ご無沙汰してます。
この半年間、わたしはわたしの"不幸"と向き合ってまいりました。
そしていま思うのは、これは繰り返しにもなりますが、
幸せベースとは、"外側の理想を追い求めることをやめること"に尽き、
そして、"地道に創っていけるもの"
そういうものです。
幸せベースとは、ある日突然、すべてが変わり、解放され、報われ、なにもかも手に入るというものではありません。
そして、"外側の理想を追い求めること"も、【やめよっか】となんとなく思ったところで、変わるものではなく、そこには"行動"がともなって初めて辞められるものになります。
つまり、"腑に落ちるまで"が大切です。
ジプシーをやめよう!の前に、必ず、"ジプシーをしている自分自身"を認め、感情を味わう必要があります。
【自分を認める】【やってきたこと、言ってきたこと】【その結果がいま】【そこからは目を背けない】【場合によってはクソ溜まりを認める】【美しくない自分を直視する】
ということなんです。
で、、、それを知ったからって、認めたからって、あなたの価値が下がるわけでもなく、誰かに負けることなどなく、勝つこともなく、
【ただの凡人な自分】、それでいいんだ。
そう思うところまでいくでしょう。
今までいかに自分への外付けの【特別性】を求めていたか?気がつくと思います。
そもそも、幸せベースとは、【特別性】ではありません。無縁に近いです。
えっ、、、特別性がなかったら、、、、じゃぁ自分は、、、と、認めざるをえない段階にはいると思います。
人によっては、痛みをともないます。
もう、解放されたくありませんか?
他人とのラットレースは疲れませんか?
幸せベースは、地道ながらに、誰もが創れるものです。
ただしそれは、自分をまるごと認めないと難しいということです。
自分をそのままに認めるというのは、ジプシーしている人にとっては難しいことでもあります。
また、どうやっても自分をそのままに認められない人というのは、たいてい、"休み不足"ということも多いです。
わたしは、その自覚があったので、仕事をやめて、思い切り、休んでみました。
自分を知るためにです。
なんとなくの約束もすべて断り、それによって、なんとなくの繋がりもすべて切れました。
また、なんとなくの気遣いやなんとなくのお金の支払いもやめました。
そして休んでわかったことは、自分の【マイペースさ】【ある意味(外側からジャッジしたとき)のクズさ】です。
こんなことを書いてるわたしですが、
迷えるジプシーの方とわたしに大きな差があるのか?というと、正直ありません。
ただし、心の向きが、昔のジプシーなわたしといまとでは、断然、違っています。
たったそれだけ。
それだけのことです。
わたしは家事もろくにやっていません。
へんてこモンスターみたいな人間で、
誤解されることもたくさんありますし、
怒られることも多いです。(そういうひとはすぐに離れていきますが)
続きます。