これまで島での過酷な話を書いてきましたが、これは40年前の記憶。今の自衛隊はもっと合理的で素晴らしい組織です。でも、あの不器用で熱かった昭和の時代に、私を育ててくれた人たちがいました。
今、改めて思いつくままに書き出してみます。
整備員・自衛官としての私を作ってくれた先輩たち
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フェリー乗り場に迎えにきてくれた「久保田3曹」 奥尻の第一歩は、この方から始まりました。娘さんが生まれた時の喜び、覚えています。
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バック宙を教えてくれた「春日士長」 整備の合間、空の下で体を動かした時間は貴重な息抜きでした。
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仏のような「遠藤士長」 厳しい先輩が多い中、この方の優しさには何度も救われました。
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職人魂を教えてくれた「小西2曹」 「トラブルが出たら、まず電源を疑え!」という教え。この『根本から疑う姿勢』は、今の整体で不調の原因を探る際にも生きています。
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ニヒルで怖かった(笑)「岡崎2曹」と、銃剣道の達人「小竹3曹」 お二人の迫力があったからこそ、自衛官としての規律が身につきました。
共に汗を流した仲間たち
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同い年の「大塚一美3曹」
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下宿を共に取っていた遠軽出身の「山本士長」
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中学校の同級生だった「宮本士長」 まさか奥尻で再会するとは。早くに退職してしまいましたが、あの日々は忘れません。
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兵庫県出身の同期「稲田士長」 関西弁が懐かしい。航空学生からC-1輸送機のナビゲーターになったと聞き、誇らしく思いました。
私を島へ「一本釣り」した(?)恩人
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浦崎康博3曹 実は熊谷教育隊の時の私の班長です。この方が奥尻にいたからこそ、私は島へ配属されたのかもしれません。「どーしたー!操縦ミスか?!」という名言、オペレーションルームで大流行しましたね。ラジコン墜落事件の時の上林士長とのやり取りは今思い出しても笑ってしまいます。
島の温かさ「民間人編」
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隊外クラブの「能代のおばちゃん」 朝、なかなか起きられない私を世話してくれた、島の母のような存在でした。
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スナック『どんぐり』の高山ママ 中学生だった娘さんも、もう立派な大人になっていることでしょう。あの温かい送別会は、私の宝物です。
届かないかもしれないけれど「ありがとう」
こうして振り返ると、今の自分は誰一人が欠けても存在しなかったのだと痛感します。 ここに登場する皆さんは、今や60歳を優に超えているはず。
当時の皆さんの顔が、今でも鮮明に浮かびます。 元気かな? どこかで笑っているかな?
不器用で、自信を失いかけていた私を、見捨てずに育ててくれた方々。 その方々に鍛えられた手、守られた心が、今の私の整体院の原点です。
名前を思い出すだけで、感謝で胸が熱くなります。 本当に、本当にお世話になりました。
次回、いよいよ新天地へ。 『教育隊に来て分かった。あれ?意外と自分は優秀なのか?』 覚醒の山口編、始まります。