粒状火薬の登場と火器の技術的成熟

(1)粉末火薬から粒状火薬へ
 火薬は英語でGUNPOWDERという。POWDERというくらいなのだから、一般に火薬と言えば粉状のものを想像するだろう。しかし粉状の火薬は湿気をよく吸収するという弱点を持っていた。これは段ボール箱にいくつもピンポン玉が入っているところを想像してみるとわかりやすいかもしれない。

 15世紀に火薬を粒状にする技術(コーニング)が考案されると、この弱点はある程度解消された。これは先ほどと同じサイズの段ボール箱に1つのバレーボールが入っているところを想像してもらいたい。先ほどのピンポン玉に比べて、バレーボールの方が空気に触れる表面積は比較的少ないことがわかるだろう。そしてこの粒状火薬は火薬の粒子が小さく密集しているため、燃焼速度と爆発力で粉末火薬に大幅に勝っていて、安定して燃える性質をもっていた。

 

 

 

 

(2)大砲技術の成熟 ~15世紀から16世紀~
 この粒状火薬の登場によって、大砲の技術はある程度成熟した。19世紀の産業革命で兵器に革新がもたらされるまでの技術が、15世紀から16世紀にかけて登場することになる。その成熟のなかには以下の4つの特徴を挙げることができる。
 第一に、砲身が長くなった。長い砲身は、火薬が生み出す圧力を閉じ込めて、弾丸に長時間作用させることができる。そのため、火薬の爆燃のエネルギーを従来よりも効率よく弾丸の速度に変換することできるようになり、大砲はその威力を増した。
 第二に、火薬の装填量が増大した。火薬の取り扱いはその危険と隣り合わせである。そのため大砲に装填する火薬の量には細心の注意がはかられた。15世紀初めには火薬の装填量は弾丸の重さの15%までに限られていた。しかし火薬の量は大砲の威力とトレードオフの関係であり、時代が進むにつれて装填される火薬の量は増大していった。16世紀になると弾丸の重さの50~100%の火薬を装填するのが普通になる。
 第三に、これは第二の特徴にも関連するのだが、鋳造青銅でつくられた大砲がしだいに鍛造でつくられた大砲をしだいに駆逐していった。特に口径の大きい大砲でこの傾向は顕著であった。従来の砲身は、鍛造製の部品を組み合わせてつくるものであった。青銅の原料の銅は鉄よりも高価であったが、パーツを組み合わせて作る鍛造製の大砲よりも、火薬が生み出す圧力に耐えることができるため安全であったのだ。
 第四に、鋳鉄製の弾丸が一般的な弾丸として登場した。当時の鉄は鉛よりもさらに安かった。また鋳鉄の弾丸は従来の石製の弾丸よりも三倍近く密度が大きいので、口径を小さくしても以前と同じ重さの弾丸を発射することができて、その威力も増した。

 
【参考文献】
著:バート・S・ホール、訳:市場秦男『火器の誕生とヨーロッパの戦争』、平凡社、1999年。
Wikipedia「大砲」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大砲(2020年2月3日参照)
Wikipedia「コーニング」 https://ja.wikipedia.org/wiki/コーニング_(火薬) (2020年2月29日参照)