なんでもそうですが、



ぜんぶは無理です。



すべてのものごとを知ることも無理だし、

すべての人に出会うことも無理

すべての才能を得ることも

すべての人々に支持されることも

すべてのものを得ることも




どんな富豪でも、天才でも、

いいやつでも、アスリートでも、勤勉でも、



ぜんぶは無理です。



そもそも僕らが見ている空間の情報だって、

全てを認識できてるわけじゃありません。



脳はすべての外的情報を摂取すると、

爆発してしまうそうな。




僕たちはどこまでも、

限定的な世界を生きているということ。



まあ、最終的に死ぬってことも、

限定の中を生きていることがわかります。



限定の中に生きているというのに、

わざわざつまんない物を選んでます。



と、聞くと、



もったいな



と、思うかもしれませんが、

案外、そういうことをしています。



人間関係でも、

わざわざ好きでもない人と一緒にいる



ってザラにあるわけです。




さらに言えば、


こいつに?

というどーでも良い人に好かれようとしてしまったり。





どうせ自分の人生の時間を使うなら、

相性の良い人といたいなと思います。





相性は嘘をつけないので、



相性の良い人といると、居心地がいいし、

相性の悪い人といると、居心地がわるい。



というかんじで、

体が反応してくれます。



そして、

じぶんのことを好きでいてくれるのは、

相性の良い人です。



じぶんのことがどうでもいいと思う人は、

相性が普通くらいの人です。



じぶんのことが嫌いな人は、

相性が悪い人です。



かなりざっくりと説明してしまいましたが、

こんなものだと思います。



だとしたら、




相性の良い人といた方が良い



ことがわかります。



相性が普通以下の人から、

好意を持たれようというのもやめて

しまった方がいいです。




と、思うと、

他人に好かれるとか嫌われるも、

その人の価値とかではなくて、



単なる相性だった



というシンプルなことがわかってきます。



あれ?無理して好かれるの無理じゃない?



ということがわかってきます。



身近な人だけじゃなくて、



好きな有名人や、アイドルとかにも、

その人との相性がある気がします。



最近よく謳われている、


共感社会



というのも、見ず知らずの人とも

相性の良い方にいこう


という流れの様に感じます。



相性が良い方にいこう



こう決めるだけでも、

視点が相性が良い方に目が向きます。



そうしていくと、

わざわざ相性の悪い方に意識を向ける

必要がないどころか、向けるだけ



もったいな



ということも実感できます。



相性が良いかどうか



ということで世界を見ていくと、

世界のどこかにまだまだ相性の良い人やものごと

が隠れていると考えると楽しくなっても来ますね


 

ここまで読んでくれてありがとうございます。

 

限られた世界で、じぶんで相性が良いを選ぶ。