その古いビルの階段をおそるおそる上がると、マスターらしき男性が店内のイスなどを廊下に出してなにやら作業中。

わたしに気づいて「こんばんわ」とニッコリ。
怖気づいているのを悟られぬよう「こんばんわ」とニッコリわたし。
「ごめんなさい、今日は休みで…」と、申し訳なさそうに謝るマスター。ハイもちろん察しております、また来ます、と丁寧においとま。

階段を半分ほど下りたところで、追いかけて来たマスターが名刺を差し出す。わたしも実はバンドをしてるんですと差し出す。

「少し中、見ていかれませんか?ちょうど作業もひと段落したところで」
思いがけずうれしい。

お言葉に甘えて中へ。
小ぢんまりした店内は、じとっと心地よくあったかい。営業中の空気が残っている。

最初に目に入ったのはやはり古いアップライトピアノ。近づいてみると、鍵盤は薄く黄色がかっていたり、ところどころ黒くなっていたり。
ポーンと鳴らすと、すこし歪んだ音がする。丸い。気持ちいい。ブルース向きのピアノかも。

まだゆっくりしていってくださいとのお言葉に更に甘えて、それじゃぁマスター、なにか弾いてもらえませんか。なんて言ってみる。

アメリカのミュージックバーを巡って感化されたというピアノ、それはそれはブルージーな声、目を閉じればアメリカ。
いかん、なんて贅沢なの。

お礼をのべて握手をしてお別れ。必ずまたマスターに会いに、ONの日の(きっと)哀愁漂う煙たい空気を吸いに来る。