本書は、いわゆる「科学の本」というジャンルにはすんなりとは収まり切らない大作である。たとえるなら大河小説だろうか。
なるほど一九〇六年にサンフランシスコを襲った大地震がメインテーマであるにはちがいないのだが、話はそれだけに留(とど)まらない。大地震を引き起こした原因であるカリフォルニアの活断層、ひいては地球のダイナミックな活動とそれを解明する地質学についてはもちろん、時空を自在に横断しつつ悠々と語られる物語は、サンフランシスコという街の来歴、ひいてはアメリカという国のあり方にまで及ぶ。
そもそも著者は、一〇〇年前の地震について語るために、自宅のある東海岸から車で合衆国を横断してサンフランシスコに向かう旅に出る。あげくのはてにはサンフランシスコへの短期移住まで決行してしまう。
本書の構成にとって、一九〇六年のサンフランシスコは、一つの結節点とでも言えばよいだろうか。歴史はそこに向かって収束し、たまたまそこに居合わせた人々の足下で大地が咆哮(ほうこう)する。
一九〇六年四月一八日午前五時過ぎのサンフランシスコとその周辺には、不世出のテノール歌手カルーソーや作家のジャック・ロンドン、アンブローズ・ビアス、後の写真家アンセル・アダムズなどのほか、有名無名様々な人々が引き寄せられていた。この結節点へと至る著者の筆致は、ハリウッド映画の巨匠ロバート・アルトマン監督が描く群像劇を彷彿(ほうふつ)とさせる。ばらばらに同時進行していたオムニバスドラマが、大事件の勃発(ぼっぱつ)と同時にみごとに一つにまとまって意味をなすという仕掛けなのだ。
そしてその結節点から、また新たな歴史が語られる。それは、地質学、地震学にとって新たな歴史の出発点ともなった節目の年でもあったからである。いまや、地震の原因を天罰と考える人はいないし、大ナマズのしわざと考える人もいない。地震は、地球の地殻を覆ういくつものプレートが織りなすダイナミックなドラマの一環なのだ。
絢爛豪華(けんらんごうか)なオペラの公演から一夜明けた花の都サンフランシスコは、大地震によってあっけなく崩壊した。防災対策がいっさい施されていなかった虚飾の街は、大地の揺れにも猛火にも無防備だった。
サンフランシスコ大地震の規模はマグニチュード七・九と推定されており、死者の数は五〇〇人とも三〇〇〇人とも言われている。ちなみに一九九五年に発生した阪神・淡路大震災はマグニチュード七・三で六四三七人の死者・行方不明者を出した。マグニチュード九・三とされる二〇〇四年のスマトラ沖地震では津波が発生したこともあって二十数万人の命が奪われた。
大地震
は数値だけでは語り切れない悲劇や教訓
を残し、なによりも歴史を変
える。著者は、単なる地震の科学
に関する本を書きたかったわけではなく、大地震によって変えられた歴史について語りたかったのだろう。そう、本書は科学書
であると同時
に歴史書なのだ。
