本音で生きるよろこび。


自分の気持ちに嘘をついていると、
いつのまにか、腹の底に怒りがたまる。
表面上は笑っていても心では相手をにらんでる。


生存戦略として、選んだ「いい人」の演技は、
あまりにも副作用が強いのだ。



八方美人という言葉がある。


誰にでも好かれたいということだ。
僕はまさにそれに当たるような人間で、
誰にでも好かれたかった。


しかし、その「誰にでも好かれる」というのは、
一時的に生まれることはあっても、維持することは、
ほぼ100%の確率でない。


なぜか?


それは、それぞれに大切にしていることが違うから。


存在しているだけで、誰かを傷つけたり、誰かを怒らせたりしていることだってある。


反対に存在しているだけで、誰かを喜ばせたり、誰かをホッとさせていることもある。


つまり、価値観が無数にあり、大切にしていることが、それぞれに違うから、自分で生きようと、生きまいと、「ムカついてる」ヤツは、必ず出てくる。


誰にでも好かれたいは、それをこっち側に向かせることだ。


たとえば、誰からも好かれる売れっ子芸人の代表と思われる明石家さんまさん。


しかし、実際にさんまさんが出演するテレビ局は偏っている。NHKは、ほとんど出てないし、テレ朝でさんまさんの姿もあまり見ない。


もちろん、全ての局に出れないという物理的な時間もあるだろうけど、やはり先程の局には、なにかが「ハマらない」のだろう。


誰からも好かれているように見えて、決して100%じゃない。むしろ、個性が強い方が、存在しているだけだ嫌われることだってある。


つまり、個性を抑制して、目立たない様にして、嫌われない方法を探って来たわけだよね。僕のような弱者の戦略としては。


でも、そんなことしても、嫌われるんだよね。笑


そう。嫌う奴は必ず嫌う。
媚を売ろうが、本音で生きようが。
初めから答えの決まっているクイズに
答えているようなものだ。



だから、本音で生きる方がいい。


そして、本当に信頼できる仲間を1人、1人と増やしていく方が良い。



1000人の有象無象より、
1人の信頼できる仲間の方が本来大切だ。


承認欲求が強いと、
僕のように1000人の有象無象に褒められたり好かれたりした様に錯覚をすることで、承認欲求をみたされた、ような気分になるのだ。


しかし、それらはとても脆い。
だから、得られた評価や賞賛を失う恐怖は
消えないのだ。クソ辛いですよね。



いい人の演技はすぐにはやめられない。
板についているからだ。
はい、今日から右手で箸使うの禁止ー!
って言われるのと一緒だからだ。


だから、殆どの時間は自動的に演技をしてしまっても、ほんの数秒ないし、数分は本音で生きる。
左手で箸を持ってみるということだ。



そして、右手を使ってしまうことを否定しない。
いや、そりゃー演技しますわねー
ってそこはそこで、許容しながら、左手を使う。



理屈よりも、繰り返し小さな変化を繰り返す方が、
変化を起こしやすい。


どうやって左手で箸を使えるのか?
と、論議してるよりも、
しのごの言わずに数秒の左手の箸体験の方が
左手で箸を使えるようになる。


要するに人が変わるって、「習慣」が変わって、
脳のパターンを変化させてしまうことなのだと、
僕は思うようになった。


だから、今まで他人にどれだけ媚びへつらって生きてきたとしても、それが嫌なら、その生き方は変えられる。それは、ほぼ100%の確率で。


承認欲求を勉強していくと、
結局「脳」の習慣に行き着くから。


だから、一つ二つ、今までやって来たことと、
逆なことを1日に取り入れていく。


本当に笑っちゃうくらい小さな変化でいい。


まずは、それに慣れ親しむこと。


僕の場合で言えば、
日常に本音を取り入れていくこと。
いつもだったら、頷いていたところを、無表情で見つめるとかでもいい。笑


1000人の有象無象ではなく、1人の信頼できる仲間


後者を増やしていくには、どうしても「本音」が必要。


だって、自分が「好きだ」と思わないと、
仲間として一緒にいられないもんねー