~プリンセスクルーズ2018年5月14日(月) in 那覇晴れ~ 

 

順序に従って…建物の内部を見学。

まずは…

南殿・番所(なんでん・ばんどころ)

 

 

「番所」は、通常は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所であり、

「南殿」は日本風の儀式が行われた所だそうです。
いずれも塗装を施したという記録がなく、

また元々日本的な建築であるため着色はしていないそうです。

現在はいずれも資料展示スペースとして利用されています。

残念ながら写真カメラはNG。

入口だけOKだったので…(下の写真)

番所の展示室中央に飾られている中国風の傘。

これ…よく韓国ドラマでお見かけするものと似てるけど…

琉球では「御涼傘(うりゃんさん)」といい、

もとは日傘から発生したもののようですが、

実際は国王や高貴な人が行幸するときの装飾用として使われそうです。

 

 

首里城正殿は木造の3階建て。
1階:下庫理(しちゃぐい)  国王自らが政治や儀式を執り行う場所
2階:大庫理(うふぐい)   国王と親族・女官らが儀式を行う場所
3階:―           通気を目的とした屋根裏部屋

首里城正殿内部の見学では、1階、2階を見ることができます。


1階は下庫理(しちゃぐい)といって、
国王が儀式や年中行事を行った場所。

 

 

1階だけで、101本もの柱があって華やかですが…

大庫理(うふぐい)と呼ばれる2階と比べると装飾はこれでも控えめなんだとか。

 

 

正殿の中で最も豪華な装飾施されているところが…

国王が座る玉座で御差床(うさすか)と呼ばれているところ。

因みに、御差床背後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)があり、

国王はその階段を使って2階から御差床に出御したそうです。

 

 

この豪華絢爛な国王の椅子。

この椅子は、1477年~1526年まで在位した

尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものなんだそう。

 

 

また部屋の上部には、中国皇帝から贈られた御書(ぎょしょ)の

扁額(へんがく)掲げられていました。

3つあったんですが…

見学者が多くて…

写真に収められたのは2だけ。

「琉球は、中山が代々治める土地である」っていう意味の

「中山世土(ちゅうざんせいど)」と
「海の向こうの琉球を永く幸いに治めよ」っていう意味の
「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」

 


もう一つは

「球陽(琉球)にはめでたい印が集まっている」という意味の

「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」

 

こちらは琉球王国の国王が身に着ける皮弁冠(ひべんかん)と呼ばれる王冠のレプリカ。

玉御冠(たまんちゃーぶい)とも呼ばれ、国王が儀式のときにかぶるものだそうです。

本来は生地は絹で、金銀、水晶、サンゴの玉が装飾されている豪華な造りになっています。

 

 

首里城正殿の構造模型。
現在正殿は3階に入ることができないため、

この模型で3階を確認することができます。

3階の柱は八角柱で1階・2階と比べると細いものが使われているのがわかります。

 

 

2階南東隅にあるここは「おせんみこちゃ」とよばれる部屋。

国王みずから女官とともに毎朝東方に向かって拝んでいたところでだそうです。

身分の高い神女の任命儀式などもここで行われていました。

今でも常にお香がたかれており、神秘的な雰囲気が漂います。

 

 

 

首里城の歴史を全て見てきた正殿内の遺構。

 

 

正殿から北殿へ移動。

 

 

北殿(ほくでん)

琉球王国当時、北殿はは北の御殿(にしのうどぅん)、

議政殿(ぎせいでん)とも呼ばれていたようで

その名の通り行政施設だったようです。

王府の重臣や役人たちが働いており、

冊封使が首里城を訪れた際には、ここで歓待したそうです。

そうそう…

ここは2000年に行われた沖縄サミットの晩餐会に利用された場所なんです。

現在は資料展示、首里城のミュージアムショップもあり、

ここでしか買えないオリジナル商品のあるようです。

 

 

「朝拝御規式」模型
朝拝御規式(ちょうはいおきしき)は琉球王国時代、

元旦に首里城で執り行われた正月儀式n.

国王をはじめ琉球の役人が御庭に整列し、

中国風の厳粛で壮大な儀式を執り行っていたそうです。

 

 

 

南殿~正殿~北殿とめぐって、外に。

右掖門から城外に出ます。

右掖門(うえきもん)は別名「寄内御門(よすふぃちうじょう)」ともいい、

創建は15世紀頃と伝えられているそうです。

1992年(平成4)に櫓から下の城壁部が復元され、

2000年(平成12)に櫓(やぐら)が復元されたそうです。

 

 

首里城は、沖縄戦のアメリカ軍の激しい攻撃によって破壊され、ほぼ消滅し

残ったのは僅かな石垣の一部だけ。

その石垣の修復された姿がこれ。

 

 

 

 

出口になっているのは久慶門。

しまったー。写真撮るの忘れたー。しょぼん

久慶門(きゅうけいもん)

別名「ほこり御門(うじょう)」ともいうそうで、

歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、

ここは通用門で主に女性が利用したといわれているんだそうです。

 

「アカギの大木」

トウダイグサ科の常緑広葉樹で、戦前まで約1mもの太い枝を首里城の城壁まで伸ばし、

道行く人々に涼しい木陰を提供していましたが、沖縄戦によって焼かれてしまい、

枯れた幹だけ残りました。戦後、その幹も台風で途中から折れてしまいましたが、

その後アコウ(クワ科)が寄生し、昔の面影をとどめています。

…と書いてありました。ニコニコ

 

 

「首里杜館(すいむいかん)」

首里城公園のインフォメーションセンターです。

 

 

 

これにて首里城の見学は終了。

まだまだ、見てない場所がたくさんあります。

機会があれば、またゆっくりと見てまわりたいと思います。