今回は写真、映像に関すること
多くの写真が簡単にネット上で手に入る今
何が良くて何が自分にとって平凡なのか、
もちろんセンスって言うのは正解がないから
悪いという言い方はしない、
あくまで自分にとって非凡なのか平凡なのか
自分がどこにセンスを感じるか
それは、”被写体がフィルターを通しての方が生きているとき”
どういうことかって言うと
自分の中での一番のレンズ、記憶媒体ていうのは人間の目だと思うんです
だから美しいものをみるとファインダーではなく、出来る限り肉眼で被写体をとらえる
つまりセンスって言うのは目で見るよりもうつくしくフィルターを通してアウトプットする能力なのかなって
またべつのこと、
自分について、ずっと答えが見つかってなかったことに一つ、終止符が。
それは、”曖昧さ、不安定という事”に関する懸念。
多分昔から、答えのないものだったり、時々刻々と変化して行くものだったり
定義のない者、はたまた言葉で説明できない感情だったり思いだったり
そういう不安定なものが本当に苦手だった。
今回見つけたのはそれらが苦手だと気付いたという事実
ずっと、曖昧さを認めたい自分と曖昧さを嫌う自分が葛藤していて
どちらともない自分にまた納得がいってなくて
でも最近徐々にいろんな時間の流れの中で
素直に、自分は変化して行く物が苦手なんだなぁ、と
もちろん自分も変化して行くのは承知で、
変化したものに対して自分の認識を改めるという作業、言語かするという作業を
しない事にした、
大変だから、
シンプルだけど自分には難しい作業で、
これをしない事で自分にさらに余裕を維持できる
自分について、ずっと答えが見つかってなかったことに一つ、終止符が。
それは、”曖昧さ、不安定という事”に関する懸念。
多分昔から、答えのないものだったり、時々刻々と変化して行くものだったり
定義のない者、はたまた言葉で説明できない感情だったり思いだったり
そういう不安定なものが本当に苦手だった。
今回見つけたのはそれらが苦手だと気付いたという事実
ずっと、曖昧さを認めたい自分と曖昧さを嫌う自分が葛藤していて
どちらともない自分にまた納得がいってなくて
でも最近徐々にいろんな時間の流れの中で
素直に、自分は変化して行く物が苦手なんだなぁ、と
もちろん自分も変化して行くのは承知で、
変化したものに対して自分の認識を改めるという作業、言語かするという作業を
しない事にした、
大変だから、
シンプルだけど自分には難しい作業で、
これをしない事で自分にさらに余裕を維持できる
人間て
いろんな者に評価を下す生き物だとは思うけど、
そのほとんどが本当にもったいない事に偏見が含まれてると思う
純粋に自分がどう感じたのかを評価できるのであればそれは実に有益なことだ
誰々が美味しいと言ってたからあそこの料理はおいしいとか、
その逆もしかり、
もちろん、食べ物に特化した事ではないが、
ネット環境が整い、真偽問わず、様々な情報が行き交う中で
以下に自分の感じた事を素直に表現できるか、
そこを見直す事に価値があるのではないかな、と
いろんな者に評価を下す生き物だとは思うけど、
そのほとんどが本当にもったいない事に偏見が含まれてると思う
純粋に自分がどう感じたのかを評価できるのであればそれは実に有益なことだ
誰々が美味しいと言ってたからあそこの料理はおいしいとか、
その逆もしかり、
もちろん、食べ物に特化した事ではないが、
ネット環境が整い、真偽問わず、様々な情報が行き交う中で
以下に自分の感じた事を素直に表現できるか、
そこを見直す事に価値があるのではないかな、と