健斗、またね | ハッピーダイアリー

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保護犬の預かり日記を中心に、うちの子のことや日々感じた事を綴っていきます。

ポポさんの後を追うように健斗が

9月3日に亡くなりました。

寝たきりになってから

時間でお水や栄養ドリンクをあげていたものの

それも吐いてしまうようになってしまいました。

ほんの少量づつになり・・・

眠るように自然に

と、思っていました。

9月2日の夜中、ワンワンと15分おきくらいに鳴くようになりました。

苦しいのか?

抱っこしたり、なでたりと

落ち着いてスヤスヤ眠り出し

また15分後くらいにワンワン

その繰り返しでした。

夜が明けてからはずっとスヤスヤ

息をしているか何度も確かめ

昼過ぎ、私 ウトウトとしてしまい

目が覚めると健斗は息をしていませんでした。

最後の亡くなる瞬間を見ていませんでした。

やだ、健斗、健斗~ 

叫んでも息は止まったまま

何で、あんなところで寝てしまったのだろう。

私って、つくづくバカなんだと実感。

 

 

延命処置はしませんでした。

寝たきりになり

意識を蘇らせる処置をしたところ

苦しみ、また意識がなくなる

の、繰り返しだと聞きました。

餓死が一番、幸せな死に方なんだよって

信頼できる先生が仰っていました。

そうです。私も老衰が一番、幸せな死に方だと思っています。

自然に逆らわず、このまま穏やかに逝ってくれたらと願っていました。

それでも、最後の1日はワンワンと15分おきに鳴いていたので

苦しんだんだと思います。

意識はなかったけれど

病院へ連れて行った方が良かったのか?

これ以上、苦しませたくなかった。

意識をハッキリさせて苦しませたくなかった。

私は薄情なママだったのでしょうか?

 

 

 

亡くなった次の朝

特に種を撒いていなかったのですが

昨年の朝顔の種が残っていたのか

可愛い赤と紫の朝顔が1輪づつ咲きました。

それがポポさんと健斗に見えて・・・

だって、この日だけだったんですよ。

次の日には何にも咲きませんでした。

 

 

季節はずれの、くちなしの花も1輪 咲いていて・・・

 

 

 

ポポさんの時に充分、お花を頂戴したのですが

また、次々とお花が届きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健斗、たくさんの方に愛されていたんだね。

こんなに沢山のお花が届きました。

ありがとうございますm(__)m

 

火葬場へ向うのに

もうナビも必要なくなりました。

こんなのに慣れて どーすんの。

ここへ行くの、もう9回目になります。

たくさんの子が亡くなりました。

何度やっても慣れないこの儀式。

 

 

 

 

 

 

 

大好きなオヤツをたくさん置いたからね。

 

寝たきりになってからオシッコは出ていたのですが

ウンチはまったく出なくて

火葬した跡のお骨の中に黒い物がたくさんありました。

これはウンチなんたそうです。

燃えてくれたらいいのに・・・

なんで残ってんのよって泣けてきました。

 

家に帰って来ました。

こんなに小さくなって・・・

 

 

ポポさんと並んで。

 

 

健斗は北海道のセンターにいました。

北海道の まりちゃんの里親さんが凄く気になっていた子です。

私も偶然、インスタグラムにポコっと入ってきて

年齢を見てびっくり。18歳でセンター持込みって・・・

お婆さんが飼っていて、亡くなり

娘さんが引取ったものの

飼えないとのことでセンターへ持ち込んだ子なんだそうです。

その時に、健斗の他にもう一匹おりました。

2匹飼っていたそうです。

女の子で小奇麗な子だったので

センターにいる時点で里親が見付かったんだそうです。

一方、健斗はお顔がグチャグチャで可愛がられていたとは思えず

放っておかれたといった感じでした。

私もその年齢と、お顔に衝撃を受け

引取りたいと思っていたとほぼ同時に

まりちゃんの里親さんのサンタママから連絡があり

この子を引き出したいと。

その頃、サンタママのところではサンタ、りく君、まりちゃんと3人いたので

健斗までは無理でした。

うちで引取ることにしました。

里親募集するつもりはなく、うちの子にするつもりでした。

そのことについては何の迷いもありませんでした。

うちに来るまでサンタママは何度もセンターに足を運び

引き出してからも凄く可愛がってくれました。

 

サンタママからお便りが届きました。

センターに行き、健ちゃんを抱っこしたら、すぐに眠ってしまい、下ろすのが辛くなり

翌日にお迎えに行ったことや

ケージに入れたら、ずーっと吠えていて、娘が抱くと幸せな顔で眠ってくれたこと。

目が見えないと思っていたのに、家中を楽しそうに探検したり

まりちゃんにマウントして、まりちゃんに嫌われたり。

サンタとリクとは、意外にうまく付き合っていたんです。

健ちゃんは、健ちゃんの寿命をちゃんと生きる事が出来たと。

それもこれも、ララさんのお家だからですね。

約2年、幸せな日々だったと、そう思います。

ほんとの誕生日がわからないけど、二十歳ですよね。

心残りは、ララさんの所で暮らす健ちゃんに会いに行けなかったことです。
小さくなって帰った、健ちゃん。
寂しいです。ご縁があったからこそ、寂しいですね。また、会えますよね。

 

にこり君(武蔵)の里親さまの まあこさんより

9月2日にポポちゃんが正式にララさんのお家の子になる事

健斗ちゃんは分かっていて

最年長さんの頑張り屋さんだから

そのことををしっかり見届けて

お空に旅立つつもりだったのかな?

って・・・

 

この時、健斗はポポさんと話しをしていました。

9月2日を迎えてから行くからねって言っていたのかな?

その次の3日に亡くなったのですから。

健斗、最期はカッコよかったよ。

 

師匠の翔ママから

ポポちゃんのこと、けんちゃんこと、残念で仕方ありません。
でもね、ララさんがママで良かった❗
ララさん以上のママは、どこにもいなかったと思います。
ポポちゃんのことが心配で、けんちゃん付いて行ってあげたんだよね。
優しい子だから。

 

泣かせないでよ。

翔ママの言葉にはいつも愛があり

胸に沁みます。

号泣です。

翔ママ、ありがとう。

 

 

けんちゃん、亡くなった お婆ちゃんと会えたかな?

うちにいた年月より遥かに、お婆ちゃんと暮らした月日は長いものね。

そっちへ行っても うちにいつまでもいても構わないよ。

それは健斗が自分で選んでね。

 

うちに来た時は既に18歳を過ぎていました。

半年くらいしか生きられないのではないかと思っていたけれど

2年近くもうちで過ごしてくれました。

 

 

お顔の手術の時

ほたるママが一緒に来てくれたんですよね。

手術、よく頑張りました。

 

 

赤ちゃんみたいな健斗。

可愛いなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この、笑っている写真が一番好き。

 

 

 

大好きな米津玄師の「パプリカ」

けんちゃんに送ります。

優しい曲。健斗にピッタリだと思ったから。

 

本当に良い子でした。

健斗、さよならは言わないね。 またね~

 

 

東京は台風が接近しています。

お気を付けあれ・・・