井上ひさし展
井上ひさし氏が青年期を仙台の孤児院で過ごしたことは、かなり有名だから皆さんも御存知ではないだろうか。
小説「四十一番の少年」や「モッキンポット師の後始末」で描かれているのが、この時代の話だ。
実はこの孤児院の名前はラサールホームと言って、私の母校の鹿児島ラ・サール学園と同じラサール修道会の系列なのである。
今回全体は三部構成になっており、第一部は生い立ちから亡くなるまでの軌跡を追っている。
父君が小説家であったことは初めて知った。しかも、作品が掲載された文芸誌が現存して展示されているのがすごい。
その父上が早くに亡くなり、母のマスさんが働くために、兄弟はバラバラに施設に預けられる。
井上さんがいた仙台のラサールホーム時代の写真が展示されているのだが、それを見て驚いた。
一緒に写っていた修道士が私のよく知っている人だったからだ。
それは、私がラサール高校で 寮生活していた時代。高二の寮の舎監をしてくれていた、ベランジェ先生だったのだ。
当時でベランジェ先生は50代後半だったか。カナダ人の癖に漢字も書ければ、いつもフンドシを愛用しているという日本通だった。
ならば写真の中の彼は30そこそこか、やせているがたしかにベランジェさんだ。
ベランジェ先生がモッキンポット師のモデルだという噂は、学生時代からあったが、まさにその証拠たる写真だった。
巨匠との因縁浅からぬ接点に、少なからず嬉しさを感じた私だったが、その作品量とそれを書くための気が遠くなるほど膨大な資料の数々を見ていたら、先ほど感じた親近感などどこへやら、一転して途方もない無力感に襲われた。
とくに第二部に展示されている小説「吉里吉里人」を書くための創作ノートの数々に圧倒された。
新聞紙大の紙に詳細に描かれた吉里吉里村の地図。
細かい筋立てと時系列が小さい字でビッシリ書かれたシノプシスのノートは、糊で貼り合わされ、なんと8メートルもあるのだ!
そして故郷の記念図書館に寄贈された蔵書はなんと二十万冊!
まさに知の巨人。
あるコーナーでは、一冊の小説を書くために読んだ資料を、本棚にあったそのままに展示してあったのだが、それだけで、私が一生かかっても読めなさそうな質量なのだ。
なによりもその独特のまるいきれいな文字。すべて手書きでかかれた玉稿が美しくかつ壮絶だ。
どの戯曲も小説も、一作につき部屋ひとつ分ぐらいの資料を読み込んで書かれている。
ああ、どこか自分と似たところはないかなどとは大それた考えであった。
私はそうやって書かれた氏の著作すら、全て読めていないではないか。
目の前の途方もなく高く大きい巨山を仰ぎ、ただただ溜め息をつくばかりの私なのであった。
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小説「四十一番の少年」や「モッキンポット師の後始末」で描かれているのが、この時代の話だ。
実はこの孤児院の名前はラサールホームと言って、私の母校の鹿児島ラ・サール学園と同じラサール修道会の系列なのである。
今回全体は三部構成になっており、第一部は生い立ちから亡くなるまでの軌跡を追っている。
父君が小説家であったことは初めて知った。しかも、作品が掲載された文芸誌が現存して展示されているのがすごい。
その父上が早くに亡くなり、母のマスさんが働くために、兄弟はバラバラに施設に預けられる。
井上さんがいた仙台のラサールホーム時代の写真が展示されているのだが、それを見て驚いた。
一緒に写っていた修道士が私のよく知っている人だったからだ。
それは、私がラサール高校で 寮生活していた時代。高二の寮の舎監をしてくれていた、ベランジェ先生だったのだ。
当時でベランジェ先生は50代後半だったか。カナダ人の癖に漢字も書ければ、いつもフンドシを愛用しているという日本通だった。
ならば写真の中の彼は30そこそこか、やせているがたしかにベランジェさんだ。
ベランジェ先生がモッキンポット師のモデルだという噂は、学生時代からあったが、まさにその証拠たる写真だった。
巨匠との因縁浅からぬ接点に、少なからず嬉しさを感じた私だったが、その作品量とそれを書くための気が遠くなるほど膨大な資料の数々を見ていたら、先ほど感じた親近感などどこへやら、一転して途方もない無力感に襲われた。
とくに第二部に展示されている小説「吉里吉里人」を書くための創作ノートの数々に圧倒された。
新聞紙大の紙に詳細に描かれた吉里吉里村の地図。
細かい筋立てと時系列が小さい字でビッシリ書かれたシノプシスのノートは、糊で貼り合わされ、なんと8メートルもあるのだ!
そして故郷の記念図書館に寄贈された蔵書はなんと二十万冊!
まさに知の巨人。
あるコーナーでは、一冊の小説を書くために読んだ資料を、本棚にあったそのままに展示してあったのだが、それだけで、私が一生かかっても読めなさそうな質量なのだ。
なによりもその独特のまるいきれいな文字。すべて手書きでかかれた玉稿が美しくかつ壮絶だ。
どの戯曲も小説も、一作につき部屋ひとつ分ぐらいの資料を読み込んで書かれている。
ああ、どこか自分と似たところはないかなどとは大それた考えであった。
私はそうやって書かれた氏の著作すら、全て読めていないではないか。
目の前の途方もなく高く大きい巨山を仰ぎ、ただただ溜め息をつくばかりの私なのであった。
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