~イタリア旅行3日目 in ナポリ(7/25)

3日目
今日のスケジュールは午前中にポンペイ遺跡の見学。
午後からは念願のアマルフィへ。

8:00 ホテルを出発~
ホテルからポンペイ遺跡まで約30分のバス移動です。

ポンペイについてすぐに、カメオ工房へ。
カメオ工房へ行くなんて予定表には書いてなくて…
まぁ、そのカメオ工房っていうのがポンペイ遺跡まで歩いて行けるところだったから
トイレ休憩?ってこともあったのかなぁ~。
結構そのお店にお時間を取られてしまったような~。

カメオ工房は確か
CELLINI だったかな~。
写真たくさん撮ったんだけど…なぜか1枚もない。消えた~?
ほんと不思議。
今回の旅行で結構写したはずの写真がなくてショックなんだよね~
カメラが壊れたのか。メモリが壊れたのかわからないけど…
カメラは修理に出したばっかりなんだよね~。ホント不思議。

そうそうカメオの話に戻って…
帰ってきてから知ったんだけど…
カメオってナポリの
トーレ・デル・グレコっていう町みたいね~
私は、なにも買いませんでしたが…
好美ちゃん、このお店でとっても素敵なカメオのペンダントヘッドをお買い上げ~。
日本ではなかなか見かけないデザインだったからいい旅の思い出の品になるね~。
で、私も何か一つ買ってくればよかったな~って後悔。
がしかし、ここでのお買い物があとあと貧乏になっちゃう原因に…トホホ。
もし、私も買ってたら大変な窮地に追いやられてたかも(笑)


遺跡の入口付近にはオレンジやレモンがぶら下がったお店がたくさんあります。




ポンペイ遺跡
ナポリ近郊にあった古代都市。
西暦79年8月24日にヴェスヴィオ火山が大噴火、
、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、
翌25日の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。
とされています。
18世紀半ばになって、ようやく発掘が始まったそうです。

ユネスコの世界遺産に登録されています。

遺跡のマップはこちら(


ポンペイ
遺跡の入口マリーナ門


門をくぐるともう古代都市ポンペイです。
なんか~別世界に来ちゃった~って感じです。



そのまま真っ直ぐ歩いて左側にあるのがアポロ神殿

アポロ神殿
ポンペイの神殿の中で最も古い遺構だそうで、
建立は紀元前6世紀、現在のような姿になったのは紀元前2世紀と推定されているそうです。
当時は48本のイオニア式柱廊で囲まれた長方形の建物だったらしいですが、
現在残っているのは2本だけ。
アウグストゥス帝の時代に設置されたとされる、大理石でできたイオニア式円柱は(写真、白い円柱)は
針の射す影から日時計の役割を持ってたそうです。
アポロはギリシャ神話の最高神。

そしてポンペイの守護神だったそうですが、
次第にアポロ信仰が失われ、ジュピターが最高神と崇められ、フォロの中で最も重要な神殿がジュピターに捧げられたそうです。



柱廊の沿いには矢を射るアポロ、反対側にディアナ像が立っています。



この矢を射るアポロ、ディアナ像、
共にレプリカで本物はナポリの国立考古学博物館に所蔵されているみたいです。


フォロ(公共広場)
ポンペイの全市民が集まれた公共広場。
フォロにはジュピター神殿、ヴェスパシアヌス神殿、
ローマ人家庭の守護神の神殿、食肉の市場などがあります。
フォロのグランドには当時は大理石の床だったみたい。(凄いね~)

白い列柱はフォロを取り囲むように建てられていた名残だとか。


ジュピター神殿
ポンペイで一番重要な神殿で、ォロの北側にあり、ジュピター、ユノー、ミネルヴァノ3神を祭った神殿です。
今見られる神殿の中では最大規模のようです。
建立は紀元前2世紀。
高い基壇の上に建てられ、コリント式円柱に囲まれた神殿入口があり、
内部には列柱のある広い聖像安置室が設けられてるそうです。
そこで
ジュピターの巨大な頭像が発見され、
現在はレプリカが基壇の上に置いてあります。
本物はナポリの国立考古学博物館に所蔵されているそうです。


マルケム(市場)
全体は柱廊囲まれた四角形で、屋根のない空間の周囲に屋根付きの部分があったようです。
中央には、12本の柱で支えられた丸屋根の建物があり、
下水道付きの水槽が設置されていたそうです。
どうしてわかったかというと、このあたりでたくさんの魚の骨やウロコが発見されたそうです。



フロントーネの家 壁画
裕福な家の食堂に書かれた壁画です。



さらに、ここには人体石膏像が2体展示されています。
火山灰に埋もれて亡くなった人の遺体が朽ちてできた空洞に石膏を流し込むことで、
被災したときの姿をそのまま現代に蘇らせています。



添乗員さんのお話ですと、この石膏像の1体は、ウエストにベルトをし
ていたので
奴隷ではないかということです。
また、頭がい骨と歯は実際のものだそうです。

古代の運送屋さんの看板


フォロの浴場 
ポンペイには3つの浴場があります。
このフォロの浴場とスタビア浴場、中央浴場の3つです。
この浴場が建設されたのは、紀元前80年頃と推定されています。
浴場は、男女別に分かれ、それぞれに脱衣所、冷水浴場、微温浴室、高温浴場があり、
床暖房まであって、さらに中庭は運動場(パラエストラ)
となっていたそうです。

フォロの浴場 冷水浴場(フリギダリウム)
丸い部屋で天井がクーポラみたいに丸くなっていて、
天窓から日が射して明るい部屋になっていました。
ここはサウナで熱くなった体を冷ますための大理石ででき二段の冷浴槽がありました。


フォロの浴場 微温浴室テピダリウム
ここは浴槽はなく、大きな銅製の火鉢で浴室全体を暖めた、
今でいうサウナのような部屋だったようです。

天井はアーチ型でローマ時代に始まるコンクリート製だそうで、
木製天井と比較して湿気にも強く、柱を省いた広い空間を造る建築技術だそうです。


天井には神話の人物の描かれたメダル状の装飾がみられます。


周囲の壁にはこんな男性像で仕切られた棚(荷物置き場)もあります。
でも、盗難も多かったらしくて、お金持ちは奴隷に見張り番をさせてたとか。


これが部屋を暖めた銅製の火鉢


フォロの浴場 
高温浴場(カリダリウム)
天井から壁に向かって施されている筋は、
水滴がポタポタ落ちずに壁に沿って流れるようにとの工夫だとか。





入口のある右の壁が破損していました。
空洞のある壁の構造が見えていて、この空洞を利用して部屋を暖めていたのわかります。



これは中央から噴水が出ていたとされている大理石でできた水盤。
縁には、
これを選挙での投票を期待してこれを寄贈した人の名前が刻まれているそうです。
もう、この時代に選挙があったなんてびっくりです。
ここで、水を飲んだり、火照った顔や体を冷やしだのではないかとのこと。
水飲み場の上面には、フレスコ画が施されています。


水飲み場の反対側には暖かいお湯が張られていた大理石製の大きな浴槽がありました。



(写真の撮り方を失敗しました~)




長くなるので…づづきは次回に。