さて、年始からリアルタイム記事(記事を書いた日とupした日が一緒)としてやってきた【百社詣り2015】シリーズですが基本的にストック記事(記事を書いた日とupする日が違う)として掲載していく予定です。


初詣や祥月命日祭の記事はリアルタイムでないと違和感でるからそうしてたのですが…まぁ、この十日戎ののこり福(1月11日)の記事もリアルタイムにしたかったのですが他の記事との関係でupが間に合わずストック記事になりました。


さて、前置きが長くなりましたが1月11日(日)の話をドーンビックリマーク


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嫁さんとふたり、日曜日のお昼前にやってきたのはコチラダウン


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【堀川戎神社】


十日戎の【のこり福】です。人は多かったがのこり福の午前中とあってまだまだまし。すぐに鳥居はくぐれました。宵えびす(9日)や本えびす(10日)の夜だと長い列が出来て鳥居をくぐるまで1時間待ちとかありますからね。


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手水舎で手と口を浄め。


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拝殿前の列に並びます。笹を持った人も多数。この笹に縁起物(小判・俵・鯛etc)を付けて福娘に鈴でシャンシャンシャンと、してもらうのです。


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笹の他にも熊手などもあります。これに縁起物を付けていくのですが、いろいろつけていくと結構な金額になるのです。


福娘「合計で1万8千円になります。」

参拝客「高いな~。ねーちゃん、マケてんか!!」

福娘「じゃぁ、1万5千円で…」

参拝客「ヨッシャ!!ほな、2万円から。釣りは取っといて!」


そんなやり取りがあちこちで交わされます。ナニワの商人(あきんど)は神様相手でも値切ります。でも、ケチではないのですよ。払うべきところでは気前良く出します。


まぁ、私はナニワの商人(あきんど)ではないので笹や熊手は買いませんけど(笑)


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参拝を済ませ、いざおみくじビックリマークおみくじは100円筒を振って出た棒に書かれた番号を神職の方に告げるタイプ。


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第二十四番 大吉


みよしのや山より山の

花 みれば

そらにわたせる

くものかけはし


・この心はよろず事思ひのままなれども満つるはかくるの始めなれば要慎肝要なり


<縁談> よろし

<紛失> 出づべし

<願事> かなふ

<売買> 十二分の利あり

<病気> 本復す

<待人> 来る


【大吉】来ました~ビックリマーク


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【大吉】のボーナスは梅田の【鶴橋 風月】


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イカ玉モダン(嫁さん)とブタ玉モダン(私)に生ビールです。


あいらびゆ♪




〔参拝データ〕

【堀川戎神社】

<所在地> 大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17

<アクセス> 大阪市営地下鉄 南森町から徒歩5分

<祭神>
蛭児(蛭子)大神 (えびすのおおかみ)
少彦名命      (すくなひこなのみこと)
天太玉命      (あめのふとだまのみこと)

<由緒>
社伝によれば、欽明天皇の時代、止美連吉雄が蛭子大神の神託により堀江で玉を得、それを神体として富島に蛭子大神を祀ったのに始まる。当時は瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と呼ばれていた。白雉2年(651年)に少彦名命(淡島明神)、大宝3年(703年)に天太玉命を配祀した。

平治元年(1159年)、平治の乱を避けて丹波国何鹿郡山家に遷座した。文和年間に現在地に遷座し、以降、堀川戎社と呼ばれるようになった。

明治40年(1907年)、近隣の神社を合祀して「堀川神社」に改称し、村社に列格した。昭和20年に戦災で全ての建物を焼失し、昭和38年(1963年)に本殿が再建された。

<堀川戎の十日戎の起源>
江戸時代中ごろより祭礼が盛り上がり、 ミナミの今宮えびすとキタの堀川えびす が大阪の十日えびすを代表するようになる。 また今宮戎、西宮戎と並び、「三大戎」に数えられる。

<参拝日>
2015年1月11日



〔2015-01-11 12:19:06〕