私は電気工事士です。
しかし実際は、何でも屋です。
お客さんや、工場や空港が休みの日や時間帯に、休日や夜間作業の仕事をよくしました。
私はある夜、新札幌ショッピングモールのキュービクル(大元の電源設備)の改修工事で家を出る事にしました。
私の会社からは、私1人でした。
その日も元妻の機嫌は悪く、私も仕事に集中出来ない心境でした。
私が家を出るとき、行ってきますと言いましたが、元妻の態度は冷淡でした。
元妻のせいにするのは卑怯かもしれませんが、私はその深夜作業の日に、大事なケーブルカッター(太い電線を切る道具)を忘れて、仕事に向かってしまいました。
仕事途中でケーブルカッターを忘れた事に気づきました。
私はニッパーで電線を切ろうとしましたが、手が痛くなるまで頑張ってもニッパーでは太い電線を切れませんでした。
深夜だし、今から会社の同僚に電話しても、耐圧試験があるので朝までには間に合わない。
このままでは、大元との電気設備なので新札幌のショッピングモールの全店舗が停電して大変な事になる。
私は恥を忍んで、近くの電気屋やさんの会社の人に、ケーブルカッターを貸してもらえないかとお願いしました。
快く貸してくれました。
どう感謝してよいのか分かりませんでした。
違う電気屋さんが6600ボルトの接続作業をしていました。
私の作業を見て笑ってくれました。
その方も、高圧電線の接続は久しぶりだったらしくて、久しぶりだから大丈夫かなって言ってました。
楽しそうでした。
私は本当は全然余裕はなかったけど、愛想笑いでかえしました。
高圧電気はほとんど経験のない私ですが、同じ電気屋ですものね。
見ず知らずの方でしたが、今でも本当に感謝しています。
私がアル中で、試運転で元請けさんに、皆の前で酷く罵倒された時も、付き合いのある違う会社の年配の方が、元請けさんの前に立ちはだかって、かばってくれました。
最初は見限られた後輩に断られましたが、次の試運転の時に私を助けに来てくれました。
後輩は、あの元請けさんの扱いは分かりましたので、任せて下さいって言ってくれました。
あの時、私が更生していたら、まだ間に合ったのにね。
私に仕事をくれる、制御盤製作会社の人と、とある温泉の制御配線変更に行きました。
下見もなしに始めて行った現場なのに、「お前何時に終わるんだ」と電気の現場監督らしき人に皆の前で罵倒された事がありました。
言われっぱなしの私は、正直かっこ悪かった。
初めての現場で状況が全く分からなかったから、言い返さなかった。
お酒も飲んでいたし。
暴言を吐いた人は、いつもあんな感じなんだろうと、周りの雰囲気から、そう思った。
工事現場は暴力団関係者とつながりのある人もいるから。
仕事での暴言は耐えられるし、その後も、その仕事を紹介してくれた、制御盤製作会社の人は良くしてくれたから。
私の調子がおかしい事を分かっていたのに。
ありがたい話しです。
それでも、あの新札幌ショッピングモールの電気設備改修の夜、嘘でもいいから、こころよく仕事に送り出してくれなかった元妻には、今でもわだかまりを感じます。
強い物には巻かれろとか、弱い物だけに強がるとか、そう言う意味ではありません。
私が誕生日に、元妻にデジカメを買っていいよと言われて、デジカメを買った。
そのデジカメの写りに、ドット抜けがあった、保証期間内だったので、ヤマダ電機に修理出そうと思って、休みの日にタンスの上からデジカメを取ろうと思った瞬間に、デジカメを落とし、私の足に落としてしまった。
デジカメを落とし、私の足の爪が剥がれてしまった。
爪が剥がれ、肉が見え血が出ていた。
元妻がいつものように機嫌が悪かったから落としてしまったのかもしれない。
元妻は、私の足の爪が剥がれた傷を見て、もっと機嫌が悪くなった。
私は日曜日の救急指定病院を調べて、運転して病院へ行った。
確か帰りにヤマダ電機により、デジカメを修理に出した。
とんだ誕生日プレゼントだ。
後、SSDノートパソコンが出始めまた頃の物を、元妻のイライラにビビリ、液晶を割ってしまった事もあった。
私は臆病者だ。
仕事では、どんな屈辱にも耐えてきたはずなのに。
前にも書いたかもしれませんが、私はフクク生命の立体駐車場のメンテナンス点検時に、1階の掃き掃除中に、家庭の悩みに気を取られ、足を踏み外し転落事故を起こした。
労災になり、治療費の支払いはなかった。
V字型に裂けた足の傷。
救急車が来る前に、スマホで写真に撮った。
病院に運ばれるまで、1時間くらいだろうか、各病院に断られ搬送が遅れた。
札幌市内の中心部、それも日中なのに、受け入れ可能な病院が、なかなかみつからなかった。
ようやく見つかった総合病院では、形成外科の先生が傷跡を縫ってくれた。
看護師さんが、外科の先生より腕がいいから安心してねと言ってくれて嬉しかった。
形成外科の先生も親切でしたが、もう少し搬送が遅ければ、裂け目が壊死して大変な事になるとこだったよと言っていた。
立体駐車場メンテナンス部の後輩の同僚も心配してくれた。
帰りは病院まで迎えにきてくれた。
元妻は全然、心配してくれなかった。
確か元妻の娘は、何故が傷口を見たがったので、スマホの写真を見せた。
なぜそうしたか、今は思い出せません。
私は確か次の日から会社に出勤した。
立体駐車場のメーカーからも心配の電話がきたが、直ぐ出勤、復帰したので、大きな問題にはならなかった。
私は足を引きずりながら、物流倉庫のコンベア移設の深夜作業だった。
私は軽作業をしていた。
皆、気を遣ってくれたからだ。
冗談を言いながら、楽しく仕事が出来た。
立体駐車場の点検(メンテナンス)仕事は、後輩の兄弟2人と私の3人で行っていた。
兄弟の兄は、思い込みがある性格で、弟も大変だったと思う。
私は先輩だったが、兄弟の兄は駐車場点検の責任者だったので、私はあまり口出ししなかった。
でも、弟には色々教えました。
第一種電気工事士試験も合格しました。
本当は先輩である私がおごらなきゃいけないのに、何回も弟君は私に飲み物をおごってくれました。
しばらくすると前社長の様子がおかしくなりました。
突然、何かに激怒するし、最後の方は酒くさいし会社に来ても寝てばかりでした。
その後、前社長は肺ガンで亡くなりました。
最後まで仕事人間でした。
社長は立体駐車場の点検や改修工事でアスベストを吸っていました。
私も社長の次に古株でしたので、調査の人に一緒にアスベストを吸っていたかもと証言しました。
焼却炉の改修工事もありましたので、ダイオキシンも吸っているかもしれません。
危険でも報酬を得るには対価が必要な事もあります。
学歴も能力もたいしてないですから。
前社長が末期の時、痴呆が少しあって、車で外出して行方不明になりました。
私は一番頼りにしている後輩と、前社長を探しに行きました。
前社長は電話で訳の分からない事を言うので、色々な場所を探してまわりました。
そんな社長を後輩は、心から軽蔑していました。
その後、夜に警察から連絡があり。
前社長は苫小牧でガス欠になり、警察に保護されていました。
後輩は怒って、前社長の顔も見たくないようでしたので、ガソリンを買って、私が社長の車を運転して吹雪のなか、自宅まで送っていきました。今まで生活出来たのも前社長のおかげ、見捨てる事はできません。
後輩は頑張り屋で頼もしいですが、少し気遣いがないのかもしれません。
でも、「私に社長になる気はありませんか」って言ってくれて少し嬉しかったです。
私は既にアル中でしたから、社長になんかなれないのにね。
あの時は後輩も、まだ私を信頼していたんですね。
それから違う後輩が社長になりました。
私に脳神経外科の検査を受けさせてくれたり、退職を引き留めてくれた後輩です。
しかし、駐車場の点検の兄弟の話しになった時に、私は兄の事を独裁的だと、本人のいない前で悪口ともとれる発言をしてしまいました。
卑怯ですよね。
体力の無い私の代わりに、例え真実だとしても、陰口を言うなんて。
優しさのある陰口ならいいと思うんですが、あの時の私はそうではなかった。
そういう流れでも、もっとフォローする言い方があったはずなのにね。
悪意ともとれる陰口なんてね。
この歳になって情けない。
もう二度と、後悔する陰口は言いたくない。
元妻以外はね。
立体駐車場の点検の兄弟だけど、今は独立して会社を立ち上げています。
弟君の息子は警察官になった。
就職するまで見届けられてよかった。
兄弟がみかたでいてくれたから、私の仕事も辞めるまで続けてこれたし、給料ももらえた。
恩を忘れたらダメですね。