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『三社参り』


正月に初詣で3つの神社にお参りする行事。一般的な行事かと思ってたら、北部九州だけの行事とか。


元旦に氏神(先祖代々の神社)、鎮守(居住地域の神社)、産土(産まれた地の神社)を参拝するのが習わしとか。


明治の頃に筥崎宮・宮地嶽神社・太宰府天満宮の三社と西鉄電車がキャンペーンを打ったので北部九州だけで定着したとか。


期間も元旦の一日で三社参ると云うのや、正月三ヵ日で三社参ると云うのなど、諸説ある。私は普通に元旦に近所の神社3つを挨拶回りする感覚で参拝してた。


今年の私の三社は【日吉神社】(大阪市・鎮守神社)【平尾八幡宮】(福岡市・産土神社)そして【一本木宇賀神社】


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【宇賀神社】


バス通り(高宮通り)に赤い鳥居がある。地域の小さな神社。昔は【一本木神社】と言っていた。登録は【宇賀神社】らしいが看板には【一本木宇賀神社】のぼりや石柱には【黒田稲荷】とありみんな好き勝手に呼んでいる(笑)


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赤い鳥居と狛犬がキツネなのでわかる様にお稲荷さん。


小さな神社ながら一の鳥居から拝殿までの参道は150m。途中、5つの鳥居だけでなく西鉄電車の高架もくぐる。


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元旦なので手水舎もキレイ。


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拝殿にも数人の参拝客が並んでた。次男(小5)、嫁さん、私の3人で参拝。


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おみくじは100円。セルフ式。100円玉は賽銭箱へ。


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第七番 中吉


桜花 盛りはすぎて ふりそそぐ
雨にちりゆく 夕暮の庭


思いもかけぬ煩い起りて心痛するが
心正しく身を慎めば年永く音信のたえし縁者又は他人の便ありて喜び事が出て来ます何事も運に任せ思い煩うな


<願望> 他人の助により望み事叶う急ぐな
<待人> 早く来ず音信あり
<失物> 手近にあり 見えず
<旅行> 遠くは行かぬが利
<商売> 多く買えば損あり
<学問> 雑念をすて目標をたてよ
<相場> 売るのは待て
<争事> 十分でない 控えよ
<恋愛> 自己を抑えよ
<転居> よき所なし まて
<出産> 親の身大切にせよ安産
<病気> 信心せよ 治る
<縁談> 俄かに向こうの心がかわる 心和やかにもて吉


中吉だけどダウン下降運かな!?


隣にある一本木公園(通称・亀さん公園)には子供達がまだ保育園に行く前の小さい頃によく遊びにきました。懐かしい神社にまたこうして家族で参拝出来た事に感謝。


まぁ、長男(中2)は大晦日に徹夜でガキ使みて実家に着くなりお節も食べずに寝てしまって不参加ですがねむかっ


♪今日も朝から寝坊した~、どうして朝は眠いのか~?どうして朝は眠いのか!?どうして朝は眠いのか!?妖怪のしわ…『むかっ徹夜でガキ使みとるからじゃビックリマークむかっ』ウォッチちビックリマーク


あいらびゆ♪





〔参拝データ〕

【宇賀神社】(旧称一本木神社、黒田稲荷)

<所在地>福岡市中央区大宮2-2-2

<アクセス>西鉄バス「一本木」バス停 すぐ

<祭神>倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
          

日本書記では倉稲魂命はイザナギ命とイザナミ命が大八島(おおやしま)をつくって飢えを感じてウカノミタマ神を生んだとある。


<由緒>
この地は藩政時代は那珂郡平尾村の一本木と呼ばれた所である。一本木の地名の由来は貝原益軒(1610~1714)の「筑前国続風土記」によると、この地に大きなたぶの木(イヌグス)があった事によるとされている。
※貝原益軒 元禄の頃生きた朱子学の儒者。福岡藩医の生まれで、藩内の地方史、産業を調べた「筑前国続風土記」は貴重な歴史資料とされる。

本神社の起源は明らかでないが、当初は田圃の中の小さな祠であったと思われる。
 福岡藩6代藩主黒田継高公の時代(享保17年~18年、1732~1733)に藩内は大飢饉で損耗高およそ40万石、餓死者7万人、牛馬4千頭が死滅したという。世に「享保の大飢饉」と云う。この大飢饉後、藩政の立直しが一段落ついた頃の宝暦10年(1760)藩主継高公が「風雨順時」「五穀豊穣」を祈る気持ちから、自分の産神である江戸の橋本稲荷にあやかって、新たに神殿、拝殿を造営し「本社蔵棟札」それ以降、直参・代参を欠かさず続けたといわれる。江戸時代は一本木の稲荷として衆庶の信仰を集めていたようである。

稲荷は五穀を司る神で祭神の倉稲魂命(宇迦之御魂神」)は農耕神である。なお本社の鳥居は、往時福岡と佐賀・長崎を結ぶ街道を往来する旅人にとっての道標でもあった。
 継高公建立百年祭を迎えた安政5年(1859)寄付を募ったところ、那珂、席田69カ村、福岡市中29カ町209名がこれに応じた。
拝殿の扁額「宇賀神社」は明治6年のもので、明治初年に一本木神社から宇賀神社に改称されたようである。


<参拝日>

2015年1月1日