コン・ラオ、コン・ニプン(ラオス人、日本人)。#2

田植えに行った時の事だ。早朝から作業を開始するので昼食を兼ねた昼寝の時間がある。
程よく汗をかいて、小屋で輪になって食事した後、穏やかな差し日の中
ごろん
、と竹の床に寝転がった。
俺が寝転がった右手に同じ歳の兄さん、左手に子供たち。たゆたう様に聞こえる女性陣の会話。爽やかな風も吹き抜けて早々に心地よいまどろみの中へ。服は汗臭い上にすっかり汚れている。鏡なんて二週間まともに見ていない。今の自分は相当格好悪い筈だ。
小屋の外に目をやれば、延々田んぼと山が続くだけで何もない。空はどこまでも蒼く深い。怖いくらい大きい。
何も、無い。
両隣に寝息を確認した時、ふと泣きそうになった。そこには何もなかったけれど、全てがあった。一切の「無駄」が無かったのだ。大好きな人たちと思い切り仕事をして、食事をして、眠る。それだけで心から満たされた。このまま時間が止まってしまえばいいと思った。そして、この人たちが悲しむ様な社会であってはいけないと、ぼんやり思った。
ラオスの人たちはシンプルだ。素直だ。暢気で自由で面食らう事も確かにあるが、シンプルである事がどれだけ難しい事か。いいや、簡単な事を人はいつだって難しくしてしまうのだ。
人はもっと、もっとシンプルでいいのだ。
3月にラオスを訪ねた時に、東日本大震災直後の渡航もあって、初めて小学校でスピーチをさせてもらった。毎日に誠実であって欲しい。そんな話をしたのだけれど、言われなくたってラオスの人たちは当たり前にひたむきだ。敢えて話したかったのは、自分がラオスで出逢った人たちから学んだ事を還したかったから。もう一つ、今まで受け身に徹して付き合ってきた彼らに、自分をもっと知って欲しくなったから。
初めての出逢いから6年経って、ようやく教えてもらった色んな事が自分の中で芽を出し始めている。
彼らの何にこんなにも強烈に惹かれて通ってきたのか。どうしてラオスに居ると開放感を感じたのか。それは彼らの素朴で、屈託なくて、たくましいシンプルさに惹かれていたからだ。ここには本当の、人の「あるべき」姿がある。
日本が、世界がこんな時だからこそ、その思いは更に強くなった。
アジアの中で唯一海に隔てられた日本。遠くて近い、それでも同じアジアに居るからこそ、まだまだ出逢わなければ、話さなければいけない人たちが居る。これまでも今も、そんな気がしている。
今回の後書きに代えて。
