三年前の今日、私はグラースの店内で業者さんと打ち合わせをしていました。


すごく揺れて驚いたけど、グラスひとつ割れることなく収まったので、

地震のあともしばらくはその打ち合わせを続けていたぐらい、緊迫感や恐怖感はなかったです。


尋常じゃないと思ったのは、それからずいぶん後のこと。

みんなが近くの小学校に向かうというので、さすがに子供たちのことが気になり始め、

私はディナーをスタッフに任せて(もちろん、営業するつもりでしたから)車で帰路につきました。


そこから自宅までが、長かったこと長かったこと…。

奇跡的に近所のママ友とメールが繋がり、二人とも彼女の家で預かってくれていることがわかっていたので気分的には落ち着いていたのですが。

そうでなかったら、あの数時間は地獄のような時間だったに違いありません。


いつものように子供たちの面倒を見るためにこちらに向かっていた母とは、夜9時過ぎまで連絡が取れず、こちらも顔を見るまで気が気ではありませんでした。


東京ですら、そんな異様な一日だった。

でも、現実はもっと厳しかった。


あの地震で大きく人生を狂わされた人がたくさんいたこと、

そして、その狂った歯車はそう簡単に元に戻せるものではないことが、

時間が経つにつれてどんどん明らかになっていったあの日。


被災地から離れた東京でも、私自身の心の中でも、

あの日から少しずつ、少しずついろんなことが変わっていきました。


飲食店も存続の危機に立たされ、明日は路頭に迷うのではないかという大きな不安で心が押しつぶされそうな毎日の中、それでももっと大変な人達がいることに胸を痛め、そこに思うように手を差し伸べられない自分の力のなさを嘆いていた三年前。


自分に何ができるのか、人に手を差し伸べられる自分になるにはどうしたらいいのか。

その想いをずっとずっと持ち続けたまま、そのまま今があるような気がしています。


いつか強い自分になって、大切な人達をしっかり守れるだけの力を身に着けて、

その力で、今度は本当に困っている人たちの役に立つんだって、

ずっとずっとそう思いながら進んできたのに。


私には、まだまだその力がない。まだ何も変わっていない。

無力で、浅はかで、愚かな自分が何も変わっていない。何も進んでいない。


そうやって落ち込む瞬間が、いまだに時々あるのです。



何も言えない。何もできない。

でも、忘れるわけがない3年前の今日。


今も被災地で苦しむ人たちがいる。

その中で、原発が再稼働しようとしている。


どんなに考えても、正しいとは思えない。


元に戻さなければいけないもの。

元に戻してはいけないもの。


いまを苦しむ人のために、未来を生きる人のために、

力のない自分にできることがあるとしたら、

それは、正しい選択をすることぐらいなのかもしれない。


未来を見誤らないこと。

過ちを繰り返さないこと。



一人一人が、考えて、伝えて、それを大きな力に変える一日になりますように。