どんな自分になりたいですか?
そういう質問があれば、
自然な心理からいけば、
カッコいい自分
デキる自分
頭がいい自分
愛情深い自分
優しい自分
まあ、わからないですけど、
どこか有能周りのことを思い浮かべやすい
傾向にはあるのではないでしょうか。
それは、社会的な「成功者」とされる人の
モデルや人間としてのこうあって欲しいといった、
道徳観念からも、想定されやすいわけで。
なんでそれを想起しやすいかというと、
そういう風に「教育」されてるということと、
社会的な大多数の人が同じことを信じていたりする
からなのだと踏んでいます。
で、僕はこの1ヶ月というもの、
上記の様な人間像の反対側の自分。
むしろ、その要素の方が多い自分を
徹底的に許して来ました。
とにかく、言葉にする。
なんでこんなことが出来ないん、、
許す、許す、許す!
と、すぐかぶせていく。笑
あー、もっとこんな自分だったら、、
許す、許す、許す!
と、有無を言わさず、許していく。
他人に対してなんの愛情もわかねー
許す、許す、許す!
と、どんな心の状態や姿勢もすぐに許していく。
大切なのは、たった今の自分を
そのまんま許すということ。
有無を言わさず許す、
許し屋を自分の中に宿す感覚でしょうか。
これ繰り返すと、、、
安堵感、安心感
が、生まれます。実体験として。
なんでも、許されていくと、文字通り、
硬直していた心がゆるみ、ほぐされていきます。
人生で一番対話するのは、他人ではなく自分。
このセルフトークが、責めや攻撃だったら、
すげー、嫌味言ってくるやつと同じ部屋に
住んでるよりしんどいことになります。
ですが、現状の日本の教育だとか、
雰囲気って、このルームメイトを頭に宿しがち。
新しくルームメイトになった許し屋さんは、
まー、許してくれる。
しくっても、上手く行っても、
自惚れても、冷静でも、
どっちも許してくれるわけだから。
何か、自分の中に基準があって、
それをクリアした時だけ許してませんか?
自分の中の森羅万象を許す。
これやってると、だんだんとダサい自分が、
かわいく見えてくるものです。
この程度しか出来ないし、
しょぼいミスは度々。
変わろうとしても、まー、変わらない。
目標立ててもおざなりで、
素っ頓狂な発言もしばしば。
な、自分の方がかわいく見えて来るのです。
しょーがねーなーとか思いながら。
これって
1番欲しかった目線じゃないのかな?
と、思います。
ラッキーな人は親からこんな目線で育てられます。
もっと大きく言えば、
ソースの視点なんですよね。
全肯定だから。
自分を責めてしまう人は、
どうしても、大概は親が起因してますが、
なんらかの基準を満たせない自分を責めてます。
100点取らないと意味ないくらいな
ハードな目線で見てたら、そりゃきついです。
でも、責めてしまう自分すら許す。
あっ!また責めちゃったよー
許す、許す、許す!
でかぶせてく。
そうすると、正解、不正解で世界が見えてこなくなるので、100点も25点もどっちもOK!
と、なっていきます。
そもそも今の自分がサイコーなんだから、
「何かになる」必要はないのです。
そのかわり、やりたいことをやる。
こっちのほうが良いなと思います。
間違いなく未熟なままで、
誰もが死んでいきます。
だとしたら、未熟な自分がかわいいし、
未熟な自分のままこの世界を味わいつくす。
そのためには本当、笑えるくらい
たった今の自分を許しちゃう。