言語の流通によって社会空間が形成されるというのは、紛れもない事実である。その空間に持ち込まれた言語が実際に社会空間に存在を形成し得るかは、その言語の流通量と空間の共有者による。オタク文化の社会への顕現後その手法を用いて社会空間を形成し勢力として進出した現象もいくつか観察される。今までなかった新しい新語または造語を生み出し、あるいは登録商標のように流通させることにより社会空間を形成する手法は、橋下徹の、大阪維新の会や大阪都構想という言語を見ても明らかであるし、彼は道頓堀プールという言語を流通させ実現しようともしている。これは、レイシズムというカタカナ英語にもあてはまるだろうし、それに対するカウンターという言葉にもあてはまるだろう。それらが社会空間に存在を形成し得るかは、先に述べたように、その言語の流通量と空間の共有者によるだろう。空間の共有者=フォロワーの増加により空間は出現し、フォロワーの離脱により空間は消滅する。逆に言えば、フォロワーの離脱を促せば、空間を消滅させることも可能であれば、対抗する新語の創出により対抗空間を生み出したり、オルタナティブな新語の創出によりオルタナティブな空間も生み出される。マスメディア一辺倒の世界から、インターネットの出現により、言語表現空間の拡張が起り、多様な社会空間が出現しているのが現状である。だからといって多様性が有機的に繋がったネット社会とはなっていない。実際のところ現実といえば生き残りをかけて空間の奪い合いといったところだろう。そうまでに日本社会は社会扶養可能な空間を喪失している。この喪失は紛れもなく、福島原発過酷事故がもたらしたものである。実際の土地がどれだけ汚染され、どれだけの被害と、どれだけの土地の喪失をもたらすかは時が明らかにすることで、はっきりするであろう。それとともに、すでに私たちは、この日本社会の支えうる空間を大きく喪失してしまっている。この狭められた空間をいかにシェアーして生きていくかを考えはじめなければならないだろう。残された日本社会の空間で共生し生き延びていくために、どのような言語をシェアーしフォローしていかなければならないかを真剣に考えはじめなければならないだろう。
2013/10/17
