楽しくねー
って感じる時は、「正しいこと」をやろうとしているから。
世界は正解に満ち溢れている。
あれが、正解。これが不正解。
教科書に載っているものから、
誰が決めたんだよ!?ってものまで。
それは本当に正しいのか。
いや、正しくてもいいんだけどさ。
自分なりの正解を見つけたいよね。
長いこと「成功者」ってモデルがあった。
大金持ちで、タワマンに住んで、高い車持って的な笑えるモデルケースがあった。
本人が満足していればいいけど、
してない場合もあるだろう。
他人から見て、別に羨ましくねーって
思われる対象の心の中が、一般的な成功者より、
満たされてました!なんてコントはあるだろう。
自分なりの「幸せ」を見つけちゃった人は強い。
成功者を目指すと、どうしても外的な条件を集めることに終始をしてしまう。
そうではなく、「たった今」、自分が見つけられる満足感やら、幸せやらを発見する「感度」を高めることが最も大切なことなんじゃないだろうか。
やりたいことに敏感になる。
正解かどうか、正しいかどうかではなく。
今、どうしたい?
の感度を高めていく。
その延長線上に何が起業したいという
欲求が湧いて来たり、何かを作って伝えたい
という感覚が湧いて来たりすれば、
それをしていけばいい。
そこをすっ飛ばして、成功だけ求めたり、
正解という名の元に、誰かに認められようとしたり。
心に嘘ついて無理して得ても、それを維持するコストは色々な意味で大きい。
将来のことなんてわからない。
見通せてるように見えてる人も、見通せるわけない。
予測は出来ても、見通す事なんてできない。
計画は、どんどん壊れていくだろう。
だとしたら、流れを読みながら、水の様に
導かられる方に進んでいく方が良いのではないか。
「わからない」ということを「わかる」。
そんなことができれば、
無理やり心を動かして努力をするより、
やりたいことへの選択回数は確実に増える。
羅針盤の様なものがあるのなら、
やっぱりそれは「心」なのだと思う。
どうしたい?
この質問を反復していく。