#松林の樹:我が家を西から守る針葉樹。この前は、樹皮を採取して、紙の原料の一部にもできた。

 

 

 

 

 

ここに挙げる詩は、2025年に書いたものだが、しっかりバックボーンとなる世界があった。

 

 

 

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「松林に包まれたい」の成就(詩)

 

 

 

老子から西王母への便り

 

 

言葉が一筋縄ではいかないことを

私に教えてくれたのが、

現在長野の山奥に住む

松林明代さんであった。(これは旧姓)

お互い短い間心を寄せ合ったが別れた。

 

 

私は2人が共通で読むミニコミに

水に関する連載を持っていたが、

「松林に包まれたい」との文言を書いた。

これは実際の林と、彼女に抱擁されたい

という願望を掛け言葉にしたものだ。

 

 

この言葉は、最近、意外な形で

成就していたことが解った。

私の家の西方ガード木が

一本の木が多重に枝別れして

針葉樹の林のように見えるのだ。

まあ、ざっと松林だろうよ。この木。

 

 

私を守ってくれるだけでなく、

枝で私をつついて警告も垂れる。

小憎らしい木だが、

これは松林明代さんの分霊で、

いつでも私を包んでいるのだ。

 

 

                                                  松久義也

 

 

 

%%西王母(せいおうぼ):西方の世界を司る、女性仙人の元締め。不老長寿の「桃」を栽培している。%%

 

 

 

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私が松林明代さんと逢ったのは5回だったか。実際に逢うことがはっきりしていた期間は4か月もない。山尾三省さん(屋久島在住。故人)の詩の朗読会で知り合い、その晩の内にお互い恋に落ち、サカキ・ナナオさん(世界を庭と見なす現代の在原業平。故人)の2回目の詩の朗読会で決定的に破綻し、最後に所用で彼女が働く出版社に出向き、それでジ・エンド。

 

 

 

 

なぜそういった短い恋愛になったかと言うと、結婚した後の生活設計思想の相違だった。山尾三省さんもサカキ・ナナオさんもコミューンで暮らすことを理想とした部族(いわゆるヒッピー)出身の詩人であり、またそのグループを抜けてもいなかった。そこには独自の精神の安らぎがあり、それを認めるのに、私もヤブサカではなかった。

 

 

 

 

でも、私はその規模で言えば世界に広がるコミューンの一員になろうとは、決して思わなかった。なぜ?――私が傲慢だからだろうか?ともかく、コミュ―ンの一員となるべき連れ合いが是非とも欲しい松林さんとは相容れなかった。2人の間に子供がいる姿も否定できない私だったが、コミューンにはどうも・・・

 

 

 

 

お互い、自分の将来像には頑固だった。でも、2人が一際接近した日があった。それは晴れた秋の好日、山尾三省さんを囲んで奥多摩の御岳神社にハイキングに行ったことだ。お互い参加することが当然と思い合い、私が持っていったスケッチブックにお互いの姿を描き合い、神社の鎮守の古木に思いを馳せ合ったこと・・・ああ、「思い出の樹の下で」。

 

 

 

 

 

厳しい別れだったが、私は必ず再会すると信じて・・・ああ、6回逢っていた。私は後日、長野県の山奥大鹿村に連れ合いと住む松林明代さんを訪ねた。ぎくしゃく関係は解消しなかったが。それでも、今になって、上に挙げた詩の通り、2人隣合って住んでいることに気づいた私なのだった。

 

 

 

 

 

 

BGM 思い出の樹の下で(岩崎宏美):私にとって、独自の体験も加味して岩崎さんの代表曲だ。

 

 

 

2026.01.27

 

 

 

松久義也