「ただのお母さん」ほんのひと昔前、この言葉は女性としての誇りに満ちていました。なぜならこの言葉には、夫の両親を支え、夫を支え、子育てに責任と生甲斐を持つ逞しさと誇りがあったからです。それは家族の絆に支えられた日本のお母さんの姿であり、社会を支える原動力でした。私の中学時代ウーマンリブという運動がありました。大学を卒業し、そこそこの会社に就職しても女性はお茶汲み。男性と同等の仕事は遣らせて貰えず、又、家に帰っても夫が家事を手伝うことは殆どありません。主夫という言葉が出始めたのはつい最近です。子育ても含め、家事労働や仕事における根深い偏見に“NO”を唱え、男女間の差別廃止を主張したのがウーマンリブの女性達でした。それは、私にはあこがれであり、でも少し違和感のあるものでした。あれから、女性の職場進出、社会参加が大きな波となり、大学進学率も男性と並ぶほどに、キャリアウーマンという言葉も生まれました。それと同時に、日本古来から続いていた家族制度は崩壊し、マンション暮らしの若夫婦で都会は溢れ、老夫婦のみの田舎は過疎化へと、日本の社会はあっという間に核家族化していきます。それはあたかも家庭に閉じ込められた女性のエネルギーが外に向かって爆発している様でした。しかし核家族には子ども達のお祖父さん、お祖母さんは当然居ません。それは家庭に昔から伝わってきた「知恵袋」が無くなることを意味しました。「子どもは泣くのが仕事。」「おまえのお父さんは小学校でもまだオムツしとったよ」と笑いながら子どもを抱き上げてくれる手はありません。毎夜、子どもの夜泣きに若い両親は訳もわからず、また他人の子どもと比較して自分の子どもは知恵遅れではないかとノイローゼになる母親も居ました。「どうして私だけが、子どもに縛られるの」と苦しんだり、「子どもは私のもの」と着せ替え人形にしてしまったり、自分のできなかったことを子どもに全てさせようというように。
「ただのお母さん」は、核家族によってただ一人の主婦の座を得ました。でも、かつての家族はお互いが学びあい、心を通わせあうことによって、家族の絆をつくり、子どもたちをみんなで守り育ててきたのです。いつのまにか、学びあう家族の姿は消えていました。
さらに時代はバブルへと突入します。日本中が中流意識を持つ中で外食産業がみるみるうちに膨らんでいきました。ほか弁やファミレス、コンビニが町中に溢れ始めると、父親の昼食は自分の小遣いの中で。給食が無い子供は登校中パンを買う。土、日は外食という家庭が一挙に増加し始めました。こうして家電製品による家事の短縮化に加え「ただのお母さん」は食事を作る手間も省けるようになったのです。
こうなると、より豊かな生活をするために「働きに出ること」しかありません。或いは時を潰す趣味を持つか、我が子を見つめ続けること。異常な母親の干渉が話題になりました。ところが「外食」は家族と子どもたちに一つの小石を投げていたのです。それは、 食事の偏り? 母親の愛情不足? 無駄遣い?いいえ、それは他でいくらでも取り戻せます。ファミレスでの風景を思い出してください。家族一人ひとりが子供達も含めてメニューを持ち、口々に自分の好きなものを頼んでいます。そう、ここでは家族だからといって同じおかずを食べる必要はないのです。それぞれの好きなもの、それぞれの欲求を満たす生活が浸透する始まりです。<崩れる>という言葉は実に恐ろしいもので、歯止めがきかなくなります。同じ皿から同じものを食べなければ、同じ時間に食べる必要もありません。さらに進むと同じ場所で食べる必要もありません。土・日もないほど仕事に忙しい父親、パートで疲れきった母親、学校・塾通い・お習いごとと次から次へと息を継ぐまもなく渡り歩く子供達。<家族 >の形はここまで変容しながら1990年頃からはバブル崩壊。そして21世紀のグローバル経済の時代、格差社会へと歩み始めます。
どの時代も完璧な家庭像はありません。大家族制度にも様々な問題は孕んでいました。でも、問題を含んでいるのは核家族も同じです。
いつの時代も流れの只中に居る小船は先はどこに行き着くか予測はつきにくく、今日の振る舞いが明日どうゆう波紋になるかは解りません。いえ、この小石の一投がどんな波紋になったかも気付かずに日常を送っていることが殆どです。それは小石の一投のみで時代が流れるのではなく、様々な要因が集まって流れを生まれるからでしょう。そして誰も明日を今日より悪くしよう、などとは思うはずは無いのです。
食育を正せば、原発を無くせば、昔に戻れば。いえ、全ては複雑に絡まり、昔に帰れても解決はしません。
だからこそ、考えなければいけない。
私たち「ただのお母さん」は核家族によって何が失われたのか、そしてそれがなくても家族として成り立つ新しい家庭を構築するためにどうすれば良いのかを。いえ、誰もが考えなければいけない。この時代を、自分の置かれた社会を、子供達の未来を。そして日本を、世界を。時代のせいにせず。国のせいにせず。気付かぬふりをせず、何が正しいか、自分はどう生きるかを。
大切なのは、自ら考え、もがき苦しみながらも人生を切りひらき家族の絆を築くことです。
その姿が、私たちの子ども達が逞しく成長する為に大きく左右していきます。
そして、考えるために、子供たちには知識を吸収して欲しいのです。
100年後の子供たちの子供たちの子供たちのために。
2011年9月 通信~ニュースレター~