今日は、雪が降っています。

東日本大震災から、4年。

14:46、黙祷を捧げました。

あの日もまだ寒い日でした。


震災についての思いやエピソードは、たくさんあり過ぎてまとまらないので、今までブログには書いた事がありませんでした。


でも、最近ではこのブログも県外の方もたくさん見て下さっており…

宮城県に住む者として、
せっかくですから今年は、震災の事を書こうと思います。





震災からしばらく経った時の出来事。


その日は週末。
うちのパパは土日はお仕事で不在。

1歳頃の息子を抱っこして、私は長町という所にあるモールというショッピングセンターに遊びに行きました。

晩御飯を食べて帰ろう、と、鮨勘というお寿司屋さんに入ったんです。


さすが週末、かなり混んでいました。

テーブル席の間隔も狭くて、ぶつかりそうなお隣さんに会釈しながら、通された席に座りました。


50代~60歳前後かと思われるご夫婦がお隣でした。

優しい眼差しで、

「あら、何か月?」

と、奥様の方が、息子と私に話しかけてくれました。


いろいろと世間話をしました。

そして仲良くなった頃、私の所に注文したお寿司が到着。


隣で食べ終わっていた奥様が、

「こっちに来る?」

と、手を広げて息子に呼びかけてくれました。

「食べてる間抱っこしててあげるわよ。その間に食べたら?^^」


お言葉に甘えて、お願いする事に。

すんなり抱っこされ遊んでもらう息子。


奥様の顔が、抱っこをして和らぎました。


でも、その後、

突然、表情が歪んで

目からはぼろぼろ、ぼろぼろ、と涙が…


私は悟りました。


「ああ、そうなんだな」と。



そのまま息子を抱いたまま、しばらくの間、その人は泣いていました。


そして、泣き続けながらもゆっくりと私に教えてくれた事…。


やはり、私が思ったように、

初孫だった0歳の赤ちゃんと
娘のように思っていた自慢のお嫁さん

2人の家族を閖上で津波によって亡くされていました。


その方は、うちの息子を抱き、泣きながら言いました。

「孫も生きていれば今頃、この位になっているはずだったのよ。まさか…抱っこできると思わなくて…」


それを聞いて、私も


赤ちゃんを抱えていたお嫁さんの姿

彼女の感じたであろう不安と恐怖

自分に襲いかかるあのとてつもない大津波



どんなにどんなに怖かっただろう

生きたかっただろう

息子くんを守りたかっただろう



……

一瞬にして想像し、頭には映像が流れ、号泣してしまいました。


知らない同士なのに一目も憚らず大泣きする2人の女と

悲しげに涙を浮かべて見守るお隣のご主人

何もわからずキョトンとしたり、愛嬌を振りまく息子…。



傍から見ると、異様な光景だったと思います。
震災からもだいぶ経っていましたし…


その方は、写真も見せて下さいました。

すごく美しいお嫁さんでした。
知らない人だけど、彼女が亡くなった事が、とっても悲しかった。
ショッキングでした。

そして、息子が元気に生きている事で、
辛い事を思い出す人がいるという事実もショッキングでした。


泣き過ぎて、お寿司の味は全くわかりませんでした。


家に帰った後も、悲しくて、旦那にこの話をしてやはり2人で泣きました。

4年経って、いまだにほとんど人に話した事のなかった話です。

絶対に泣いてしまうので…


…今も悲しみ、傷ついている人は、いっぱいいる…

私の友人の中でも、
家族や友達を失った人、
家も何もかも流された人、
家族を見捨てて逃げなければならなかった人…
あの時大変なつらい悲しい思いをした人が何人もいます。

今日電車の中で隣合わせになる人
街ですれ違う人
今日初めて知り合った友人

そんな隣人が大きな大きな悲しみを抱えているかもしれない。

宮城に暮らすという事は、
そんな方ともすれ違いながら暮らしていくという事なのです。


だからこそ、あえて、震災の話は、普段の生活では思い出してもあまり口にしません。

私も妊娠中で大変な経験もしたけど、
それより何百倍も辛く、思い出したくない人がすぐ側にいるかもしれないから。

そしてみんな、
「忘れて次に進まないといけない」
そう思っているから。

皆そうやって何となく触れないようにしている部分があります。

日々の平静を守るには、それは大切な事。それも大事。


でも、今日だけは思い切り泣いて、思い出す日。


あの日出会った奥様が仰った、

「何があっても、家族仲良くして、生きて。幸せになって。」

ということ。

忘れません。




亡くなった方のご冥福を祈って。
2015年3月11日