この度、海外の研究機関で定年制の職をいただけることとなりました。新しい環境に身を置くことになり、またパーマネント職として(厳密には外国人としての契約更新はあるので、完全ではないが)腰を据えて長期的な研究テーマを扱えることになり高揚感を感じています。
一方で生まれ育った国を離れることになるので、私が体験した大学院・それから研究所のコンプライアンスの闇をここに書き記したいと思います。理化学研究所から離れて大学教員として2年経過しますが、いかにそこでの対応が異常だったかがよくわかります。日本で研究したいという意欲が薄れてしまった理由の大半はこの体験のためです。
なぜ彼らが罰を受けずにのうのうと仕事ができているのか私には理解できません。また、社会人として自分たちの過失で他人に迷惑をかけたのに一度も直接頭を下げて謝罪しに来たこともなく、いまだに彼らの人間性が理解できません。
同じような被害に今現在遭っているかもしれない、あるいはこれから大学院に夢と希望を膨らませている未来ある学生たちが近い将来苦しむことがないように私の実体験を書き記すとともに、本当に辛いときは環境を変えることの重要性を説きたいです。
理化学研究所で連携大学院制度を利用する際、研究室で起きた問題は必ず所属する大学・大学院の相談窓口に助けを求めるようにしてください。大学の窓口が必ず対応してくれるとは限りませんが、理研のコンプライアンス本部は本当に何もしてくれません。むしろそれを隠蔽しようとします。ポジショントークになるかもしれませんが、大学の方が学生というお客様を相手にしている分、そういったハラスメント関連の対応が洗練されていると感じます。
社会に出たことがない人が大半を占める20代の学生たちを「卒業」「学位」というエサをぶら下げてがんじがらめにし、何をやってもいいと思っている指導者も数多く存在するので、大学院を受験する前に研究室について入念に調べておくこと、博士課程に進学することも視野に入れている人は、その研究室で例えば過去5年間で何人博士号を取得した人がいるかを聞いてみる、最も重要なことは現在在籍している学生たちに所属長やスタッフの人となりを可能な限り詳しく聞いてみることをおすすめします。
さて私が体験した闇を端的にまとめると、
前半:連携大学院制度を利用して東工大の大学院に所属しながら理化学研究所(以下、理研)の研究室に無給の研修生として在籍していた頃、後述するハラスメント行為を受けた。
後半:その後、劣悪な環境であったため、大学院を東工大から東京理科大(以下、理科大)に再受験して変更し、理研内の別の研究室に移籍したにも関わらず、前研究室からの接触(メールや所内便を使って手紙を送ってくるなど)が続いたため、理研のコンプライアンス本部にそういった接触を辞めさせるようにお願いしたにもかかわらず、何も対処をせず、むしろ、彼らも一部ハラスメント行為をしてきた。具体的には、理研のコンプライアンス本部が数年間その問題を放置した結果、博士課程の2年目の秋に私が体調を崩して数ヶ月単位で研究活動がストップしてしまい、そちらが全く対処してくれないので、所属元の理科大に報告したところ、学長案件に発展しそうになった。大学にバレたことを知ったコンプライアンス本部が慌てて面談の場を設けてきたきたが、その際大学内のどの部署レベルまで内容を知られているのかをしつこく詮索してきた(通常、それは大学に問い合わせるべきことで、被害を受けた学生本人に何度も聞く必要はない)。
さらにその約1年後の博士3年目の夏、博士課程の修了要件に必要とされる2本目の論文投稿直前の非常に切羽詰まった状況下で、前研究室からの接触があったため、再度理研のコンプライアンス本部に対処をお願いしたが、そこから約2週間もの間、問題を放置し、その間も接触が続いた。流石に博士号取得に向けた山場で非常にストレスを感じたため、所属していた理科大に助けを求め、先生が激怒したメールを理研のコンプライアンス本部に送ったところ、慌てて10〜15分後に返事をする(ちょうど連絡するところでした、という舐め腐った内容)という信用を失うような行動をしてきた。結局接触は学位審査の日まで止むことはなく、精神的苦痛を在学期間中ずっと受けていた。
この件でストレスを感じて文字が読みづらいなどの心身不調に陥ってしまい、また1ヶ月単位で研究活動がストップしてしまった。
といった内容です。
もちろん私の一方的な言い分だけなので、先方にも言いたいことがあるとは理解しています。しかし、学費を払って教育を受ける権利を買っている大学院生が、いつまでも研究に集中できない環境に晒され続けているのはコンプライアンス本部の怠慢以外の何物でもないと思います。
まず前半の研究室自体から受けたハラスメント行為としては簡単にまとめると以下の通りです。
・昼間から所属長が飲酒しながら物理の口頭試問を行い、自分の望む答えが得られなかったら人格否定含む罵倒を受ける。物理の不理解に対するものではなく例えば「殺すぞ」「若年性アルツハイマー」「生きてて楽しい?」などと言った言葉を投げつけてくる。
・定期的に開催される研究室の飲み会の席や日々の昼食の際※でも同様に物理の口頭試問を行い、十分な答えが得られなかったら大勢の人がいる前で人格否定や罵倒。
※研究室によっては研究室構成員との交流の一環として集まって昼食を取るところもある
同席している研究員も所属長には逆らえないのか、私に対して「みんな迷惑するからなんとかしろ」と文句を言ってくる始末だったため、修士課程の途中からその昼食に参加するのは辞めて1人、もしくは友人や利害関係のない別の研究室の人たちと取るようになりました。それに対しても別の構成員から「なんでみんなとの昼食に来ないの?」と聞かれ、現場を見ているはずなのに何を言ってるんだろうと本気で意味がわかりませんでした。
研究者の中には対人スキルが低い人がいるとは聞いたことがありますが、この研究室の人たちよりも鈍感な人たちには未だかつて会ったことはありません。
話が逸れますが、当時同じ研究室に所属していた同期も私よりも先に大学院を辞めてしまったのですが、私が2020年に理研のコンプライアンスに最初に申し立てを行った際に同時に以下のような申立書を提出しています。理研のコンプライアンス本部はこれを提出されてもまったく何もせず、こちらが問い合わせても連絡が取れなくなった、と嘘をつく始末でした。証拠も残しておきます。
話を元に戻します。
罵倒される日々が修士課程の間ほぼ毎日続き、2年間の中で何度か体調を崩しました(胃潰瘍・十二指腸潰瘍)。そしてある日、口頭試問というか罵倒タイムの最中にその所属長から「○○研究員(当時在籍)とも話して、君の博士進学はどうしようか考えている(=博士課程に来ることを認めない)」と言った内容のことを言われたため、そこで心が完全に折れ、研究職はもういいや、と考え、修士課程を終えたら博士課程に進学するのを取りやめて(当時内定していた理研での博士課程用のポジションも辞退し)就職する旨を所属長に伝えたところ、別の研究室の所属長+メンバー数名に声をかけて、居酒屋で翻意するように私を説得してきました。
(注:本来であれば学生の出した希望進路を変更させる行為もハラスメントに該当すると思います。しかし、説得にあたった人達は、上記のような所属長によるハラスメントの内容を知らず、私が突然自分の実力に疑問を抱き進学を取りやめたのだと誤解した上で、当時の私の所属長に言いくるめられて善意で説得してくださりました。そのことに怒りの感情はまったくありません。むしろ彼らも被害者だと思っています。)
このときの私の心情としては、説得するくらいならなぜ博士課程に行かせない、みたいなことを言ったんだろう、それから説得するにしても、なぜ自分の研究室の室員ではないんだろうと疑問に思っていました。
これはおそらく私以前にも当時同じ研究室に所属していた大学院生が全員辞めていっており、自分の指導力の無さが周囲に露見するのを恐れて黙っていたのだろうと思います。これが後々私が人間不信に陥った状況の巻き餌になりました。
その説得の飲み会で研究に対してやはり未練があった私は、再度考えを改め東工大の博士課程へ進学することにしてしまいました。それが本当の地獄の始まりでした。あのとき全力で博士課程に進学せず就職する、もしくは別の大学・別の研究室へ進学するという選択を取っていればここまで苦しむことはなかったろうと思います。
ただ、研究の世界は狭い業界なので、同じ分野の別の研究室へ進学するという手段は基本的には取れないのが実状です。また、修士→博士で研究室を変えるということは、博士号の観点で考えると就業年数の3年で取得する難易度が上がり、かなりリスキーなので、博士課程に進学しない、という選択肢を取るのが結果的には最適解だったと言えます。
しかし、自分の気持ちの奥底には下村脩博士と高校生のときに約束した物理の研究者になるという夢があったので、それを諦める踏ん切りがつきませんでした。いま振り返ってみれば一度社会人をやって博士課程に入り直して学位を取るという手段もあったと思いますが、当時の研究内容は基礎科学寄りで民間企業との連携があるような領域ではなく、大学院を修了してアカデミアに残らないのであれば、それ以後は社会に出て働くものだ、という考えしかありませんでした。
そして結果的に周囲に迷惑をかけた形で博士課程に進学しましたが、修士課程の延長でやっていた研究テーマで、例の所属長が研究予算の獲得が叶わず、博士1年後期(博士課程の就学年限は通常3年なので残り2年弱)の段階で、それまでやってきた研究テーマで学位を取ることを諦めなければいけない状況となりました。
そのタイミングもある意味環境を変える機会だったと回想されますが、あれだけ修士課程の最後に揉めたからにはちゃんとまっとうに博士号を取りたい、というのが当時の私の希望でした。そして、話し合いの結果、研究室内の別の研究テーマに変更して、博士号を取るという方針に変わりました。
新しく移った研究テーマでは別の分野で開発された高感度の検出器を、我々の分野でも使用して物理量を測り、過去に同じ物理量を測った際の精度記録を更新するという内容で、きちんとまとめれば博士論文には十分な内容になるはずでした。
しかし、いざ現場に放り込まれたら、その新しい検出器ではなく、古い検出器を使って博士論文を書かないといけない状況になりました。それに関して何度も理由を聞いたのですが、適切な説明を受けることはなく、所属長だけでなく、指導に当たった研究員からも人格否定の言葉を投げつけられた上に、簡単にいうと「従わないなら大学院を辞めろ」といった内容を言われました。
それまでの研究でやっていたレーザーの開発とはまったく違う研究内容にも関わらず、できないことを揶揄され、質問しても怒られ続けました。受験生時代も含めて、それまでの人生で教員・先生に質問して怒られた経験はなく、初めての体験でした。というかこの研究室に在籍していた時間だけでした。
今学生を指導する立場になって、本当に彼らは指導者の素質のない人たちだったんだなと感じます。
古い検出器を使用した実験で、博士論文を書き上げるのに十分な結果を残すことは極めて難しく、また指導環境もそういう状況だったため、研究に対するモチベーションが著しく低下しました。
あるときに「研究に対するモチベーションはこちらからは与えられない」と言われたことがありますが、
「だったら最低でも奪うんじゃねえよ」
と口に出しそうになりました。
後に理科大の大学院に移籍することになるのですが、その面接の前に、受け入れてくださる教授にこれまでの経緯を説明する研究の資料を作って持っていった際に「なんで説明もなしに古い検出器で博士論文を書かせることになったのか意味がわからない。(データを見せて)これじゃ新しいものは何も見えないじゃないか」と聞かれ、「それが我々の研究領域での上下関係なんです」とは言えず、理由を聞いても先述の通り教えてもらえなかったので、研究室を辞めてしまった先輩にその経緯を推測してもらったやりとりがあります。
実際のところはわかりませんが、当時私が周囲から言われていたこととしては「(新しい研究テーマに)移ってきたからといって、新しい検出器で測れたので博士論文が書けました、ではみんな納得しない。それなりに苦しんでもらわないといけない」といった内容だったので、古い検出器の解析を私にやらせようとしたこととも齟齬がないように思います。
博士号を取得することは大変だし、みんな新規性を出すことに心血を注いでいることは十分理解している一方で、誰でも苦しいのは当然で、そういうのは運や巡り合わせなのではないかと思うのですが、当時その業界にいた私にとっては無理矢理にでも納得しないといけませんでした。
このとき周囲からの前向きな言葉があれば困難な状況に耐えることもできたでしょうが、博士号を取るまでに5年かかるか10年かかるかわかんないね、といった内容のことを毎日のように言われ続け、心身は摩耗していました。これは完全なアカデミック・ハラスメントだと断定できます。(しかし、理研のコンプライアンス本部は認めようとしませんでした。)
実際、同じ研究プロジェクトで他の大学院から参加していた博士課程の先輩も博士課程在籍期間が10年を超える or 途中でドロップアウトする、といった状況で、もうそうなったら引くにひけないままズルズルと年数を重ねているという様子でした。それで健康で文化的な最低限度の生活ができているのであればいいのですが、
「この研究プロジェクトにいて病まなかった学生は歴代で○○君と僕しかいない」と食事の席で嬉々として話す研究員は本気でおかしいのではないかと思っていました。そんなことを平気で人前で話すような内容ではないと思いました。
摩耗していた原因は他にもあり、毎日その日のデータ解析の進捗を資料にまとめて報告せよ、というものでした。
民間企業に勤めている友人たちに聞いても、日報は存在するところもあるみたいでそれ自体はそこまで変わったところではないのですが、数行文章で書けばいいというものではなく、きちんと自分の書いたソースコードの内容をまとめた上で、それに対する解釈、新しい進捗、困っていることなどなどを、スライド20ページ程度にまとめて1日1回、多いときは朝昼晩提出させられるというものでした。個人の技量にもよると思うのですが、プレゼンの資料を相手に伝わる
今みたいにChatGPTで簡単に体裁がある程度整えられる
資料も