ヘンリー・ミラーの「愛と笑いの夜」が古書店から届いた。本が記憶を呼び戻しにきたのだ。

  1968年初版本で、390円とある。現在700円の価格で仕入れたから60年弱でほぼ倍になっていた。

 池田満寿夫装幀の表紙もそう言えば、見覚えがある。ページを捲ってみた。パッと古書独持のきな臭さが鼻孔に広がった。

  「マドモアゼル・クロード」

  「頭蓋骨が洗濯板のアル中の退役軍人」

  「ディエップ=ニューヘイブン経由」

  等々5編。

  最初にこの短編集を手にしたのは何年前だったろう。初版本ではなかったし、たぶん10代後半だったように思う。

 それから半世紀以上たち、家を売却して、当書は本棚に埋もれたまま記憶の中に埋もれてしまった。

  それがある日、海原からひょっこり顔をだすように本のタイトルが甦った。まるで海難者のように手を差し伸べてきたのだ。

  本編に目を通す前に、まず訳者吉行淳之介のあとがきから読むことにしよう。

  この短編は一作一編を大事に読み直すことにする。

  作者ヘンリー・ミラー、翻訳吉行淳之介、装幀池田満寿夫。 実は、この三人には少なからず縁があった。

  ヘンリー・ミラーと言えば、「北回帰線」や「薔薇色の十字架刑三部作(サクセス・プレクサス・ネクサス)」などが知られているだろう。特別なファンではなかったが、なんとなく気にかかる作家だと思っていた。

 そんな時、仕事の関係で、長野県大町市を訪れることになり、その地域にひっそり「ヘンリー・ミラー美術館」があったのだ。水彩画、リトグラフなど200点ほどが展示された美術館だった。晩年の妻、徳田ホキ関連で日本の地方に設営されたのかと思ったが、そうでもないらしい。

  美術専門とは言えないミラーの作品は、どこかピカソのキュビズムを連想させたが、むしろ彼独特の自由奔放さが際立って、なにより鑑賞者を解放する力を秘めているような印象を受けた。だから、美術館自体にさほど知名度がないことが残念だった。そのせいか、後の2009年に当館は閉館してしまい、収蔵品は韓国の釜山市立美術館に寄贈されたと聞く。 

 

 翻訳は吉行淳之介である。「驟雨・原色の街」以来、「夕暮れまで」に至るまでなにかにつけ、私の創作活動に寄り添い続けてくれた作家である。

 大学時代に一旦、まとめとして「吉行淳之介論」という題目で卒業論文を書いた。だが、作家自身がご存命で、執筆も続けられていたので、論文というより、感想文的な中途半端な内容になってしまったことが悔やまれる。

  吉行の文章から学んだことは、大きく言って二つあった。

 まず、気負わず、気取らず、平素な語り口を心掛けること。ふたつ目は、書きすぎないこと。そのために彼の文章をなぞってみることもあった。たとえ、いくら吉行淳之介に近づけて書こうとも真意さえ揺るがなければ、できあがったものは自分の文章になる。そう信じてのことだった。その方法は彼自身推薦していて、そうやって自分の文体を探す時期があったのだ。(本人には迷惑かもしれないが、)その意味で吉行淳之介は文章においての先生だった。 

 この本のあとがきで、吉行がミラーの長編を「ダダ的」だと評している部分がある。ミラーの文章は「一行一行が強力な破壊力の砲弾だ」とも言っている。「ダダイストたちは破壊することだけに一生懸命で、ついには自分自身を破壊したり」、「破壊後の建設物がみつからず、結局平凡な世俗人になって、長生きする」とかなり手厳しい。

 それに対し、短編はミラーにとって解毒的に書かれていて、それが「爆発をつづけながら、自爆もせず、長生きする秘訣」のように見えると言う。この解毒剤をミラーは「ディエップ=ニューヘイブン経由」の中で、”人間の意識の下剤”と呼んでいる。

  34才で早逝した父、吉行エイスケもまた、世間ではダダイストと呼ばれた作家であった。野放図だった父親を揶揄する気持ちが、この一節にすこしばかり滲んで見えた。

 

  時代は進んで、仕事に邁進していた30代。プロモーション業界に身をおく友人のイベントで、池田満寿夫のリトグラフ展が開かれた。その頃、池田はすでに著名なアーティストになっていて、ヴァイオリニストで妻の佐藤陽子と熱海に住んでいた。その関係か、静岡で個展が開かれたのだ。

 展示会の終盤、なにかの手違いで彼のリトグラフが一枚だけ売れ残った。友人にとって初めての展示会、しかも池田満寿夫作品だったので、売れ残りがでるなどもっての他の事態だった。

 そこで、こちらに電話がかかってきた。 版画やリトグラフなどは作品の価値を保持するため現定数刷られたら、元版は処理されると聞く。だから、作品にはすべて刷り順に番号がふってある。

 当のリトグラフの番号は忘れたが、一作30万円だったと思う。「友人の窮地を救うための代金」は、その後、5年も寝かして売りに出せば、10万は上乗せできると友人は説得する。バブルの頃だったし、ヘソクリもあったので、仕方なく購入することになった。

 そして、5年後、友人の言葉どおり売りに出すと、50万になっていた。売ることが前提だったし、綺麗に保管するために作品自体は2、3度しか見ていない。池田先生には後ろめたい気持ちもあり、今思えば、ずっと壁に掛けて鑑賞していた方がよほど値打ちがあったと思う。 

 

  さっそく、本編に目を通す。 

 「マドモアゼル・クロード」は、娼婦との関係が描かれている。

 物語は体験談としての客観性はなく、その一筋縄でいかぬ邂逅がプラトニック的な考え(登場人物に「不器用さと執着」が漂う筆致は、どこか、訳者の吉行作品に近い匂いがする)に支配される。その分、主人公の悩みや自分だけが彼女の本性を知っているという思い込みにはそれなりの痛々しさがつきまとうことになる。

  当時読んだ時は、エピソードのひとつひとつに引っ掛かり、おそらく突き放して主人公を捉えていたのではないか。だが、何年も経ち、本の内容が古びていくのと同じくらい、再び本を手にした自分も年取ってしまった。今回再読するにあたり、個々のエピソードを追うというより物語に漂う空気に身を委ねることを意識した。だから、後悔や妬みで不安になる主人公の心情やクロードの本意にこだわっていちいち立ち止まらず、事象の流れとして読み進めると、ラストシーンの夢想は、路上に咲いた徒花に降り注ぐ朝露のような優しさに満ちている。 

 その優しさは、一時の息継ぎのようなものなのかもしれない。けれど、それは娼婦のクロードを「マドモアゼル」と敬称で呼ぶ作者の切なさゆえのことだった。

 

  ところで、時を経て、突然本書のタイトルが脳裏に浮かんだのはなぜだったのだろう? 本書を取り寄せてまで再読を迫られたのは、なんの合図だったのか。一瞬そんなことも考えてみた。 

 池田は63、吉行は70、ダダ的だったミラーは88まで生きた。人にはそれぞれの生き方があり、それぞれの死に方がある。生前のことは、残った者だけが語り継ぐ。

 

  この本を手に取り、再び読み始めて気がついたことは─。 

 総じて、ここに書かれた逸話は人生の一休止のように見えたことだ。 

 「あとがき」で訳者の吉行が語ったように、「自爆もせずダダとして長生きしている秘密」とはまさに、一旦主張をやめ、目を閉じれば、どんな奇妙な出来事も意味なく見える人生も、すべてを肯定し、「笑い」に変える優しさになる。

  そんなものが、どこかにあるのかもしれない。