12:28 新幹線は定刻に博多駅に到着。





なんと元旦の博多は吹雪いてた!!


いつもは博多に着いたら駅前の地下街の【名代 ラーメン亭】でラーメンを食べてからバスで実家へ向かうのだが、元旦で店は休み 傘も無い。タクシーで実家まで1150円。あっ、家族4人のラーメン代(450円×4)とバス代(100円×3+50円)考えるとむしろ安くあがった(笑)





実家ではお屠蘇と母の手作りお節を頂きました。


雪も止んで食事もひと段落した午後3時。腹ごなしの散歩がてらやってきたのはコチラダウン


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【平尾八幡宮】


私の実家の近く。私の産土(うぶすな)神社にあたるところ。


子供の頃は良くここで遊んだ。夏休みの写生の絵をここで描いたり、冬には九州場所の力士がここを宿舎にしていたので境内に土俵もあって。そこに来た力士にサインをもらったりもした。

今 思えば あの力士達はまだ四股名も無い新弟子だったと思う。でも、小学生の私達にとって髷を結った大きな体の『お相撲さん』は紛れもなくヒーローでそれが『近くの神社に来ている』と興奮して自由帳と鉛筆を持ってサインをもらいにいったのだ。

そんな子供達に「お前、なんて書いた!?」と若い力士同士で照れて相談しながら未来の四股名をサインしてくれた新弟子達。

懐かしい思い出だ。


今では九州場所は実家の近くにある九電記念体育館から、博多港の近くにある福岡国際センターに会場を変えたためこの神社が力士達の宿舎として使われる事もなくなった。


帰省した時は参拝していたが元旦に初詣で訪れるのはかなり久しぶりだ。


今日は大晦日にガキ使を見て徹夜した挙げ句、実家に着いたら途端 お節も食べずに寝てしまった長男(中2)を実家に残して3人(私、嫁さん、次男・小5)で参拝。


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手水舎(ちょうずや)


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雪も治まった元旦の午後とあって参拝客もそこそこ。拝殿前には短いながら列も出来てた。


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おみくじは100円。お金を箱に入れ、三方の上にあるおみくじを自分で取るセルフ式。


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第三一番 吉


うぐいすの 谷の戸いずる こえはして
のきばの梅も さきそめにけり


久しい間のくるしみも時が来ておのずから去りなにごとも春の花さく様に次第次第にさかえてゆく運です安心してことにあたりなさい


<願望> 人の助けで調う 争わぬようにせよ
<待人> 来る 喜あり
<失物> 出る 物の間にあり
<旅行> 良い出会いあり
<商売> あせらず時をまて
<学問> 努力すればよろし
<相場> 売れ 利あり
<争事> 負けておく方が利あり
<恋愛> 良い人倖せあり
<転居> よろし 早くせよ
<出産> 安し 安心せよ
<病気> 医師にかかり信心せよ
<縁談> たがいにうたがいがとけてよき縁結がととのう


なかなかイイんじゃないビックリマーク


仕事もこんな感じで上手くいく事 希望(笑)


あいらびゆ♪





『おまけ』


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境内には【平尾天満宮】も合祀されています。元々は近所の別の場所にあったのですが、そこは立ち退かされコチラに遷されました。太宰府に向かう途中の菅原道真がそこから那の津(昔の福岡 平安時代、福岡の街はその後 黒田官兵衛が江戸時代に作った)を眺めて『遠くへ流されて(左遷されて)きたもんだ』と泣いた場所に平尾天満宮を建立したらしいのですが…子供の頃に遊んだその場所は今では跡形もなく大きなマンションの敷地の一部になってます。






〔参拝データ〕


【平尾八幡宮】

<所在地>福岡県福岡市中央区平尾4-10

<アクセス>西鉄天神大牟田線「西鉄平尾」駅より徒歩約9分

<祭神>応神天皇(おうじんてんのう)

正式には品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ)らしいですがね。地域の神社は判りにくい長ったらしい名前より愛称の方が似合うと思います。平尾の八幡さんで♪


<由緒>
古宮の地は、仲哀天皇、神功皇后が熊襲平定、三韓遠征のため船で瀬戸内海を航行して九州に入られ、那の大津に上陸して小憩された地とされている。そして、この吉例にならい、九州遠征の豊臣秀吉もこの地を通ったと伝えられている。そして、慶長年間(1596年~1615年)、現在の場所に移されたと言われる。


地域の小さな神社ですがなかなか歴史はある様です。


<参拝日>
2015年1月1日