AKB48(エーケービー フォーティーエイト)は、秋元康 の全面プロデュース により、2005年 に誕生した、日本女性アイドルグループ である。秋葉原 に専用劇場 であるAKB48劇場 を持ち、チームごとに日替わりでほぼ毎日公演を行っている。


会いに行けるアイドル[1] コンセプト に、専用劇場でほとんど毎日公演を行っている。メディアを通した遠い存在だったアイドル を身近に感じ、その成長していく過程をファンに見てもらい、共に成長していくアイドル・プロジェクトである。

公演は、全てオリジナル曲で行われ、2010年5月現在、300曲を超えるオリジナル曲[2] が発表されている。全ての作詞を、総合プロデューサーの秋元康が担当し、多数の作曲家により作曲されている。舞台監修と振り付けは、ハロー!プロジェクト などの振り付けを手掛けた夏まゆみ が主に担当していた(近年では牧野アンナ 等も振り付けを手がけている。)[3]

メンバーのステージ衣装の殆どは、秋元康が副総長兼芸術学部教授を務めている京都造形芸術大学 の学生がデザインしている[4]

2007年には活動の場を広げ、3月に初の全国ツアーを行い、9月22日には、初の海外公演として、チームBが北京 の中国芸術研究院で開催された「日中文化人懇談会2007」に参加。そして大晦日には、『第58回NHK紅白歌合戦 』初出場を果たした。

2008年2月に発売した、シングルCD「桜の花びらたち2008 」の販売方法を巡るトラブル(後述 )の後、CDリリースが途絶えたが、8月にキングレコード への移籍が発表された[5] 。同年には、名古屋 を拠点とする姉妹ユニットSKE48 が誕生し、2009年8月22日・23日には、AKB48として初の日本武道館 でのコンサート「AKB104選抜メンバー組閣祭り 」を開催するなど、プロジェクトの拡大が進んでいる。

公式ブログのタイトルが示すように、東京ドーム でのコンサート開催を目標に置いている。以前は、メジャーデビューを目標にしていた。2009年にはアメリカとフランスでライブを行った。

2008年夏に「SKE48」が誕生以後メディアなどで「SKE48SDN48 」を含めた総称として、「AKB48」と呼ばれることがある。

メンバーは恋愛禁止である[6]

メンバー全員歌手 を目指している訳ではなく、AKB48は1つの自分の過程、歌手・アイドルグラビアアイドル声優ファッションデザイナー 志望等様々である。

グループ名の由来

グループ名のAKBの由来は、ホームグラウンドである秋葉原(あきはばら)の略称「秋葉(あきば)」(AKiBa)からで、48の由来は、office48 の社長の芝幸太郎の姓(芝=48)からとされる。しかし総合プロデューサーの秋元康のイメージではあくまで商品番号と語っている。その名の通り、構成人数は総勢48名程度である。(メンバーの入れ替わりにより、多少の変動はある。)


チームA

名前 よみ 生年月日 出身地 愛称[7] 加入時期 新(現)所属 備考
板野友美 いたの ともみ 1991年 7月3日 神奈川県 ともちん 1期 チームK 2010年5月27日までチームKと兼任
北原里英 きたはら りえ 1991年6月24日 愛知県 きたりえ 5期 チームB 2010年5月27日までチームBと兼任
小嶋陽菜 こじま はるな 1988年 4月19日 埼玉県 こじはる 1期 チームA
佐藤亜美菜 さとう あみな 1990年 10月16日 東京都 あみな 4期 チームB 2010年5月27日までチームBと兼任
佐藤由加理 さとう ゆかり 1988年11月22日 静岡県 ゆかりん 1期 SDN48 2010年5月27日までSDN48と兼任
篠田麻里子 しのだ まりこ 1986年 3月11日 福岡県 麻里子様 1.5期 チームA
高城亜樹 たかじょう あき 1991年10月3日 東京都 あきちゃ 6期
高橋みなみ たかはし みなみ 1991年4月8日 たかみな 1期 チームAキャプテン
中田ちさと なかた ちさと 1990年10月8日 埼玉県 ちぃちゃん 4期 本名・旧芸名:中田千智
藤江れいな ふじえ れいな 1994年 2月1日 千葉県 れいにゃん チームK 2010年5月27日までチームKと兼任
前田敦子 まえだ あつこ 1991年7月10日 千葉県 あっちゃん 1期 チームA
峯岸みなみ みねぎし みなみ 1992年 11月15日 東京都 みいちゃん 1期 チームK 2010年5月27日までチームKと兼任
宮崎美穂 みやざき みほ 1993年 7月30日 みゃお 5期 チームB 2010年5月27日までチームBと兼任

新チームA

名前 よみ 生年月日 出身地 愛称[7] 加入時期 旧所属 備考
岩佐美咲 いわさ みさき 1995年1月30日 千葉県 わさみん 7期 研究生
多田愛佳 おおた あいか 1994年12月8日 埼玉県 らぶたん 3期 チームB
大家志津香 おおや しづか 1991年12月28日 福岡県 しいちゃん 4期 研究生
片山陽加 かたやま はるか 1990年5月10日 愛知県 はーちゃん 3期 チームB
倉持明日香 くらもち あすか 1989年 9月11日 神奈川県 もっちぃ 4期 チームK
指原莉乃 さしはら りの 1992年11月21日 大分県 さっしー 5期 チームB
仲川遥香 なかがわ はるか 1992年2月10日 東京都 はるごん 3期
仲谷明香 なかや さやか 1991年10月15日 岩手県 なかやん
前田亜美 まえだ あみ 1995年6月1日 東京都 あーみん 7期 研究生
松原夏海 まつばら なつみ 1990年6月19日 福岡県 なっつみぃ 2期 チームK

チームK

太字はキャプテン

名前 よみ 生年月日 出身地 愛称[7] 加入時期 旧所属 備考
秋元才加 あきもと さやか 1988年7月26日 千葉県 さやか 2期 チームK チームKキャプテン
板野友美 いたの ともみ 1991年 7月3日 神奈川県 ともちん 1期 チームA 2010年5月27日までチームAと兼任
内田眞由美 うちだ まゆみ 1993年12月27日 東京都 ウッチー 5期 研究生
梅田彩佳 うめだ あやか 1989年1月3日 福岡県 うめちゃん 2期 チームK
大島優子 おおしま ゆうこ 1988年10月17日 栃木県 ゆうこ
小野恵令奈 おの えれな 1993年11月26日 東京都 えれぴょん
菊地あやか きくち あやか 1993年6月30日 あやりん 3→7期 研究生 元チームB
本名・旧芸名:菊地彩香
田名部生来 たなべ みく 1992年12月2日 滋賀県 たなみん 3期 チームB
中塚智実 なかつか ともみ 1993年6月18日 埼玉県 ともちゃん 5期
仁藤萌乃 にとう もえの 1992年7月22日 東京都 もえの
野中美郷 のなか みさと 1991年4月20日 福岡県 みちゃ 6期 研究生
藤江れいな ふじえ れいな 1994年 2月1日 千葉県 れいにゃん 4期 チームA 2010年5月27日までチームAと兼任
松井咲子 まつい さきこ 1990年12月10日 埼玉県 咲子 7期 研究生
峯岸みなみ みねぎし みなみ 1992年 11月15日 東京都 みいちゃん 1期 チームA 2010年5月27日までチームAと兼任
宮澤佐江 みやざわ さえ 1990年8月13日 さえ 2期 チームK
米沢瑠美 よねざわ るみ 1991年6月6日 埼玉県 よねちゃん 3期 チームB

チームB

太字はキャプテン

名前 よみ 生年月日 出身地 愛称[7] 加入時期 旧所属 備考
石田晴香 いしだ はるか 1993年12月2日 埼玉県 はるきゃん 5期 研究生
奥真奈美 おく まなみ 1995年 11月22日 東京都 まぁちゃん 2期 チームK
河西智美 かさい ともみ 1991年11月16日 とも~み
柏木由紀 かしわぎ ゆき 1991年7月15日 鹿児島県 ゆきりん 3期 チームB チームBキャプテン
北原里英 きたはら りえ 1991年6月24日 愛知県 きたりえ 5期 チームA 2010年5月27日までチームAと兼任
小林香菜 こばやし かな 1991年5月17日 埼玉県 かな 2期 チームK
小森美果 こもり みか 1994年7月19日 愛知県 こもりん 7期 研究生
佐藤亜美菜 さとう あみな 1990年 10月16日 東京都 あみな 4期 チームA 2010年5月27日までチームAと兼任
佐藤すみれ さとう すみれ 1993年11月20日 埼玉県 すーちゃん 7期 研究生
佐藤夏希 さとう なつき 1990年7月1日 北海道 Nなっち 2期 チームK
鈴木まりや すずき まりや 1991年4月29日 埼玉県 まりやんぬ 7期 研究生
近野莉菜 ちかの りな 1993年4月23日 東京都 チカリーナ 5期 チームK
平嶋夏海 ひらじま なつみ 1992年5月28日 なっちゃん 1期 チームB 元チームA
増田有華 ますだ ゆか 1991年8月3日 大阪府 ゆったん 2期 チームK
宮崎美穂 みやざき みほ 1993年 7月30日 東京都 みゃお 5期 チームA 2010年5月27日までチームAと兼任
渡辺麻友 わたなべ まゆ 1994年3月26日 埼玉県 まゆゆ 3期 チームB 本名:渡邊麻友

チーム研究生

名前 よみ 生年月日 出身地 愛称[7] 加入時期 備考
石黒貴己 いしぐろ あつき 1993年9月24日 埼玉県 あっきー 9期 旧芸名:石黒アツキ
植木あさ香 うえき あさか 1995年5月17日 千葉県 あさぽん 8期
大場美奈 おおば みな 1992年4月3日 神奈川県 みなるん 9期
絹本桃子 きぬもと ももこ 1995年3月28日 東京都 ももちん
佐野友里子 さの ゆりこ 1992年1月22日 ゆりりん 8期
島崎遥香 しまざき はるか 1994年3月30日 埼玉県 ぱるる 9期
島田晴香 しまだ はるか 1992年12月16日 静岡県 はるぅ
高松恵理 たかまつ えり 1992年12月25日 埼玉県 えりりん
竹内美宥 たけうち みゆ 1996年1月12日 東京都 みゆみゆ
永尾まりや ながお まりや 1994年3月10日 神奈川県 まりや
中村麻里子 なかむら まりこ 1993年12月16日 千葉県 こまり
藤本紗羅 ふじもと さら 1997年3月23日 東京都 おさら 4→9期
森杏奈 もり あんな 1994年3月21日 千葉県 なんちゃん 9期
山内鈴蘭 やまうち すずらん 1994年12月8日 らんらん
横山由依 よこやま ゆい 1992年12月8日 京都府 ゆい

木村 カエラ(きむら かえら、1984年 10月24日 - )は東京都 足立区 東和 出身の女性 ロックシンガータレントファッションモデル 。本名は木村カエラりえ


中央区立佃中学校東京都立向丘高等学校 卒業。身長153.5cm。血液型 A型(saku saku 初登場時(18歳)は自分の血液型 を把握していなかった)。左利き 。ギターは右弾き。ソニー・ミュージックアーティスツSMAエンタテインメント (事務所分割による)→ソニー・ミュージックアーティスツ (事務所再統合による)所属(T-BOOMにも在籍)。

小6のときに原宿カットモデル としてスカウトされる。CUTiE宝島社 )の読者モデル を経験後、ミスセブンティーン 2001(集英社 主催)に選出され、SEVENTEEN 専属モデル となる。2003年 3月31日saku sakutvk )でテレビ初登場。

saku saku の企画としてインディーズから2004年6月23日 、「Level42」でメジャーデビュー。10月27日 リリースの2ndシングル「happiness!!! 」は自身出演のCMソングに起用される。12月8日 に発売された1stアルバム「KAELA 」はオリコンチャート 初登場8位を記録した。

2005年 3月30日 、3rdシングル「リルラ リルハ 」をリリース。オリコンシングルチャート初登場3位を記録した。この曲はボーダフォン(現・ソフトバンクモバイル)TVCM ソングに起用され、自身が出演したCMが放映されるとともに知名度は全国区となった。同年春、セブンティーンモデルを「卒業」。10月5日 には奥田民生 プロデュースの「BEAT 」を発売。

2006年 1月18日 、「You 」(キットカット CMタイアップ曲)をリリース。J-WAVE のヒットチャート番組「TOKIO HOT 100 」では1月29日に1位を獲得した。さらに、同年にはキリン ラガーCMソングのために再結成されたサディスティック・ミカ・バンド (Sadistic Mica Band Revisited)のボーカルに迎えられ、さらにカエラの名前を入れたSadistic Mikaela Band名義でアルバムを発売することになった。

2007年 2月14日 リリースの3rdアルバム「Scratch 」は自身初のオリコン週間チャート1位を記録した。その後も2週連続で1位をキープした。4月10日 から始まる全国ツアー『LIVE TOUR 2007「Scratch」~上がってますってばTOUR~』の追加公演で、6月15日 に自身初の日本武道館 での単独ライブを行なった(ちなみに、初めての武道館ライブは、スペースシャワーTV での企画で同年3月17日 に行われた「MUSIC VIDEO AWARDS 07」で、「BEST POP VIDEO賞」を受賞した時である)。9月19日 には、自身初の武道館ライブの模様を収録したDVD『LIVE Scratch~上がってますってばTOUR@武道館』がオリコンDVD売り上げランキング総合2位、音楽部門では1位を記録した。12月8日 には、日本武道館で行われたチャリティライヴ、『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007 』に出演し、奥田民生と共演した。12月19日と20日には、自身が企画したイベント「オンナク祭オトコク祭」を開催した。

2008年 7月16日 リリースのアイドリング!!! 3rdシングルCD「告白」にて自身初の作詞提供を行った。

2009年 7月11日赤レンガ倉庫 で二万二千人のファンの前でライブを行った。

2009年12月31日第60回NHK紅白歌合戦 に初出場。「Butterfly 」を披露した。

人物 [編集 ]

母は日本人 、父はイギリス人 。【木村カエラ】カエラ (Kaela) とはヘブライ語 で「最愛」の意味。本人曰く「両親はそんな意味を知らず、語呂がいいからつけたんじゃないか」とのこと。また、タモリ倶楽部 に出演したときには、「イギリス人は、私の名前をカエルと発音してしまう」と語った。英語は子どもの頃は喋れたが今は忘れて話せないとのこと。ただし、後に「saku saku」内で名付け親が祖母であり、本当は「かえちゃん」と付けたかった母親に対し、祖母が語尾に「ラ」を付けるようにと言った事が由来であると明かされている(祖母の名前の語尾が「ラ」だったためにそう主張したとの事)。

本人いわく、肉好きの大食いである。

趣味はギター、ピアノ、服作り。得意なスポーツは水泳。ピアスの穴は、計6個空いている。昔、神社で巫女アルバイト をしたことがある。また、高校時代から「animo」という名前のインディーズ バンドを続けており、2005年には「...of newtypes」というオムニバス CD にも参加していた。

ノー・ダウトボーカルグウェン・ステファニー から影響を受けている。また、ランシド のTIMの大ファンでもあり、自らモヒカン フリーク と名乗る。頻繁に髪型や髪の色を変えている。

ライブ ツアーは大ホールはあまり利用せず、1000人規模の集客のライブハウス を中心に活動している。2007年6月、初の武道館ライブを行う。

ガンダム シリーズのフィギュアプラモデル を自分の部屋に飾っているが、ファースト派である事をラジオ番組でカミングアウト した。saku sakuで「相方」であった増田ジゴロウ白井ヴィンセント の操縦者である黒幕がファースト派であったため、そこから多大な影響を受けている(出演したての頃は全く話題についていけず、DVD などを見て勉強していった。その過程で徐々にハマり、最終的にはゲストに薦めるまでになった)。 なるとも(読売TV系)で、ファーストのモビルスーツのズゴックが好きと公言している。

saku saku内では幾度かコスプレを披露している(制服、小悪魔、サンタ、魔女の宅急便のキキなど)。

漫画 好きで、中でも好きなのは「ちびまる子ちゃん 」。幼少時代から大ファンであったことを本人のブログで紹介し、その後実写版に出演したり、2010年1月放送分よりアニメ版の主題歌『おどるポンポコリン 』を担当している。

株式会社クレハ「NEWクレラップ」の『大人に変身』編のCMに出ているが、クレハのHPのCMが視聴出来るページに出演者コメントの動画があり、そのコメントで「「出たい」と言っていた」と語ったり、以前よりクレラップのCMに出演したかった事を明かした。

2009年4月21日より、ファッションサイト・プーペガール にアバターとして登場し、サイト内の「カエラショップ」の経営を行うなどしている。(プーペガールのアバターは、本人も「なかなか似てるのがウケる (笑)」とブログ内でコメントしている。)


木村カエラとPerfume

木村カエラはPerfume の知名度を大きく上昇させるきっかけをつくった人物である。

木村は自身がパーソナリティをつとめるラジオ番組『OH! MY RADIO 』で、2007年 3月28日 放送分から4週にわたってPerfumeの楽曲をヘビーローテーション した。これは、偶然見かけた『チョコレイト・ディスコ』のPV に注目したことによる。「PVもすっごいかわいいし、曲もすっごくよくて。なんか懐かしい感じというか、今の時代にない感じで面白い」「この子たちがいつか大きく羽ばたいてくれないかということを私は誰よりも今一番願ってます」「いつか『タモステ』(テレビ番組『ミュージックステーション 』のこと)で共演できることを祈ってます」[1] などと発言した。

この一連の放送で採り上げられた楽曲がCM ディレクターの耳に留まった事がきっかけとなり、2007年7月から2008年6月まで放送された公共広告機構(現:ACジャパン )・NHK 共同キャンペーンCMの起用が決まった[2]

その後、2007年8月22日には初めてPerfumeを同番組のゲストに招き対面を果たした[3] ほか、2008年4月18日放送の「ミュージックステーション」では両者の共演が初めて実現した。2008年4月22日放送の「OH! MY RADIO」に2度目のゲスト出演をしたが、木村がJR東海道新幹線の人身事故 の影響のため豊橋駅で足止めとなり番組の開始に間に合わないため、到着するまで30分以上の間、Perfumeの3人でパーソナリティ代打をつとめた[4]

2009年7月4日に開催のイベント「HOT STUFF30th Anniversary Special Live out of our heads」で、一日限定ユニット「木村カエラ∞Perfume」(読みは「キムラカエラパフューム」)を結成

ORANGE RANGE(オレンジレンジ)は、日本の5人組ミクスチャー バンド である。略称はレンジ。所属プロダクションはSpice Music 、レコード会社はgr8! records (SME )。スターダストプロモーション と業務提携している。音楽プロデューサーシライシ紗トリ 。 「ORANGE RANGE」のユニット名は、SMEの登録商標 である(商標登録番号第4803814号)。




HIROKI(ヒロキ、1983年 6月29日 - 中音ボーカル )
沖縄市 出身。A型沖縄県立北谷高等学校 卒。
音楽誌「PATiPATi 」に連載を持つ。
精密ドライバーを持ちながらレコーディング すると何故か落ち着くらしいが、たまに精密ドライバーの音が入ってしまいやり直しになる時もある。
妹がいる。
2010年 2月に一般女性と入籍したことを同年の3月6日に発表した。
YAMATO(ヤマト、1984年 1月14日 - 高音ボーカル )
沖縄市出身。A型。沖縄県立中部商業高等学校 卒。
チャンピオーネ 」からはクレジット欄に毎回違った表記がされている。
」をリリースした頃から髪を切らなくなったが、「瞳の先に 」より、約5年ぶりに髪を切った。
MOMOちゃんとNANAちゃんという愛犬(トイプードル )を飼っている。
タイプは小倉優子 らしい。
6歳下の弟がいる。
NAOTO(ナオト、1983年 5月8日 - GuitarChorusComposerProgramingOther Instrumentsリーダー ))
沖縄市出身。A型。沖縄県立北谷高等学校卒。
曲名にある「ソイソース」「ペチュニアロックス」は、NAOTO本人の別名義のものである。
実兄二人(双子)はテクノ グループ「RYUKYUDISKO 」のメンバーである。
ORANGE RANGEのほとんどの曲の作曲 、約半数のアレンジ を手がけている。
2007年 5月から「delofamilia 」というソロプロジェクトの活動を始めた。
YOH(ヨウ、1983年 12月11日 - Bass )
沖縄市出身。O型 。沖縄県立北谷高等学校卒。
ファッション誌「smart 」に連載を持っていた。
2007年 6月に入籍していた事を同年の8月31日に発表をした。
作曲をするときはギターを使用する。
RYO(リョウ、1985年 10月1日 - 低音ボーカル )
沖縄市出身。O型。沖縄県立北谷高等学校卒。
ORANGE RANGEのメンバーになる以前は高校の友人らと同級生の伊禮麻乃 とで「琉星」(りゅうせい)というバンドを組んでいた。伊禮以外の同級生では東北楽天イーグルス伊志嶺忠 もいる。
ちなみにYOHとRYOは実の兄弟である。中には2人で作曲された曲もあり、そのさいに「低音一家 」という名義を使用する。
2008年 2月に結婚したことを発表した。



中学校の卒業パーティーにおいてNAOTOとKATCHANがバンドを組み演奏したのがその始まりだと言われている(このとき演奏した曲はGLAY の「BELOVED 」や「軌跡の果て」等だった)。これがORANGE RANGEの原型となる。その後他のメンバーは進学問題で辞めていくが、同じ高校にいたYOHを誘い、あいていたベースとして加入する。練習場によくいたHIROKIをボーカルに誘い、バンドの形となる。その後、山嵐 のコピーをする際にボーカルが一人では足りないので、YOHの弟のRYOがラップ好きということで加入。最終的には、カラオケに行った時他の友達が歌っている曲の2番をYAMATOが横取りして歌うと不思議と盛り上がることから、「YAMATOの歌にはパワーがある」とYOHが言ったことがきっかけとなりYAMATOが最後にメンバーとなり現在のメンバーとなった。なお、「ORANGE RANGE」というバンド名はNAOTOの母親が命名。「GLAY (灰色、実際の綴りはGRAYである)、 THE BLUE HEARTS (青)、THE YELLOW MONKEY (黄)などのように、 の名前がついているバンドが売れている」というジンクスから、当時の母親のラッキーカラーであった「オレンジ」を使った。

現在のメンバーがそろう頃から、沖縄にある米軍のライブハウスやストリートライブなどでライブを重ねていき、その数は年間70本にも及んだ。GLAY、山嵐、Mr.ChildrenLUNA SEADragon Ash などのコピーをしていたが、YAMATOが加入した頃からオリジナルの曲を作り始める。ちなみに、初のオリジナル曲は『オレンジボール』に収録されている「奏重鼓」。そして、アルバム『オレンジボール』で2002年 2月22日 にインディーズデビュー。同年8月に「ミチシルベ/ミッドナイトゲージ」を発売。ライブを積極的に行うなどのプロモーションでファンを増やし、当時のインディーズのライブとしては異例の700人を動員する。そして、2003年6月にメジャーデビューする。




シングル「キリキリマイ」でメジャーデビュー。2ndシングル「上海ハニー」でブレイク。その後シングル21作、オリジナルアルバム6作、ベストアルバム3作などを発表。そのうちシングル9作、アルバム4作でオリコン 1位を獲得。特に「花」はロングヒット、『musiQ』は270万枚を超える売上を記録するヒットとなった。第19回日本ゴールドディスク大賞 では、アーティストオブザイヤーを獲得するなど、「日本を代表するバンド」へと成長する。また、「上海ハニー」「ロコローション」などのヒットから『夏のバンド』というイメージが定着している。琉球 音楽を取り入れた楽曲も多い。

2005年7月31日ドラムKATCHAN が脱退。以降はサポートメンバー を加えて活動していくことになる。

デビュー初期はヒップホップ を意識したミクスチャーロックが多かったが、NAOTOの作るバリエーション豊かな楽曲により、徐々にポップかつロックな音楽に変化していく。特にアルバムに関しては「レコーディングが仕事になると嫌だから曲数は決めない」などかなり自由な構成となっている。3rdアルバムからは電子音を多用するようになってきた。メンバーは仕事のとき以外は地元沖縄 に帰郷していて、レコーディングなども時間に余裕があるときは沖縄でこなす。2007年春に全国4ヶ所8公演のアリーナツアーが開催された。そして7月25日 、初となるベストアルバム 『ORANGE』『RANGE』を発売。また、2009年7月8日にシングル「瞳の先に」、2009年8月5日にアルバム『world world world』を発売し、2009年8月30日~2010年1月10日まで[ORANGERANGELIVE 009-010 ~world world world~]を行った。そして、2010年2月20日にはさいたまスーパーアリーナで[ORANGE RANGEカーニバル ~春の祭典スペシャル]を開催。このLIVEでは今まで発売したシングル全21作を含めた34曲を披露した。