last lullaby

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だれにもいえないことば。

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これから心理療法をおこなっていくために、いくつか検査を受けました。


今回病院で受けたのは

○バウムテスト(ツリーテスト)

○ロールシャッハ・テスト

と呼ばれるもの。


○Y-G性格検査

○SCT(文章完成法テスト)

○あともうひとつ性格検査のようなものをやったけどなんていうものかわからない。

これらは宿題として持ちかえって後日提出した。


過去の経験から、情報を得ることが正確な結果をはばむことは学習していたから、

上記の検査だということは、すべて終ってから調べて知った。


きちんと知りたいと思った。

わたしのなかの闇、抱えているものの正体を。


だからどの検査も、なるべく率直に、感じたことのまま、外に出したつもり。


バウムテスト。


まず一枚の紙に、木を描いてください、と言われた。

わたしが描いたのはごくシンプルな一本の木。枝も葉も実もない。

次に別の紙に、木と家と人を描いてください、と言われた。

丘の上にあるちいさな家と、はなれたところにある一本の木、その木陰で休む少女を描いた。

家には扉はなく、誰も住んでいない。

少女はどこから来たかわからない。

太陽も描いた。

もっとたくさん人を描きたかったけどどうしても違和感があったので、

悩んだ末に描かなかった。


ロールシャッハテスト。


インクをたらした紙をふたつに折り、開いたときにできた図をみて、

何にみえるか答える、というもの。

さすがのわたしもこういうテストの存在くらいは知ってた。でもそれだけ。

カラフルなものかと思ってたら黒くて怖い絵ばかりで(そう思ったのはわたしの精神状態のせいなのかな?)、

ほとんど悪いものの印象しか受けずにがっかりしてしまった。

後半はきれいな色あいのものもあったけど、

どれもどこかさびしそうにみえた。

最後に、家族構成をきかれて、そのひとりひとりのイメージに合うカード、

それからいちばん好きなカードと嫌いなカードを選んだ。

なんの先入観もなしにまっさらな気持ちでやったつもりだけど、

結局、母と継母のカードは悪いものになった。


SCT。


これはとてもつらかった。

なにしろ量が多い。

そして似たような書き出しばかり。

結局思いだすことは決まってきて、何を書いてもおなじところに帰結する気がした。

わたしのなかのさびしくてまっくろい部分。

そうやってなんども書かされたことでつらいものが表層にあがってきて、

やったあとしばらく鬱っぽくなった。



一ヶ月後に診察の予約を入れたので、結果はそのとき、かな。

たぶんそれで担当のカウンセラーも決まるのだろう。


どうなるのか不安でもあり、期待もあり。


わたしはほんとうに、

いま

解決するために、行くんだ。


ちゃんと生きたい。

精神科に行きました。


むかし通っていたのだけれど。


もう。

もう二度と行くまいと思っていた。


薬に頼って生活するのがつらかった。

引っ越してから合うお医者さんをみつけられなかった。


薬を飲まなくても生きていられるのだから

もう必要ないと思って。


ふつうのふりして、生活もできる。

人とも関わっている。

不安定になったり、何か抱えて生きているひとなんて

そこらじゅうにいるもの。

病気なんて大げさな。

わたしは弱くはないと思う。


だけど行きました。

いろいろな事情があって。


『解離性障害』


それがわたしの病名です。


治療の必要がある、と言われました。


心理療法を行っていくのですって。


初めてかかる病院で、だから一から話をした。

見覚えのある質問票、はいといいえにまるをつけて。

むかしは話せなかったのだから、

時間は確実にわたしを運んでいるのだ。

ただやっぱり、詳しく話はできたものの、

つらい場面を思い出すときは条件反射で泣いていた。


自分がどこにいるかわからなくなることがあるの。


どこにもいないと感じるときがあるの。


安心できる場所にいたことはない。

こころから気を許す存在などいない。

それでも

それなりに生きていけるよ?

笑って、うまくやって、求められるものを演じてきた。


でも、それはとてもとても遠くて、それはわたし?


どうしたってきちんと交わることができない。


そう。

たしかにずっとそう感じていた。


解離、か。


まだわたしには、自分の姿がみえない。

言うつもりもなかったことを言ってしまったことに、

ずいぶんあとになって気づくことがある。


しかも、ほんとはそんなふうに思っていなかったのに。


おかしな捻じれ方をするんだこの頃。


気をつけることを忘れがち。


ありがとう、と言うことに決めたのはまだ中学生くらいの頃だ。

すみません、と言うかわりに、ありがとう。

些細なことでもなるべくたくさん、ありがとうって言えるようになりたいと思った。

遠慮されたり、謝られるより、笑顔でありがとうって言われたいと思ったから。


そういう当たり前のことを忘れてしまうの。

慣れてはいけないって思っているのに。


他人の悪口を言わないように、というのもずいぶん昔に決めた。

悪口ではないにしろ、受け容れられないところ、相容れないところ…

そんなのにまず左右されるなんてくだらないし、

他人に話してしまうような品位のない人間にはなるまい、そう、ずっと思ってきた。

気に障ることだって時にはあるでしょう。べつの人間だもの。


いまもそう思っている。

思っているのに、ぽろっと言ってしまうことがふえた。

わたし自身、それに戸惑っているの。

決して嫌って言っているわけじゃない。

話題として話してしまって、ちょっと大げさに話してしまったりもして、

悪口を言っているかのように受けとられたかもしれない、と

あとで気づくのだ。


こんな軽率な人間ではなかったのに昔は。


きちんと思い直して。


自分の価値は自分で作っていかなければ。


いくら親しくなっても、

言っていいことと言ってはいけないこと、

やっていいこととやってはいけないこと、がある。


また失わないように。