マンガやアニメなどにおいて、なにかと人気があったりもした【ツンデレ】【クーデレ】【病んデレ(ヤンデレ)】といったデレ(恋愛・好意)の要素になにかが組み合わさった性格。
知己(自分)が、これらについて心理的な考察をしてみたものを、この記事では、まとめます。
あくまで、知己(自分)個人の考察の観解のひとつであることを、あらかじめ了承してください。
指摘・意見などありましたら、お知らせしてください。



・ツンデレ



恋心など好意のあるひとに対して、甘えたかったりデレているつもりでも、なにかとツンっとした態度をとって、強気な感じに強がる傾向のあるツンデレ。
なぜ、素直にデレることができなくて、ツンっとした態度が出てきてしまうんでしょうか?

それは、"強がる"っていうこと自体の経緯や意図の部分が物語るとおもいます。

それで…なぜ、強がる必要があるのか?

それは、自分を強く観せたいためでも、あるとおもいます。

それで…なぜ、自分を強く観せたいのか?

それは、自分の弱さ、弱点を隠したいという意図に繋がるとおもいます。

弱点といった、自分の弱さにつけ入れられる要素を隠したいために、強がってツンっとした態度をとるようになる。

そして、ツンっとした態度をとり、素直に素のまま直ぐにデレたい気持ちを表現できなく、素直になれない…実は、そこには、警戒心や不信といったココロの要素が、隠されていたりする場合があるとおもいます。



・クーデレ



恋心など好意のあるひとに対して、甘えたかったりデレているつもりでも、なにかとクールな態度をとって、涼しげな感じに冷静な傾向のあるクーデレ。
なぜ、素直にデレることができなくて、クールな態度が出てきてしまうんでしょうか?

基本的に、ツンデレと、個人の性格の違いのことで、ツンっとした態度になるか、クールな態度になるかくらいの違いが出るくらいで、ツンデレとクーデレは、あまり大きな違いは、ないとおもいます。

自分のココロの弱い部分を付け入られないように、冷静沈着でクールな大人びた態度で、その弱い部分を隠していることになるとおもいます。

素直に素をまま直ぐにデレたい気持ちを表現できなく、素直になれない点もツンデレと同様。

ツンデレとクーデレは、普段、その強気な威勢や、おとなしい冷静さで、警戒心や不信の強い本来の気持ちの部分を、素直に表すことができず、隠してしまう傾向があるようです。



・病んデレ(ヤンデレ)



病んデレは、ツンデレやクーデレと、まるっきり性質が違い、警戒心や不信などの要素がありつつも、怒り悲しく寂しい感情が、素直に出すぎてしまうんだとおもいます。

また、病んデレというくらいですから、病んでますし、病むほど、想いなどのココロを大切に持っていて病み苦しいんです。

あまりに激しい怒り悲しく寂しい陰の感情は、まるで狂気の優曇華院…じゃなかった…狂気の満ちたものとして、想い人や、また、周りのひとやものに、襲いかかってきます。

出刃包丁の持ち物も、よく病んデレのイメージとしてありますよね?
恐いですか?怖いですか?
…恐怖ですか?

病んデレには、知己(自分)個人的にも、特別な想いもいろいろあるので、少し長く書きます。

身体など物理的な観かたと、ココロなど心理的な観かたで、病んデレの印象は、まるっきり変わっちゃいます。

物理的な観かたでは、陰っていうか闇の、すごく強い暴力や凶器のイメージになるんですけど、心理的な観かたでは、陽っていうか光の、すごく強い想いや愛情のイメージになるんです。

病んデレの、デレたい感情と、なぜ病んでしまうことになったのか、それについて、物理的にではなく、心理的に考えることが、とても大切なものだとおもいますです。

つ~か…「病んデレが恐い怖い」言うより、心理的に考えられないココロなしのひとでなしなほど、恐く怖く恐怖であるのが実態的なものだと、個人的には、おもいますね。

病んデレが、なぜココロの病になってしまったのかは、心療や心理の感情で、よく考えてほしいものだとおもいますし、病んでしまうほど、ココロや想いを大切に持ち続けてるわけなので、本来は、すっごく愛情深く優しいものなんじゃないかと、おもいます。

ただ、それが、制御に効かないほどに狂おしい気の狂気で、暴走してしまったりしてることなのに、なんで、"病んでいる"ということをないがしろにしてしまうのか?

なんだかね…むしろ、そのほうが恐怖なことだとおもうんですが、心理的に観ることができないんでしょうか?



・デレっていう関心のこと



ツンデレ・クーデレ・病んデレ(ヤンデレ)…いずれも、アニメなどで観る分にはカワイイけど、現実的には、迷惑だと言われるような感じがあるようですが、ホントにそうなのかは、知己(自分)の個人的な考えだと、疑問があります。

デレっていう関心のことですね。

心理的な問題で、この関心の要素は、とても重要なものになります。

これら3種の性格は、なにかと面倒な性格とかは、おもいますが、迷惑な性格であるとは、おもえません。
関心の要素が強いからです。

なにより迷惑極まりないのは、周りやひとに対して関心がない無関心で、そもそも"ココロがない"ことなのですから、なにより、デレという想い入れの関心の要素は、とても大切におもい、多少、面倒だとはおもいつつも、迷惑だとは決しておもわないでほしいです。

そもそも、ココロの要素が強いほど、人間らしくもあり、また、面倒でもあるんですよ。
そして、人間関係って、面倒ですから…。



・心的外傷(トラウマ)の疑い



ツンデレ・クーデレ・病んデレ(ヤンデレ)…いずれも、警戒心や不信の要素が絡んできて、素直になれなかったり、はたまた、病んデレのように過情なまでに素直すぎたり、出てきてしまうものだとおもうんですが、警戒心や不信の要素から、多分、なにか心的外傷(トラウマ)の疑いが強くあるような感じがします。

心的外傷(トラウマ)といえば、どうにも、虐待やいじめなどの疑いも出てきてしまいますよね。

ただ単に、照れがりや恥ずかしがりなどの場合もあるとおもいますが、もし、なにか、過情なまでのツンデレ・クーデレ・病んデレの性格があるひとは、過去に警戒心や不信を抱いてしまう"なにか"を感じ取ってみるのも、心理的には、重要なことであるような気がします。
特に、干渉して関わろうとすると拒むようなことをするひとは、その"なにか"がある場合が、多いような感じがします。



・補足



やたらと、メンタルヘルスのようなこと書いてますが、恥ずかしがりだったり、照れやすかったり、ただ単に、そんな性格の場合もあるとおもいますので、決めつけは、良くないです。
大体、この記事でさえ、知己(自分)個人の考察の雑記であるため、訂正や書き直しや意見・感想などの指摘は求めつつも、定説のようにこうと決めつけないで、あくまでなにかの参考になればとして、書いてます。



・あとがき



けっこうアニメなどの影響からの遊び心の発端で、書きました。

でも…これらの性格の問題は、知己(自分)にとっても、多少、重要な問題でもある感じなので、考察してまとめてみたい気もありました。

だって…知己(自分)自体、ツンデレやクーデレや病んデレ(ヤンデレ)の要素を含んでいるようなもので、特に、精神崩壊した過去の出来事以来、その傾向がものすごく出てしまっていて、病んデレの暴走がひどかった存在でもありますから…。

だから…ある意味、自分自身の考察目的を書き残したものでもあります。

寂しいです…。
いくら平常でココロが落ち着いていても、やはり、デレていられるひとと、いっしょにいないと、すぐに病んデレになって、やがて、泣き叫んで狂気の優曇華院… … …じゃない!狂気におちいってしまいそうで、とてもツラい気持ちになります。

知己(自分)、とにかく、かけがえのない絆の約束を堅く結んだおともだちは、大好きでありたいの~。
えへへ…。
だから…知己(自分)のこと観棄てたりとか、離れていっちゃうの、絶対に絶対にイヤだからね。
たとえ人間不信になってても、ホントに大好きなひとを信じて離さない気持ちだけは、ホンモノなんだからね。

だから、特に病んデレを侮辱する奴らは、そこまで"ココロがない"んだから、そこまで信頼して想う必要もないんだよ~?
わかる~?

病んでるメンヘラとか、そういったひととも、ホントに向き合いたくて、心理を説きたい気持ちなんだから。

2013/4/8