齢15歳ながら、なかなかに後悔が多い。

自分は兄と姉がいるという事実が手伝ってか、サンタの存在を「架空の人物である」という答えつきで知った。実在しないという事実を悲しく想ったというよりかは架空の人物であることを知りえながらもサンタを信じきれなかった自分の疑い深さ。又、浅ましさを哀しく想う。自分より幾らかは物知りな人達があたしの毎日を取り締まっていたのだから仕方がないのだと割り切ってはいるのだが、しかしながら弟は、あたしの幼少期とくらべ姉が1人増えているにもかかわらず、サンタを信じきっていたものだから案外兄や姉の有無は関係ないのかもしれないとも思いはじめていた。
兄や姉はサンタを信じていたこともあったのらしいがそれは昔の話であり、今現在の話ではなかったため我が家のサンタからのプレゼントというものは両親があたし等子供たちにひとつ欲しいものを聞き、それ等が届きしだい手渡してくれる。というのが例年であったのだが、純粋さを持ち合わせているが故に両親からふたつ欲しいものを聞かれ、両親から1個、サンタから1個。合計二個のプレゼントを手にした弟を妬ましく感じたのだが、そんな自分に嫌気がさしたのは、確か5年前のクリスマスであった。
弟は可愛い。サンタを信じていた。弟が可愛いのだから来世はあたし、サンタを信じれる子に産まれたいと思う。そうしたら、あたしもきっと可愛いから。プレゼントも2個貰えるから。それでも齢15歳ながら、なかなかに多い後悔に苛まれているのもので、産まれるのは今世きりでいい。という考えの元、日々ぼんやりと過ごしてはいるのだけれども。

2年半ほど前から「あの人の言うこと、もっとちゃんと聞いとけばよかった」なんて思いに耽ることが多くなり、後悔に苛まれているのだが「あの人とは誰だったか? 」なんて単純な疑問をふと、今さらながらに想った。考えてみれば小説やネットにありふれている過ちを教えてくれた人。或いは物。という役割をあたしの中にしか存在しない"あの人"という善意の塊。はたまた、あたしを全肯定する為だけにわざ、わざと作りあげた架空の人物にへと押しつけ、"あの人"という、あたしの信じきることのできなかったサンタ同様、架空の人物という者に対して信頼というある種のアディクションを抱いていただけではないのか。けれどもあたしはどこか弟と違い、卑しかった。どこも可愛くない。あたしという卑しい人間が創り出した架空の人物を信頼していたのだから仕様がないのだろうか。では、サンタを創り出した人間というのはどんな人間なのであろうか。きっと、バカみたいに可愛い子なのだろう。こんな思想にたどりつけば、全てが情けなく、そして不憫に思えて不吉な思いに耽て意地けることさえがバカバカしく思えた。

自分には、あの人に該当する物も人間も実在していなかったのが侘しくて、どこか面白くてやるせないからここに記しておいた。いつかに誰かが「あの人の言うこと、ちゃんと聞いてたらなぁ」なんて思想に耽った時、あの人が実在していなかったことに気づき、不吉な思いに侘しさまでもがプラスされてしまわない様に。
__これを読んだあなた達が不吉な思想に耽った時、あの人とは私に該当するのだろうか。
誰かの記憶の中で確かに存在する。実在するのか、しないのかさえもがわからない。そんな朧げな、確かにあたしには実在しなかった誰かにとってのあの人。もとい、サンタとでもいった架空の人物にあたしがなれたのであれば、あたしはそれでどれだけ幸福か。
__これが書きたいがために書いていたわけではないのだが、例の疑問同様に、やはりふと思ったものだからここに記しておいた。

二日も早いですがメリークリスマス。プレゼントはもう貰いました。なぜだか三個。