気ままなLANIKAI日記 ☆大好きエアロと日々の徒然☆

気ままなLANIKAI日記 ☆大好きエアロと日々の徒然☆

大好きなエアロ、日常生活、気になるもの...など、気儘に書こうかな〜と思っております。

5年ほど放置していたブログを久しぶりに読み返したら恥ずかしくなり...。
一旦キレイに全削除あせる
ココロ新たに、気の向いた時にボチボチ楽しんで行こうかと思っています合格

【追記】
温かいコメント頂きました方々、お心遣いに心から感謝しております。
有難うごさいました。

葬儀・初七日法要終えて、母が住んでいた施設から荷物を搬出し、日を改めて施設長さんへのご挨拶も終えました。

5年ちょい前くらい…
大阪から実家の母の所に帰省して翌日戻る予定だったのですが、前夜に母が高熱を出した為そのまま大阪に戻るのが不安だったので帰る前に〝風邪薬を念の為貰いに行こう〟と母をタクシーで当時かかりつけだった病院に連れて行きました。

とりあえず血液検査と尿検査だけ先にしましょうと言われて、血液検査後にトイレに連れて行ってたら看護師さんが2人走って追いかけて来られ、お母さんは?と。
酷い貧血状態で立っているのもフラフラな筈です!」と直ぐに車椅子に座る様に指示されてそのまま検査に。

吐血も下血もしていないのに有り得ない貧血状態だとそのまま緊急入院となり、翌朝には輸血も必要な状態になって原因不明の貧血と高熱が続き、大きな病院に救急車で転院後「顕微鏡的多発血管炎」という難病発症が分かり、炎症起こした血管から身体の中に血液が漏れていたとの事で計4ヶ月の長期入院となりました

そのせいで歩行困難となり車椅子生活になった為一人暮らしが成立しなくなり施設での生活が始まり、チョット風邪薬貰いに病院へ…と外出したまま母は自宅に帰れなくなったのですタラー

最初の頃は家に帰りたいって言ったらどうする? いつ帰れるって聞かれたら何て言う?と弟と心配していたのですが、子供の私達にさえ迷惑や心配をかけたくない気持ちが強い母だったので、数回「今家はどうなってる?」と聞かれた事がありますが、弟が空気の入替したり雑草草刈りしたりして管理してくれてるよと伝えると「ヨカッタ、ありがと」と言うだけで、ただの一度も帰りたい等と母が口にする事はありませんでした。
本当に我慢強い母でした。


生きてるうちにつれて帰れなくて本当にごめんね…と伝えながら今回母の遺骨を5年半ぶり位に実家に連れて帰り、仏壇の祖父や祖母とも合流?出来ました。

仏壇は実家にありますが四十九日法要まで母を一人にさせる気には当然なれないので、母は私の自宅マンションに連れて帰り、お陰で急に離れ離れになった感が和らぎ、そばに居る感じがして連れて帰ってヨカッタなぁ〜と実感していますおねがい


ウチには神棚のような存在のビリケンさん達がいますが、仏壇も神棚もなぁ〜んにもありませんアセアセ
葬儀会社がくれた四十九日法要まで線香を絶やさなくし易い12時間持続する蚊取り線香のような形のお線香とソレ専用の線香立て、24時間は持続するローソクをスタンバイしましたが、やっぱりお参りする時に普通のお線香立てるヤツとチーン!と鳴らす鐘は欲しいなと。

博多に戻って早速確かデパートには必ず仏具店が入っている筈だと一番近い阪急百貨店に行きましたが、仏具店が小さ過ぎて品揃えが無さ過ぎて買いたいものが無しもやもや


今まで仏具店など行った事がない為何処にあるのかわからず、阪急の中で博多駅周辺仏具店を検索すると、何故か川端商店街に仏具店が沢山ある事が分かり、大阪以前に福岡に住んでいた時に川端商店街に行った事はある記憶があるのですが、位置関係というか場所の配置が全然分からないもんで「何処にあるんだっけ?」と又Googleマップで検索。

地下鉄で行けるんだと分かり、駅降りたら目の前が川端商店街でいきなり仏具店も沢山あり、「お仏壇のはせがわ〜音符に初めて入り、チーン!って鳴らす鐘と(おりんですね…)、お線香を立てるヤツ(香炉と灰ですね…)と親切な店員さんに紹介して貰いながら小さめなのを購入して、おりんを置く座布団とおりん叩く棒も揃えて祭壇っぽい感じになりました照れ


今まで仏具に興味を持った事が無かったので初めて知る事ばかりで、お仏壇のはせがわonlineショップ等々で、香炉に燃え残った線香を掃除して灰を平らに整えるのに便利なグッズやローソクを簡単に消せるローソク消しや↓




おりんの棒を置く台や↓




葬儀会社がくれた24時間持続するローソクが、カメヤマローソクの〝あかりひとえ〟という商品のカートリッジだと分かったので、




本体を↓




カートリッジも追加購入して↓




お線香も今や金木犀の香りとか薔薇の香りとか石鹸の香りとか色々あるのを知り、今私の楽天やAmazonの購入履歴は仏具だらけになりました泣き笑い
なかなかの充実感になりましたが「無くなってから次のを買いなさい!」と母が言っているような気もします。


今週月曜から仕事も復帰して、火曜からジム活を再開しました。
全くストレッチも何も丸2週間身体を動かしていなかったので、火曜は何も動き始める前に足が攣りました酔っ払い

もう気持ちも落ち着きましたが、ちょこちょこ色々思い出す度に涙したりしつつ、まぁきっとこうやって徐々に慣れて行くのでしょうね。

ご心配頂き有難うございましたお願い





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2023.12.8 投稿分


最愛の母が急逝致しました。

水曜日、仕事明けのNo睡眠でいつものように母に会いに大分へ。

私が施設に到着して「娘さんが来てくれましたヨ〜」と施設長さんが母に声掛けしてくれている声を聴きながら、母にはまだ顔を見せずいつものように先に洗面所お借りして、手洗いして移動時のマスクを捨て新しいマスクに交換して、そして母の部屋に向かおうとしたら、トイレから施設長さんが母に呼び掛ける声が聞こえて…。

トイレに行くと座ったまま母が意識をなくしており、救急車をその後呼んで、そのまま看護師さんが心臓マッサージしながら救急車待ち。

呼び掛けても呼び掛けても母に意識がなく、救急車内で心臓が止まってしまい、途中救命救急センターのドクター車みたいなのと合流して、外で心臓マッサージの機械を取り付けて応急処置して、救急車をドクター車みたいなのに乗り換えて難病でもお世話になっている病院の救命救急センターへ。

弟が県外に出張に行っていて、そこから戻るまでは恐らく無理でしょう…とお医者様が仰いましたが、3時間かけて戻ってきた弟の事も待ってくれて、私達が見守る中20:15に息を引き取りました。

お昼ご飯まで通常に何ら変わらず食べていたそうで本当に突然の事でした。

人に迷惑をかける事が昔から大嫌いで、常に段取り組んで何でも人に頼らず早め早めに手早く自分だけで片付ける母だったので、恐らくどうせ倒れるなら私が来た時の方が急に訃報聞いてテンパらせるより良いと思ったような気がします。

たまたま月一私が行く日の私の到着時間にピッタリと合わせて急に倒れて、救命救急センターの部屋で数時間一緒に過ごさせてくれてから旅立ちました。

心残りは手洗いに洗面所に入る前に「来たよ〜!」と先に顔だけ母に見せてあげれば良かったってこと。
母は私の顔を見る前に意識を失ってしまったから。

突然過ぎて脳溢血とかそういうのかと思いましたが、肺動脈血栓塞栓症という肺動脈に血栓が突然詰まるというものでした。


お母さん、有難う。
本当に本当に本当に大好きだよ。
すごく寂しいよ。