人は期待する生き物である。

 

これは、大前提とするのだけれど、

期待値はなるべくなら下げられたら呼吸がしやすくなります。

 

〇〇になったら良いなあ

 

が生まれた瞬間に〇〇じゃない時のガッカリが、

きちんとパッケージされています。

 

 

でも、何かやるってことは、

必ず、期待外れがついてまといます。

 

 

期待はずれがついてまとうが故に

そのがっかり感を味わいたくなくて、

なんもしなくなっちゃう。

 

 

そんな空気がふわーと漂っている感覚があります。

 

 

失敗(思い通りじゃない事象)に対する見方なんだろうなあ

とそれを考えると思うわけで。

 

 

例えば、エジソンが失敗に対して重いとらえ方をしていたのなら、

1万回もトライは出来なかったと思うのです。

「1万通りのうまくいかない方法を発見しただけだ」っていう、

やせ我慢にも見える様な名言がありますが、

本人はきっと本当にそう思っていたんだと思います。

 

 

まー、次、やってみようぜ。

 

と、いろいろ工夫することそのものが

面白くなっているので、「結果」に対する

重い期待がなくなっていたのだと思います。

 

 

期待値を出来るだけ下げた上体で、

ただそのことにあたる。

そして、なんならそのことそのものが面白いなら、

すでに完結しちゃっていますから。

 

 

自分が何かをするのでなくても、

美味しいと聞いたラーメン店に行く。

期待値を下げた状態で行ければ、

美味しければ、もちろんOKだし、

美味しくない、もしくは、普通でも期待値との

ギャップは大きくなくなります。

 

 

意図的に事前に期待値を下げておくというのは、

予防線を張っている様に見られて、毛嫌いされたりますが、

予防線でもなんでもいいじゃんと思います。

動ける方が、新しい経験値が増えるわけだから。

 

 

何かを始める前に足踏みしてしまうのは、

かなり高い確率で、「思ってたのと違う」、しょぼい自分を

感じたくないからで。

 

 

でも、「もともとしょぼいもんだ!」

と思えていたら、そこからのダメージは減るし、

しょぼさを体験すればするほど、

初動のしょぼさに対するハードルは下がっていきます。

 

しょぼいものが出来る方が面白いとしたら、

すでにすごいものが出来ちゃってますからね。

 

「しょぼさ」をもっと愛せたら、

本当に行動に対するハードルは下がるのになあ。

って感じます。

 

面白いのは美談よりも、失敗談ですからね。

 

で、結局何回もやってると、

残念ながら、大概のことはそこそこ上手くなっていくもんです。

しょぼいままでいさせてくれないんです。

 

そして、一番有名な名言

「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」て、

 

日本人って努力好きだから、

無理やり努力って翻訳してるんじゃないか?

って、思って原文調べてみました。

 

Genius is 1 percent inspiration and 99 percent perspiration

 

perspirationって汗やん。

 

汗かく、手を動かせってことですよ。

僕らがイメージするような努力じゃない。

苦しみながら何かをするんじゃなく、

何かいろいろ試す=汗をかく。

 

ってことなんじゃないかなあって思います。

 

そして、別の名言見てみると、

こんなものだってありました。

 

I never did a day’s work in my life. It was all fun.

 

私は一日たりとも、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないからだ。

 

 

これ、歯を食いしばって1万回失敗した人の話じゃないですわ。

こっちの方が日本人が知っておきたい名言な気がします。

 

しょぼさを愛せた方が、無敵な感じがします。

そして、いつしかしょぼくなくなっちゃう。

 

無限のしょぼさとの出会いは、

自分の色をつくっていく。