森の入口にて

 

80年代初期に洋楽入門した者にとっては、プログレ(プログレッシブ・ロック)という深い森の入口にはAsiaYesという案内板が立っていたように思います。といってもその頃の彼らの音楽性は80年代らしいポップス寄りのロックという趣ですから、「元プログレの」みたいな紹介文を目にしても「プログレってなんだ?」というのが最初の感覚でした。ただ、どうやら80年代の彼らの音楽性とは異なるものらしい、ということは薄々と感じ取っていました。

 

森に踏み入れて

 

最初に聴いたのは Emerson, Lake & Palmer (ELP)”Pictures At An Exhibition (展覧会の絵)”だったでしょうか。ムソルグスキーの「展覧会の絵」という楽曲自体は、音楽の授業で耳にしていたのか馴染みがあったし、ある意味キャッチーな曲想でもあるので、このELPのアルバムもすんなりと聴くことができました。少なくとも他のプログレを聴いてみたいと思わせるだけのインパクトがあったと思います。

 

 

Yesについては ”Fragile (こわれもの)”といった代表作にいかずに Jon Anderson不在だった ”Drama” をまずは聴いた記憶があります。たまたまレンタル店で目に入ったとか、その程度の理由だったでしょう。でも、これも気に入りまして、いよいよプログレは好きだな、という方向へ。

 

もう一歩奥へ進んで

 

当時、ビルボードのアルバムチャートを見ていると、Pink Floyd”The Dark Side Of The Moon (狂気)”が10年以上にわたってランクインし続けているのに気づきます。どうやらプログレを代表する名盤らしいとのことで関心を抱きました。

 

「狂気」というタイトルから、勝手に激しい音楽なのかと予想していたんですが、聴いてみると実に気怠い感触がありました。でも”Time”冒頭のチャイムの散乱など音作りに面白さがあって、すぐに気に入りました。それと歌詞ですね。”Time”のメッセージは当時十代の自分にとっては、えも言われぬ不穏な焦燥感を抱かせるものがありましたし、”Brain Damage (狂人は心に)””Eclipse (狂気日食)” への畳み掛ける言葉の羅列も響くものがありました。

 

 

King Crimson”In The Court Of The Crimson King (クリムゾン・キングの宮殿)”は、そのジャケットの不気味さに少し遠慮してたんですが、こちらも名盤とのことなので、程なく聴いてみることになりました。

 

これはもうハードでインパクト大の1曲目 ”21st Century Schizoid Man (21世紀のスキッツォイド・マン) *日本語タイトルは現在の表記から、2曲目”I Talk To The Wind (風に語りて)” の穏やかな叙情、そしてドラマチックな3曲目”Epitaph (including "March for No Reason" and "Tomorrow and Tomorrow”) (墓碑銘)”と、A面だけでも名盤であることを実感できました。

 

そして、こちらも歌詞ですね。”Epitaph”の歌詞は、当時十代の自分にとっては、えも言われぬ不穏な焦燥感を抱かせるものがありました(ってPink Floyd ”Time” と同じ感想)。

 

 

ここまでが、だいたい1984年から85年くらいのことだったと思います。プログレに関してはHR/HMと違って友人に同好の士はいなかったので、自分一人で森を彷徨っていく感じでした

 

垂直展開と水平展開

 

その後は、もう完全にプログレの森に深入りしてしまいまして、有名アーティストの深掘りのみならず、フォークやトラッド、サイケ、ジャズロックといった派生ジャンルの探求、さらには世界各国のプログレを聴くまで、際限なき拡大展開をしていきました。

 

 

ちょうど1990年頃からでしょうか、往年のプログレ廃盤モノの再発が盛んになったのもそれに拍車をかけました。VertigoNeonといった中古市場で高嶺の花だった盤も再発で聴けるようになったものです。中には明らかにB級でしかないものもありましたが、それもまた一興でした。

 

それとプログレといえばレコードジャケットのアートワークですね。Hipgnosis(ヒプノシス)Roger Dean(ロジャー・ディーン)Marcus Keef(マーカス・キーフ)らが描き出す独特の世界観は、プログレを語る上でも欠かせない要素だったと思います。これもまたレコードを漁りたくなる大きなポイントでした。再発CDを買った後にやっぱりレコードも欲しくなったりもしたので、手元に金銭が残る余裕はありませんでした(苦笑)

 

 

当時の『MARQUEE』誌

 

プログレの探求でお世話になったのでが『MARQUEE(マーキー)』誌でした。『BURRN!』誌などのHR/HMメディア界隈、また伊藤政則氏もプログレについて言及することはありましたが、『MARQUEE』誌はプログレ、ユーロ・ロック専門誌として比類なき存在でした。私が目にするようになったのは1988年頃からだったように思います。世界のプログレ紹介記事のほか、幻想文学を取り上げたりといかにもな雰囲気で、衒学的な文章が飛び交う異空間を形成していました。ここは目白に World Disque というCDレコードショップも持ってまして、当時数回程度ですが訪れた記憶があります。

 

MARQUEEが発行した『ユーロ・ロック集成』はプログレ探求のバイブルとなったディスクガイド本でした。さらに『ジャーマン・ロック集成』『フレンチ・ロック集成』『ブリティッシュ・ロック集成』と各国別に続々と発刊され、どれも読み込んでいたものです。

 

 

私が『MARQUEE』を読んでいたのは90年代前半までだったかなと思います。その後、90年代後半に何と渋谷系雑誌に変貌を遂げたのには驚きましたが、聞くところによると近年はそこからさらにアイドル雑誌に転生しているとのことで、まさにプログレッシブな感性を体現しているようです。

 

森からの脱出

 

私にとってはHR/HMと同様、90年代のグランジ/オルタナティヴ期を境にプログレの深い森からも抜け出していくようになりますが、HR/HMとは異なって、余韻を残すように離れていく感じでした。それは派生ジャンルも含めるとプログレの領域には広いものがあり、プログレを匂わせる感覚はグランジ/オルタナティヴ以降の音楽にも見られたことがあるからかもしれません。例えば、My Bloody ValentineRadioheadSpiritualizedTortoiseThe OrbAphex Twinなどにそういう匂いを感じます。

 

この記事のタイトルで「2000頃まで?」としているのは、そんな感じでプログレをいつ頃まで聴いていたかという明確な時期が見出せないので、ちょうど20世紀までというラインを区切りとしました。

 

そして、軽く1500枚以上はあったプログレ関連のCDやレコードもその頃から少しずつ売却していき、現在はほとんど手元には無くなっています。

 

 

今、プログレを聴いているか

 

現在、メインとしてプログレを聴くことはなくなっています。たまに思い返すように聴くくらいですね。まあ、ただプログレを聴いていた好影響としては、派生して様々なジャンルの音楽を聴いていくようになった点です。例えばジャズロック系のプログレからジャズそのものを聴くようにという流れだとか、ジャーマンプログレからテクノやアンビエント方面へ、といった感じです。そういう意味ではプログレの深い森を彷徨った経験は今も生き続けているように思うのです。

 

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