・強制性はなかったが長期的国益の為にウソを認めよ:毎日社説 ~真の長期的国益とは~ | アジアの真実

・強制性はなかったが長期的国益の為にウソを認めよ:毎日社説 ~真の長期的国益とは~

社説:「従軍慰安婦」問題 「河野談話」の継承は当然だ:毎日(3/8)
 いわゆる従軍慰安婦をめぐり、旧日本軍の関与を認めた93年の「河野(洋平官房長官=当時)談話」の見直し論議が、自民党内で起きている。安倍晋三首相は「河野談話」の継承を明言している。だが、「当初定義された強制性を裏付けるものはなかった」との発言が、見直し論にくみするものと受け止められ、中国や韓国などの近隣諸国には懸念が広がっている。

 その一方で、米国下院では「河野談話」では不十分だとして、日本に公式な謝罪を求める決議案も提出されている。

 安倍首相は就任直後、中国、韓国を歴訪。途絶えていた両国との首脳外交を再開させた。自民党の「河野談話」の見直し論は、せっかく改善された近隣外交には大いにマイナスだ。安倍首相が継承と言明したのは当然だ。

(中略)

  「河野談話」は、政治決着だったといえる。見直し論は、厳密な史実の裏付けがないことを理由にしているが、戦争責任問題を含めたこの種の問題での政治決着には、あいまいな部分が残るのはやむを得ない。史実を争うなら、歴史研究者に委ねるのが一番だ。日中両国間では、しばしば対立する歴史認識をめぐり、双方10人からなる共同研究委員会が設立されている。

 「河野談話」見直し論のように、政治が不用意に蒸し返すと事態がかえってこじれるケースはよく見られる。長期的な視野に立っての国益をまず考えるのが政治家の責務のはずだ。不健全なナショナリズムをあおる行為は厳に慎まなくてはならない。

 安倍首相をはじめ日本の政治家がやるべきことは、明白だ。米下院での決議案を成立させないためにも、近隣諸国の懸念を払しょくするにも、従軍慰安婦問題で謝罪してきたわが国の立場をていねいに説明することだ。安倍首相は「主張する外交」を掲げるが、主張の結果は、国益に合致したものでなくてはならないはずだ。



3月7日付・読売社説 [慰安婦問題]「核心をそらして議論するな」

 いわゆる従軍慰安婦問題の核心は、官憲による「強制連行」があったかどうかだ。

 (中略) 日本軍が組織的に「慰安婦狩り」をしたかのように決めつけている。だが、日本政府の調査でも、これを裏付ける文書はない。歴史家の間でもこうした事実はなかった、というのが「定説」だ。この決議案を提出した議員らは、これらを覆すだけの確かな資料があるのか。(中略)

 首相は、慰安婦の募集について、「狭義の意味の強制性を裏付ける証言はない」と強調した。「官憲が家に押し入り、人さらいのごとく連れて行く、『慰安婦狩り』のような強制的なもの」、つまり、官憲による強制連行はなかったということを明確にした。

 その一方で首相は、民間業者による、本人の意に反した「広義の強制性」があったことを認めた。だが、こうしたケースと、軍による強制連行とは、まったく違うものだ。

 「強制性」を拡大解釈し、核心をそらして非をならす一部のマスコミや国会議員らは、今後も内外に誤った認識を広げるだけだ。

 それにしても、この問題は、なぜ、何度も蒸し返されるのか。

 その最大の理由は、1993年、当時の河野洋平官房長官が発表した談話にある。それには、慰安婦の募集に「官憲等が直接これに加担した」などと、日本軍が強制連行したかのような記述がある。だが、これが裏付けのないまま書かれたことは、元官房副長官らの証言ではっきりしている。

 自民党の有志議員らは、談話のあいまいな表現が、誤解を生む原因になっているとして見直しを検討中だ。米下院の決議案は、「談話の内容を薄めたり、撤回したりする」ものとして、こうした動きをけん制している。しかし、不正確な談話を見直すのは当然のことだろう。

 河野談話を発表した背景には、韓国側の圧力を前に「強制連行」さえ認めれば問題を決着できるとみた甘さがあった。政府は米下院決議をめぐり、再び、外交上の失策を繰り返してはならない。


 同じテーマについての毎日と読売の社説です。同じテーマにも関わらず、新聞によって全く違う結論を出しています。新聞によって政治思想がまったく違うという良い見本です。


 毎日の社説をよく読むと非常におもしろい論調になっています。「河野談話の継承は当然であり、否定するべきではない」という結論ですが、「あいまいな部分が残るのはやむを得ない。政治とはそういうもので、長期的な国益という視野に立てば当然である」という理由をつけています。つまり、この毎日の社説は暗に従軍慰安婦の強制性について証拠が何もないことを認めています。それを認めた上で、長期的な国益に照らせあわせばそんなことには目をつむり、相手の満足のいくようにウソでも本当だったと認めたら良い。と言っているのです。韓国や国内の反日勢力はこれまで、「強制性があったのは証拠がなくても明らかだ。だから謝罪しろ」と言う論調が主でしたが、この毎日の社説は「強制性はなかったかもしれないが認めていたほうが良い」とする新しい論調になっており興味深いです。

 

 あえて反論すれば、頭を下げてウソでも何でも言うことを聞いておけば波風が立たず、短期的な国益としては有効かも知れませんが、それをしてしまったら今後ずっと無実の罪を背負うことになり、日本民族全体に生涯汚名が残るだけでなく、中韓からあと何十年、何百年とこの後これをネタに政治的圧力をかけられるかわかりません。現に戦後60年以上経った今でもそれが行われているのですから。長期的な国益で見れば、ウソを認めてしまうことが大きな損害になることは間違いないのです。


 内外からの批判を浴びた後に河野談話を基本的には継承すると発表している安倍首相ですが、従軍慰安婦の事実関係について再調査をする方針を検討している など、基本的な線はぶれていないと個人的には思っています。毎日の社説の言葉をあえて借りますが、長期的な国益を見据えて主張する外交を展開して頂きたいと思います。


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参考書籍:

慰安婦強制連行はなかった―河野談話の放置は許されない
大師堂 経慰
4886561632


日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か
西岡 力
4569643167