを記憶することは、
人間の機能上、不可能です。
そして、いいことと、嫌なことが
あった場合、どっちを記憶しやすいかというと、
嫌なことの方です。
それは、人間の脳は、
嫌なこと=危険信号ととらえるため、
そちらを記憶しておいた方が、
生き残ることが出来ると本能的に
刻まれているから。
そして、獰猛な動物に襲われたり、
戦争ばかりの人類の歴史の中で、
嫌なことを記憶すること、反応することは、
以下残ることに必須の要素だったのだと思います。
しかし、現代。
安心なんてしきれない
世界ではありますが、
嫌なことを優先して記憶する反応は、
かえって生きることの足を引っぱる様になりました。
一方の、いいことの方は
せっかくあっても、すぐに忘れてしまいます。
衝撃的な感動は覚えているかもしれないけど、
それ以外の些細な「いいこと」は、
どんどん記憶から廃棄されてしまいます。
一方で些細な嫌なことは、
廃棄されず、時に事実まで捻じ曲げて、
残存されていくという。
さらに、引き寄せの法則などで語られる
自分の状態と同様のものをが現実に現れる
幸せなエネルギー状態に接続した方が良い。
ということであるのなら、
嫌なことを覚えていく、
嫌なことストック型の頭の使い方は、
幸せに生きる法則には合ってない。
ということになります。
でもさぁ、
散々恐怖対応してきた脳が、
幸せなエネルギーに接続しないと、
それに合った現実を生み出せないとか言われても
いきなり対応できるわけねえ
わけで。
恐怖、嫌なこと記憶脳→幸福な脳の使い方
は革命に近い変化なので、
ほぼ左折することは間違いないと言って良いでしょう。
理論的には正しくても、
その人の状況、状態では、
出来ないことが沢山あります。
理論的には
毎日歩いて、運動した方が良い
と、分かっていても、
骨折してる人は、骨を治すのが先決。
ネガティブなことを発見しやすい
脳になってるってことは、
骨折してるのとあんま変わりません。
だって今はネガティブに反応する脳なんだし、
生まれ持って、反応しやすい脳の場合もある。
最近、巷で一気に有名になったHSPとか。
僕もテスト上ゴリゴリのHSP。
だから、ほぼ忘れていく「いいこと」は、
記録しておかないと、
自動的に記録される「嫌なこと」に、
書き換えられちゃうんです。
多くの人にとっては。
「いいこと」は、記録して振り返る。
くらいがちょうどいい。
感謝!とか、にすると、
嫌な気分になるなら、
いいこと、小さなラッキーを書いておく。
嫌な1日だったなー、
と、漠然とまとめがちな1日も、
振り返れば1つや、2つ「いいこと」も、
起きてたりします。ほんと些細なことね。
誰かの挨拶感じ良かったなーとか。そんなこと。
そういうことは、
記録しておかないと、忘れていきます。
そして大切なのは、「振り返る」。
まず、記録しておいて、時間を置いて振り返る。
そうすると、
結構いいこと起きてるやん。
という日々に見えてきます。
嫌なことも具体的にアレもコレもと、
実際は記憶できなくて、漠然と嫌なことあったなー
と、思ってることが多いです。
だったら、「いいこと」も、
記録しまくって、忘れた頃に振り返って、
けっこう「いいこと」も多い日々だなー
と、漠然とした認識に書き換えていけば良い。
そして、記録してると、
記録しようという意識が高まるので、
「いいこと」もすこーしずつ、
発見するのが早くなったり、
「いいこと」のハードルが下がったりします。
よく使う脳の回路は強化されてしますから、
そこの道路が、開通していくというわけです。
だから、ポジティブになろう!
と、気合入れるよりは、
「いいこと」を1日3つでも記録した方が、
ポジティブ脳にはなりやすくなります。
幸せなエネルギーへの接続回数が、
増えれば、目の前の現実が変わるなら、
この地味ーな習慣を板につける方が、
革命を起こすよりも大切だと思っています。
だって、習慣にしないとすぐ元に戻るからね。
セミナー的なことで、
人が変わらないのはそういうことで、
日々の地味な積み重ねでしか、
変わることは難しいってことですねー。
嫌なことは、自動的に見つかってもいい、
いいことは、意図的に見つければいい。