今日は急遽、精神科に行くことにしました。

貴重な眠剤を使い過ぎたため補充するためです。

 

毎回28日分を処方してもらっていますが、今回は早めの受診サイクルになるため、主治医に薬の使いすぎを疑われるかもしれません。

それでも眠剤が欲しくて行く事にしました。

 

以前は3種類の眠剤を処方してくれていたのですが、今はフルニトラゼパムだけです。

 

鬱の薬はレクサプロ10mgですが、今となっては鬱の薬は有っても無くてもいいです。

 

来月は私の誕生日月です。

もう54歳の使えない廃人です。

 

9月もストレスで、何も運動してないのに過食して、ダイエット出来ませんでした。

来月、多分、私の誕生日月なので子どもと会う予定ですが、太ってしまってかっこ悪くなり申し訳ないです。

まあ、子どもは人を外見で差別したり、判断したりするようには育ってないと思うけど、なんだか自分が情けない。

 

昨年10月9日に子どもと元妻と1泊2日の函館旅行に行った時が一番痩せてたかな。

あの頃の体型に戻りたい。

あの頃は失業した恐怖で、ほとんど食べられなくて、酒ばかり飲んでいたから凄く痩せられた。

いつも手が震えていたあの頃。

 

元妻は太った私を見て、お金かなんかでストレスでもあるの、子どもが恥をかく、みっともないと怒っていました。

子どもは私の体型なんか、心配はしても、軽蔑なんてしないのにね。

 

でも電気屋としての再就職は無理です。

こんな体型じゃ。

電気屋は高い所にも登るし、天井裏にも狭い点検口から入らなきゃいけないから。

 

死ななきゃいけない恐怖と、どうせ死ぬんだから食べてもいいやと思ったので、食べる事を止められませんでした。

アルコールで胃が悪くなったのか、胃が痛くなるのでお酒があまり飲めなくなって、余計過食になってしまった。

 

深夜にカップラーメンを複数食べる事が多かった。

太るのって、こんなに簡単だって知りました。

そして、ストレスで過食してしまう人の気持ちも分かった気がします。

 

今考えれば、子どもにはかくしてきたけど、最初からかっこ悪い人生の父親でした。

最初から最期まで、かっこ悪い生き方だったね。

ここでしか謝れないけど、謝ります。

 

ごめんなさい。

 

来月からカップラーメンは止めて、痩せる努力をします。

私は今の家を中古で購入しました。

昭和58年築の古い家です。

土地は113坪、車は何台か駐車できます。

 

住宅金融公庫からの借り入れで、15年ローンで買いました。

購入した理由は、賃貸では、なんぼ払っても、自分の物にはならず、大家さんの儲けになるからです。

 

家賃は72000円でした。

私の務めていた会社は小規模で転勤がありません。

なので家賃を払うくらいなら、古くても資産になる家を買おうと購入しました。

 

そして元妻と結婚して、私の家に元妻と元妻の娘が引っ越してきました。

最初から元妻は、古い家が気に入らないようで機嫌がよくありませんでした。

 

元妻の連れてきた娘は、その時、高校1年生でしたが、だらしなくて優しさが無く、勉強をしませんでした。

偏差値35の私立大学に、推薦入学を希望していましたが、成績が悪く推薦入学は出来ませんでした。

 

私は、その娘が喜ぶように、努力したつもりです。

学費を全額だすから、専門学校を薦めましたが、元妻の反対もあり、たった2科目受験の大学に進学させる事にしました。

 

私は娘の性格の悪さ、努力しないで推薦で偏差値35の大学に入ろうとしていた事、学費お金の計算も全く出来ない事、学ぶ意欲がない事を見抜いていました。

 

案の定、せっかく進学させてあげたのに、娘は遊びほうけて大学を2年もダブり、退学になりました。

どんだけ、お金をドブに捨てたのでしょう。

 

それでも私は、元妻と娘に優しく接しました。

意見すると、2人して嫌がらせをして、私はストレスで仕事が出来なくなってしまうからです。

 

そして私にも子どもが出来ました。

 

元妻は、こんなぼろい家に、ママともは呼べないと、新しい家をほしがりました。

 

子どもは、この家は土地が広かったので、キャッチボールも出来るし、本格的ではないけどサッカーも出来る。

ドローンも一緒に飛ばしました。

私はそれが幸せでしたが、元妻の嫌がらせはエスカレートしていきました。

 

休日には、モデルルームの見学につれていかれました。

私の休日は、1日たりとも休まる日はありませんでした。

 

私は自分の仕事を妨害されるのも嫌だったし、子どものために結婚生活を我慢しました。

 

今の古い家を売っても、新しい家を買うには、またローンを組むしかありません。

専業主婦の元妻には収入はありませんし。

35年ローン!元妻はステイタスのためには、私の体はどうなってよいのだと、この時知りました。

 

私の体が不調で、CTと大腸カメラを受けた時も、私の体は一切心配せずに、こんな時になんだけどと、永遠と愚痴を言われました。

 

それでも元妻は、セックスレスが離婚の原因になるとか言うので、ED錠を内緒で飲みながら夜の営みを続けていました。

 

ある日、洗濯機が壊れました。

元妻は発狂状態になり、こんな家は嫌だと手が付けられませんでした。

なんとかなだめ、新しい洗濯機をケーズデンキに買いに行きました。

 

その後、冷蔵庫も壊れました。

また、ケーズデンキに買いに行きました。

数日後、イオンに買い物に行き、元妻が冷蔵庫コーナーで気に入った色の冷蔵庫をみつけました。

こっちの冷蔵庫の方が良かったと、元妻は酷く不機嫌になりました。

 

家に帰っても、この冷蔵庫より、イオンの冷蔵庫の方が良かったと、文句とため息を連打していました。

私は心底悲しくなりました。

ケーズデンキで買った冷蔵庫は、縁あって家に来てくれたのに。

物に魂があるとは思いませんが、元妻にけなされた冷蔵庫がかわいそうでたまりません。

 

以前書きましたが、警察沙汰になり別居して、復縁する時、元妻は「まだ新しい家は諦めてないから」と言っていました。

私の休日のたびに、不動産のチラシをあてつけのように見ている元妻に、私は心底疲れました。

 

結局、新しい家なんか買ってたら、住宅ローンで身動きがとれず、子どもを私立中学にも入れられませんでした。

元妻はなんで子どものために、新しい家が欲しいと言う自分の欲望を諦められなかったのか。

結局、私の判断が正しかったから、子どもを私立中学校へ入れる事が出来た。

 

元妻の嫌がらせは、これだけじゃありません。

 

でも、元妻を恨んでいるかと言えば、そうでもないかもしれません。

元妻が新しい家を欲しいと言うので、FXに手を出して約300万円を失いました。

私の愚かさの象徴で、私の責任が大きいです。

 

私が壊れて仕事も逃げ出して辞めたので、子どもも私立中学校を辞める事になるでしょう。

海外研修を楽しみにしていたのに、行かせられなくなりました。

 

元妻と元妻の娘は、本当にひどかったです。

交際期間が短く、見抜けませんでした。

人生最大の失敗です。

 

でも、昨年10月9日、元妻と子どもと私で、1泊2日で函館旅行に行きました。

子どもも中2で、だいぶ大人に近づいたので、凄く楽しかったようです。

私も子どもと函館の夜景を見て、一緒に温泉に入り幸せでした。

帰り際、子どもが「もう終りカー」と言いました。

子どもは、もう少し旅行を続けたかったようです。

私の一番の思い出です。

 

明日、期日の健康保険料ですが、もう払いません。

税金も払いません。

少しでも長生きするために滞納します。

 

少しでも、子どもが頑張れるように。

 

元妻は今の家のローンが払い終わった時、なんの言葉もありませんでした。

家のローンが払い終える事が、どんなに嬉しいことか。

元妻には分かるはずありません。

そんな元妻に、私の命をすり減らして、またローンをくんで、新しい家を買う気にはなりませんでした。

元妻のお母さんも、それは分かっていませんでした。

ローンの恐ろしさ、お金の怖さを全く分かっていない。

 

失業して、収入が無く、知っているはずの私がお金の怖さをあじわうなんて、これも運命なのかな。

 

 

 

私は電気工事士です。

しかし実際は、何でも屋です。

 

お客さんや、工場や空港が休みの日や時間帯に、休日や夜間作業の仕事をよくしました。

 

私はある夜、新札幌ショッピングモールのキュービクル(大元の電源設備)の改修工事で家を出る事にしました。

私の会社からは、私1人でした。

 

その日も元妻の機嫌は悪く、私も仕事に集中出来ない心境でした。

私が家を出るとき、行ってきますと言いましたが、元妻の態度は冷淡でした。

 

元妻のせいにするのは卑怯かもしれませんが、私はその深夜作業の日に、大事なケーブルカッター(太い電線を切る道具)を忘れて、仕事に向かってしまいました。

 

仕事途中でケーブルカッターを忘れた事に気づきました。

私はニッパーで電線を切ろうとしましたが、手が痛くなるまで頑張ってもニッパーでは太い電線を切れませんでした。

 

深夜だし、今から会社の同僚に電話しても、耐圧試験があるので朝までには間に合わない。

このままでは、大元との電気設備なので新札幌のショッピングモールの全店舗が停電して大変な事になる。

 

私は恥を忍んで、近くの電気屋やさんの会社の人に、ケーブルカッターを貸してもらえないかとお願いしました。

快く貸してくれました。

どう感謝してよいのか分かりませんでした。

 

違う電気屋さんが6600ボルトの接続作業をしていました。

私の作業を見て笑ってくれました。

 

その方も、高圧電線の接続は久しぶりだったらしくて、久しぶりだから大丈夫かなって言ってました。

楽しそうでした。

私は本当は全然余裕はなかったけど、愛想笑いでかえしました。

高圧電気はほとんど経験のない私ですが、同じ電気屋ですものね。

見ず知らずの方でしたが、今でも本当に感謝しています。

 

私がアル中で、試運転で元請けさんに、皆の前で酷く罵倒された時も、付き合いのある違う会社の年配の方が、元請けさんの前に立ちはだかって、かばってくれました。

 

最初は見限られた後輩に断られましたが、次の試運転の時に私を助けに来てくれました。

後輩は、あの元請けさんの扱いは分かりましたので、任せて下さいって言ってくれました。

あの時、私が更生していたら、まだ間に合ったのにね。

 

私に仕事をくれる、制御盤製作会社の人と、とある温泉の制御配線変更に行きました。

下見もなしに始めて行った現場なのに、「お前何時に終わるんだ」と電気の現場監督らしき人に皆の前で罵倒された事がありました。

言われっぱなしの私は、正直かっこ悪かった。

初めての現場で状況が全く分からなかったから、言い返さなかった。

お酒も飲んでいたし。

暴言を吐いた人は、いつもあんな感じなんだろうと、周りの雰囲気から、そう思った。

工事現場は暴力団関係者とつながりのある人もいるから。

仕事での暴言は耐えられるし、その後も、その仕事を紹介してくれた、制御盤製作会社の人は良くしてくれたから。

私の調子がおかしい事を分かっていたのに。

ありがたい話しです。

 

それでも、あの新札幌ショッピングモールの電気設備改修の夜、嘘でもいいから、こころよく仕事に送り出してくれなかった元妻には、今でもわだかまりを感じます。

 

強い物には巻かれろとか、弱い物だけに強がるとか、そう言う意味ではありません。

 

私が誕生日に、元妻にデジカメを買っていいよと言われて、デジカメを買った。

そのデジカメの写りに、ドット抜けがあった、保証期間内だったので、ヤマダ電機に修理出そうと思って、休みの日にタンスの上からデジカメを取ろうと思った瞬間に、デジカメを落とし、私の足に落としてしまった。

 

デジカメを落とし、私の足の爪が剥がれてしまった。

爪が剥がれ、肉が見え血が出ていた。

元妻がいつものように機嫌が悪かったから落としてしまったのかもしれない。

元妻は、私の足の爪が剥がれた傷を見て、もっと機嫌が悪くなった。

 

私は日曜日の救急指定病院を調べて、運転して病院へ行った。

確か帰りにヤマダ電機により、デジカメを修理に出した。

とんだ誕生日プレゼントだ。

 

後、SSDノートパソコンが出始めまた頃の物を、元妻のイライラにビビリ、液晶を割ってしまった事もあった。

私は臆病者だ。

仕事では、どんな屈辱にも耐えてきたはずなのに。

 

前にも書いたかもしれませんが、私はフクク生命の立体駐車場のメンテナンス点検時に、1階の掃き掃除中に、家庭の悩みに気を取られ、足を踏み外し転落事故を起こした。

労災になり、治療費の支払いはなかった。

 

V字型に裂けた足の傷。

救急車が来る前に、スマホで写真に撮った。

 

病院に運ばれるまで、1時間くらいだろうか、各病院に断られ搬送が遅れた。

札幌市内の中心部、それも日中なのに、受け入れ可能な病院が、なかなかみつからなかった。

 

ようやく見つかった総合病院では、形成外科の先生が傷跡を縫ってくれた。

看護師さんが、外科の先生より腕がいいから安心してねと言ってくれて嬉しかった。

 

形成外科の先生も親切でしたが、もう少し搬送が遅ければ、裂け目が壊死して大変な事になるとこだったよと言っていた。

 

立体駐車場メンテナンス部の後輩の同僚も心配してくれた。

帰りは病院まで迎えにきてくれた。

 

元妻は全然、心配してくれなかった。

確か元妻の娘は、何故が傷口を見たがったので、スマホの写真を見せた。

なぜそうしたか、今は思い出せません。

 

私は確か次の日から会社に出勤した。

立体駐車場のメーカーからも心配の電話がきたが、直ぐ出勤、復帰したので、大きな問題にはならなかった。

 

私は足を引きずりながら、物流倉庫のコンベア移設の深夜作業だった。

私は軽作業をしていた。

皆、気を遣ってくれたからだ。

冗談を言いながら、楽しく仕事が出来た。

 

立体駐車場の点検(メンテナンス)仕事は、後輩の兄弟2人と私の3人で行っていた。

兄弟の兄は、思い込みがある性格で、弟も大変だったと思う。

私は先輩だったが、兄弟の兄は駐車場点検の責任者だったので、私はあまり口出ししなかった。

 

でも、弟には色々教えました。

第一種電気工事士試験も合格しました。

 

本当は先輩である私がおごらなきゃいけないのに、何回も弟君は私に飲み物をおごってくれました。

 

しばらくすると前社長の様子がおかしくなりました。

突然、何かに激怒するし、最後の方は酒くさいし会社に来ても寝てばかりでした。

 

その後、前社長は肺ガンで亡くなりました。

最後まで仕事人間でした。

 

社長は立体駐車場の点検や改修工事でアスベストを吸っていました。

私も社長の次に古株でしたので、調査の人に一緒にアスベストを吸っていたかもと証言しました。

焼却炉の改修工事もありましたので、ダイオキシンも吸っているかもしれません。

 

危険でも報酬を得るには対価が必要な事もあります。

学歴も能力もたいしてないですから。

 

前社長が末期の時、痴呆が少しあって、車で外出して行方不明になりました。

私は一番頼りにしている後輩と、前社長を探しに行きました。

 

前社長は電話で訳の分からない事を言うので、色々な場所を探してまわりました。

そんな社長を後輩は、心から軽蔑していました。

 

その後、夜に警察から連絡があり。

前社長は苫小牧でガス欠になり、警察に保護されていました。

 

後輩は怒って、前社長の顔も見たくないようでしたので、ガソリンを買って、私が社長の車を運転して吹雪のなか、自宅まで送っていきました。今まで生活出来たのも前社長のおかげ、見捨てる事はできません。

後輩は頑張り屋で頼もしいですが、少し気遣いがないのかもしれません。

でも、「私に社長になる気はありませんか」って言ってくれて少し嬉しかったです。

 

私は既にアル中でしたから、社長になんかなれないのにね。

あの時は後輩も、まだ私を信頼していたんですね。

 

それから違う後輩が社長になりました。

私に脳神経外科の検査を受けさせてくれたり、退職を引き留めてくれた後輩です。

 

しかし、駐車場の点検の兄弟の話しになった時に、私は兄の事を独裁的だと、本人のいない前で悪口ともとれる発言をしてしまいました。

卑怯ですよね。

体力の無い私の代わりに、例え真実だとしても、陰口を言うなんて。

 

優しさのある陰口ならいいと思うんですが、あの時の私はそうではなかった。

そういう流れでも、もっとフォローする言い方があったはずなのにね。

 

悪意ともとれる陰口なんてね。

この歳になって情けない。

 

もう二度と、後悔する陰口は言いたくない。

元妻以外はね。

 

立体駐車場の点検の兄弟だけど、今は独立して会社を立ち上げています。

弟君の息子は警察官になった。

就職するまで見届けられてよかった。

 

兄弟がみかたでいてくれたから、私の仕事も辞めるまで続けてこれたし、給料ももらえた。

恩を忘れたらダメですね。

今日は久々に缶酎ハイでも飲もうかな。

 

今は韓国ドラマの「カネの花」と言うドラマを見始めたところです。

最近、ドラマを見尽くしたせいか、ドラマを観ていても心が楽になりません。

 

私はオートバイと車が好きでした。

短大を卒業してからは、毎晩車で峠に走りに行ってました。

仕事で稼いだお金も、ずいぶん車につぎ込みました。

 

走っていたのは清田区真栄から、通っていた真栄高校を通り過ぎて滝野霊園までのコースと、滝野霊園から支笏湖までのコースです。

よく走っていたのは、真栄から滝野霊園までのコースでした。

どのグループにも所属せずに、一人で走ってました。

 

私の車のナンバーは「11-11」。

その頃は好きな数字をナンバーに選ぶ制度がありませんでしたので、ぞろ目の私の車は目立っていたと思います。

 

でも、そのコースで半年に6人も交通事故で亡くなってしまいました。

舗装したての段差の無い、滑りやすい路面だった。

私も、その片棒を担いでいたのかもしれません。

その頃の私は死んでもいいと思って走っていました。

ストレートでは時速200キロを超えていましたので、電柱だらけの道路でしたので、一歩間違えば死んでいたかもしれません。

行動で走っていた事、今は色々意味で後悔しています。

 

その後は、倶知安と十勝のサーキットで走るようになりました。

雑誌にも何回かのりました。

懐かしい思い出です。

 

私の子どもは、私がオートバイや車で走るのが好きだった過去を知りません。

あまり関心をもって欲しくないからです。

特にオートバイは危ないです。

私は何回もオートバイで転びケガをしましたが、転べば車より簡単に、命を落としたり、歩けなくなってしますからです。

私は運が良かっただけなのです。

 

車は、ハチロク、スカイライン、インテグラタイプR、レガシー。

数年前までずっとマニュアル車に乗ってきました。

その他、色々な車に乗ってきましたが、全てマニュアル車でした。

 

私の最後のマニュアル車、レガシーターボの最期。

その頃は既に元妻との関係で、毎日、飲酒運転していました。

会社の帰り道、家に帰る前に、しらふではいられないので、レンタルビデオのゲオの駐車場で酒を飲んで時間をつぶしていました。

そして、ある程度酔ってから、家に帰るために私は車を発進させました。

その日はいつも以上に疲れていたせいか、運転中に気を失ってしまいました。

気づいたら中央分離帯に衝突して、車は大破していました。

外で事故説明をしたので、警察はなんとかごまかしました。

レッカー車のおじさんが家まで送ってくれました。

酒くさかっただろうに、何も言わず送ってくれました。

結婚してから、子どものためにお金は使いたくありませんでしたが、人生最後のマニュアルのつもりで購入しました。

車両保険には加入していなかったので、約100万円が飲酒運転で吹き飛びました。

 

前にも書きましたが、会社の車も飲酒運転で気を失い、また中央分離帯に衝突しました。

正直、このときは、解雇になると思ったのと同時に、これで元妻にも飲酒がバレテ、新たな人生を送れるかもしれないと、少し希望を感じてしまいました。

でも、また警察をごまかせました。

修理費、約50万円。

自損事故の保険は入っていないため、全額会社が修理代を払ってくれました。

 

会社の車でガードレールにぶつかった事もありました。

飲酒運転と精神安定剤のオーバードーズが原因で、物が2重に見えていたのが原因です。

ちゃんと曲がったつもりなのに、視野が2重に見えたせいで、ガードレールにぶつかってしまいました。

 

後、3~4回、飲酒運転してる時に、他の車とぶつかりそうになりました。

間一髪ぶつかりませんでした。

 

苫小牧トヨタの仕事の帰り、缶酎ハイを飲みながら運転していたところ、一時停止違反で捕まりました。

急いで缶酎ハイを後部座席に投げました。

パトカーの中で、私は酒くさかったでしょう。

私の免許証を見て、警察官は酒の事は何も聞きませんでした。

警察官は免許の裏面をじっと見ていた。

免許証に死後、臓器提供をするにマルをしていたからだろうか?

なぜ、飲酒運転を見逃してくれたのか今でも不思議です。

 

朝から500mlの缶酎ハイを飲んでいた日、元嫁のお母さんから励ましのラインのあった日、ながらスマホの取り締まりで私は警察に誘導されました。元妻のお母さんからラインを読みながら運転していたときです。

検挙場所に誘導する警察官を振り切って、赤信号を無視して私は逃げました。

この時はとっさに、子どものために飲酒運転で捕まりたくないと思ったから。

警察は追ってはきませんでした。

逃げ切れました。

 

朝からの飲酒、隠しきれたと思っていましたが、社長が心配して、脳外科の検査を受けさせてもらいました。

検査費、約3万円。会社負担です。

 

私が仕事から逃げ出す1ヶ月前、社長に会社を辞めたいと言いました。

もう限界を感じてたからです。

 

でも社長は辞職を引き留めてくれました。

無理しなくていい、出来ない仕事は断っていいと言ってくれました。

 

でも、その時、既に、アル中の私には、こなしきれない仕事を受けてしまっていました。

暇なよりは、忙しい方が幸せだって分かっていたからです。

 

私の一番頼りにしていた同僚は、最後は私のアル中に気づいていました。

先輩、しっかりして下さいと。

猟銃(標的射撃)の免許取得さいに、警察に協力してくれた後輩です。

何度か立ち直るチャンスをくれましたが、最後は回復しない私を見限りました。

当然です。

 

見限られて当り前です。

その後輩には感謝しかありません。

一緒に仕事が出来て楽しかったです。

 

私の最後の仕事だった、トンネル消火水用防凍設備制御、今冬から稼働します。

途中で投げ出してしまった仕事。

一番、助けてくれた後輩が担当するはず。

そういえば、この温水器制御盤は後輩が朝早くから会社来て作ってくれた。

制御盤の検査で北海道から東京まで行きました。

公務員の検査官は面白い人だった。

まだプログラムにバグを残したまま私は逃げ出してしまった。

 

最後にバグを直しに倉庫に行く途中、何も食べてなかった私は、セルフのガソリンスタンドで倒れてしまった。

断ったがガソリンスタンドの人に救急車を呼ばれてしまった。

その時も飲酒運転はバレなかった。

同僚がガソリンスタンドまで来てくれて、私を家まで運んでくれた。

それが私の最後の仕事になってしまった。

 

少人数の会社でしたが、こんな良い会社、他にはないです。

給与も高かったし、福利厚生も良かった。

 

ほろ酔い気分で、気持ちがいいです。

でも涙がでます。

 

早く死にたい。

 

でも、まだ生きています。

 

不景気でも仕事があるって凄く幸せだった。

仕事がある事の幸せさは、充分分かっていたはずなのに。

 

今夜もゆっくり過ごします。

 

こんな飲酒運転常習者の私。

元妻は気づいていなかったと思います。

私は嘘をつくのが上手だったのでしょう。

悪い人間です。

 

私は飲酒運転で人を跳ねてしまったら逃げません。

救護を最優先します。

言い訳にしかなりませんが。

辛い事をかいて、ごめんなさい。

ミッキーのお母さん、ままおさんへ。

 

 

 

 

アメブロを4月に再開させて、ずいぶん経ちました。

 

無職になって約1年2ヶ月、ずいぶん経ちました。

目の前のカレンダーは2022年5月のまま止まっている。

 

昨日はドラマ「スカイキャスル」の最終回でした。

各ドラマも最終回を迎えました。

後は「夫の家庭を壊すまで」だけかな。

 

来期の日本のドラマは観ないつもりです。

 

今は韓国ドラマ「被告人」を見始めたところです。

検事が刑務所署に入れられる話しみたいです。

 

昨日はよく眠れました。

今は雨音が心地よいです。

 

いいね、コメント、メッセージ、感謝しています。