京都に来て何より楽しいこと。それは、ただ「散歩」をすることです。

 

上(北)へ下(南)へ、そして西へ東へ。地図も持たず、目的も決めず、当てもなく歩く時間は、私にとって何にも代えがたい至福のひとときです。

 

友人たちと会う予定のない日は、親戚の家で午前中をゆったりと過ごし、午後になったら、誘われるように外へ。

 

小腹が空いたら、ふらりと立ち寄った甘味処で桜餅や柏餅を買い、食べ歩きを楽しむ。そんな些細なことが、日常の幸福度をぐんと引き上げてくれます。

 

◆京都の路地裏に、ネパールのデジャブを感じて

 

今回の奈良・京都の旅で、ふと感じたことがあります。

 

それは「ここの街並みは、どこかネパールの街と似ている」ということでした。

 

ヒンドゥー教徒の多いネパールの道端には、無造作にシヴァ神、ビシュヌ神、ガネーシャ神などの石像や石碑が祀られています。

 

鮮やかな赤(シンドゥール)や黄色の粉が塗られた石が神様として崇められていたり、小さな祠の中にひっそりと鎮座していたり。

 

ふと視線を落とした京都の道端にも、同じように祠に入ったお地蔵様や道祖神が座っています。

 

その光景を目にするたび、かつて歩いたカトマンズやポカラの街の記憶が、鮮やかなデジャブとなって湧き上がりました。

 

どちらの国も、人々の暮らしのすぐ隣に「祈り」が溶け込んでいるのだと感じ、温かい気持ちになります。

 

◆時空を飛び越える、偶然の出会い

 

何度も訪れている親戚の家の近所ですら、当てもなく歩けば、まだ知らない景色に出会います。

 

北野天満宮のほうへ足を向けたとき、偶然見つけたのが「大報恩寺(千本釈迦堂)」でした。

 

本堂は1227年の創建当時のまま残る、京洛最古の仏教建築として国宝に指定されています。 

 

本堂の柱に残る応仁の乱の刀傷や槍の跡を指先でなぞっていると、まるで時空を飛び越えて、数百年前の京都に迷い込んでしまったような錯覚に陥りました。

 

また、重要文化財の観音像も素晴らしく、なかでも「木造千手観音立像」には目を奪われました。

 

肩からしなやかに伸びる無数の手、そして指先の繊細な動き。今にも動き出しそうな生命感に、しばらく言葉を忘れて見入ってしまいました。

 

雨音とお経に包まれる、贅沢な足止め

 

また別の日は、郵便局へ切手を買いに出た帰り道、雨宝院から浄福寺へと歩を進めました。 

 

浄福寺にたどり着いた途端、不意に降り出した雨。雨雨

 

軒下で雨宿りをしていると、奥から低く、有り難いお経の声が聞こえてきました。

 

雨の音とお経の響きに包まれながら、雨が止むのをじっと待つ。

 

いつも私の旅は予定は未定。詰め込まない旅だからこそ許される、この「足止め」の時間さえも素敵なひとときです。飛び出すハート

 

ちょっと違う路地へ一歩踏み入るだけで、また違う世界へ導いてくれる京都。 

 

あてもなく彷徨い、新しい発見に胸を躍らせる。そんな京都の散歩が、私は楽しくて仕方がありません。ラブラブ

 

 

【あわせて読みたい記事】

【奈良・京都】GWの京都、あえて『サイゼリヤ』で4時間。再会を祝う贅沢な時間
【奈良・京都】2年半ぶりの京都・奈良。ネパール・ポカラでの約束を果たす旅へ

 

 

🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩
Kindle本「まだまだ楽しい60歳 暮らすように旅をするネパール43日間」(著者:にーな)のペーパーバック(紙の本)の出版記念に、キャンペーン価格で「コーチング」、「価値観ワーク」&「目標設定ワーク」を提供中!ご希望の方はこちらからお申込みください。

 

2025年10月に、Udemy講師デビューもしました!